共犯
見舞いを終えた悠月は病院を後にし、坂を下った先のコンビニへ立ち寄った。
自動ドアをくぐった瞬間――思いもよらない人物が目に飛び込んできた。
向こうもこちらに気づいたらしい。
顔を上げた彼女と、視線がぶつかる。
「あっ」
「こんばんは、悠月さん。奇遇だね」
まさか、こんなところでひまわりと鉢合わせるとは。
今日も相変わらず、まるで正体を隠すかのような露出の少ない服装。
だが、何度も見慣れた格好だから、一目で彼女だと分かった。
「私、さっきこの辺で収録終わったからさ、ついでにお弁当とお菓子買いに来た」
「そっか」
ひまわりの隣で弁当棚を覗き込み、一番安い弁当を手に取った。
「ねぇねぇ、この後暇?」
「残念だけど、これから家に帰って、ご飯食べて、風呂入って、寝る予定だから、無理」
「全然暇じゃん!ならちょっと付き合ってよ。行きたいところがあるの。ご飯もそこで食べられるし」
「え?」
「お願ーい!」
なぜか、断る理由が一つも思いつかない。
悠月は観念したように肩を落とし、ため息をつく。
「……分かった」
どうしてこんなタイミングでここに来てしまったんだ。
今さら後悔してももう遅い。
会計を済ませた後、他愛もない話をしながら、夜の街をゆっくり歩いていった。
どれくらい歩いただろうか。やがて、ひまわりが足を止めた。
隣の建物に目をやる。
闇に浮かぶその輪郭に、悠月は見覚えがあった。
ここは、自分がかつて通っていた高校。
「ちょっとスマホ貸してくれる?」
「なんで?」
「理由は後」
その様子じゃ、借りるまで引き下がりそうにない。
面倒になる前に、悠月はスマホを差し出した。
「まだ私があげたストラップつけてるんだ……嬉しい!てっきり外しちゃったと思ってたのに」
「外したら君にうるさく言われそうだしな」
ひまわりは否定せず、まるで認めたかのようにへへっと笑った。
「よし、では侵入するか」
その不意の一言で、空気が一瞬にして塗り替えられた。
「え?」
「フェンスだってそんなに高くないし、簡単に登れるでしょ?さぁ、入りましょう」
「いや、そういう問題じゃないから……」
なんでここに来たのかはさて置き、あんなことをしたらどう考えても完全に犯罪だ。
けれどひまわりは、悠月の嫌そうな顔なんて完全スルーで、ひょいっとフェンスをよじ登った。まるで彼が当然のように共犯になると決めつけているかのように。
「はぁ……」
ひまわりが本当にフェンスを乗り越えて学校に入ったのを見て、悠月はため息をついた。
誰かに見られて一緒だと思われたら面倒だと思い、踵を返して立ち去ろうとする。
「じゃな。捕まらないように」
悠月が言い終えると、ひまわりは彼のスマホをひょいと掲げた。
「悠月さん。何か忘れてない?」
「……返して」
「嫌ーだよぉ♪欲しいなら取りに来れば?」
「……はぁ。君と出会ったのって、ついてないことなのかな」
どうにも手が出せなかったが、「ごめん」と呟いてから、仕方なくフェンスをよじ登る。
飛び越えて着地した瞬間、足がもつれ、危うく顔面から地面に突っ込みそうになる。
慌ててフェンスを掴み、なんとかセーフ。
響いた音に心臓が止まりかけたけど、幸い警備員の耳には届いていなかったようだ。
「これであなたも共犯だよ?」
ひまわりは軽く笑いながら、スマホを返してきた。
「で?どうして急にここに来たわけ?」
「最近ずっと学校来てなかったし、ちょっと気になって見に来たんだ」
「だったら、わざわざ夜に忍び込む必要ある?しかも僕まで巻き込むなんて」
「へぇー。もしかしてビビってんの?」
悠月は答える気などなく、ただ黙り込んだ。
こんな違法まがいのことをしているなんて、家族に知られたらきっと心配させる。
だから悠月は、見つからないうちにさっさとここから逃げようと決めた。
「はいはい。安心して。実はちゃんと許可もらってたんだよ〜。誰か連れてくるかもって一応伝えてあったんだけど、まさか本当に悠月さんに会うなんてね」
「本当にそうなら、普通に入ってくればいいだろ?」
「だってさ、急にやってみたくなったんだもん。それに、あなたがどんな反応するか気になったし」
「……しょうもな」
まさか、そんなくだらない理由だったなんて。悠月は呆れきって、深いため息をついた。
(別に母校に特別な思い出があるわけじゃないけど……せっかく来たんだし、ちょっと見て回るのも悪くないか)
そう思いながら、ひまわりの後をついていく。
「ここ、相変わらずだな……」
卒業してからまだ一年も経ってないんだけど。
「悠月さんもこの高校に通ってたの?」
「うん。去年卒業したばかりだ」
