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2.祝福

キリがよかったので早めの更新です。

「お疲れ様です」

「本当にです…」

 小さな子にやり込められた感が否めない。僕が未熟なのもあるだろうが。

 それはそうと、なんだかこの言葉遣いが上達した気がする。気のせいでは無いと信じたい。

 そしてさっきも言ったようにどっと疲れた。何だか物凄いものを見てきた気がする。実際そうなのだろう。あの世界にいた小動物や小さな子は、何だったのか。何故鼓動をなくして生きれるのか。そもそも生きているのか。何一つ分からない。けれど、分からないことに違和感を覚えない。覚えられない。何もかもがすとんと腑に落ちてしまって、疑念を抱けない。まるで、元からそうであることを知っていたかのような、当然であると刷り込まれているような。そう、それが、

 世のことわりであるかのような。

 首を振って思考を頭から振るい落とす。あまり深く考えてはいけないことだと感じたのだ。

「この扉の向こうには、何があるのでしょう」

「入ったこと無いんですか」

「えぇ」

 アスティルが小さな扉を撫でる。

「何せ、この図体なもので」

 困ったように笑った人は、軽く腕を広げた。

 アスティルは肩がしっかりとしていて、手も僕のより大きいし、硬そうだ。神官服の上からでも判る引き締まった筋肉に、背も高いと来た。スフィア面食い説が浮上してくる。

「あの……如何なさいました?」

 僕が思考を巡らせてスフィアまで到達した時、アスティルが怪訝な顔になった。そりゃ、ジロジロ見られていい気分になりはしないだろう。僕は必死で謝罪の言葉と言い訳を探す。

「あっ、すみません。えと、あの、う、羨ましくて……?」

「羨ましい、とは?」

 もっと怪訝さが増してしまった。言い訳は悪手だったようだ。

「なんでもっ、ない、です……」

「…………そうですか」

 訝るような視線を向けられ、心臓が煩く鳴る。とりあえず話題を逸らそう。

「あの、これからの、予定、とか……」

 今日済ませるべきことは今日中にやってしまいたい。それなりにこの仕事を頑張る、と、あの小さな子に約束してしまったのだ。

「そうですね……とりあえず、寝ていただきたいです」

「……へ?」

 