「じゃあ先輩か〜。悠月先輩って呼んじゃおうかな?」
「好きにしろ」
「なら……月ちゃん?」
「……それだけはやめて」
「なんで?恥ずかしい?」
悠月はいたずらっぽく笑うひまわりを完全スルーした。
だが、そんな塩対応にもまるで気づかないフリをして、ひまわりはじりじりと距離を詰めてくる。
無表情のその顔に隠された照れの色を探し出そうとするかのように、じっと悠月の横顔を見つめて。
「では、悠月はどう?こうやって名前で呼ぶってことは、私たち仲いいってことだよね?」
「どうでもいい。……っていうか、近すぎ」
悠月は歩調を早め、ひまわりとの距離を少しだけ広げた。
ひまわりの提案でグラウンドに来た二人は、階段に座って持ってきたお弁当を食べ始めた。
こうして夜の学校のグラウンドで、風に吹かれながら弁当を食べるなんて、なんだか新鮮な気がする。
「ところで、以前学校で悠月のこと見かけたことないんだよね。一つ上なのに」
「たとえ会ってたとしても、どうせ覚えてないだろ。僕なんて全然目立たないし、人に覚えられるようなこと一度もしてないから」
「そうだ!そういえばさ、前の高校生活ってどんな感じだったの?ちょっと気になるんだけど」
「確か……高1の夏休み前までは、反抗期で家族とよくぶつかってたし、勉強もほとんどしてなくて、成績も大体平均くらいだったかな」「へぇ〜、そんな風だったなんて全然見えないけど」
悠月もそう思った。
昔の自分と今の自分って、こんなにも違うものなのか、としみじみ感じる。
昔の彼は、家族なんて大事にしなかった。むしろ自己中で、すぐイライラしては親と喧嘩ばかり。
そんな彼が変わるきっかけになったのは――あの年、高3の星絵に降りかかった出来事。
「……でも、高1の夏休みに、ずっと世話をしてくれていた姉が病気で倒れて入院してた。姉が一人で苦しむ姿や、夜中に両親が姉のことで泣いているのを見て、僕も少し分かるようになった。
それからは、親を怒らせないようにして、必死に勉強して、少しでも心配をかけないようにして……そして気づいたら、今の僕になってた」
「なんか、ちょっと極端に変わりすぎじゃない?……てか、自分のことを話すの、初めて聞いたかも」
「ただ昔のことを急に思い出して、つい口に出しちゃった」
そうは言ったけど、どこか違う気がする。
「医学部にしたのも、家族が理由ってこと?」
「うん」
「でもさ、大学の学部って自分の夢のために選ぶもんじゃないの?」
「大半の人はそうなんだろうけど……残念ながら、僕は違うんだ」
少なくとも大学では、悠月の知る人たちはみんな、ひまわりの言う通り夢や情熱を抱いて、それぞれの学科を選んでいた。何かに突き動かされるものがなければ、続けるなんて難しい。
そして悠月を支えているのは、いつか必ず星絵の病気を治したいという願い。もう二度と、親の涙も星絵の苦しむ姿も見たくなかった。それだけが、彼の原動力だった。
「えっ?もしかして、自分の夢とかないの?」
「……そうかもな」
悠月には欲なんてなく、自分自身に求めるものもほとんどなかった。
ただ、家族が幸せでいてくれればそれでいい。自分のことなんて、どうでもよかった。
もしかしたら、ひまわりの言う通り、極端すぎるくらいに変わってしまったのかもしれない。
「そんな人生ってつまんなくない?まぁでも、私がいるおかげでちょっとはマシになってるはず」
「別に望んだわけじゃないけど」
「そんなこと言わないでよ。正直、私と出会ってから、ちょっとは人生楽しくなったでしょ?」
「それは否定できないかも」
「……おや?この時なら絶対反論すると思ってたのに。だってさ、私の知ってる悠月って、ツンデレだし」
「事実なら否定なんかしないよ。どこでそんなイメージついたんだよ?」
「あれ?違うの?」
「どう見ても違うだろう」
「あーあ、やっぱ自覚ないんだな」
なぜだか分からないけど、彼女にそう言われると、少しだけ嫌な気分になった。
(僕がツンデレなわけないだろう?)
悠月が心の中で否定している間に、ひまわりはもうお菓子の袋を開けていた。
細身の体なのに、まさかこんなに食べるとは。ついさっき大盛りの弁当を平らげたばかりだというのに。
気を抜いたその一瞬、ひまわりはポテチをひょいっと彼の口に突っ込んできた。
「それじゃ、これからもあなたの人生、面白くしてあげる♪毎日振り回して、つまらない人生とはさよなら、ね?」
「どうせ嫌だって言っても聞かないんでしょ?」
否定もせずにクスクス笑うひまわりに、悠月は仕方なさそうに小さく息を吐いた。
その直後、口元がわずかに緩んでしまう。




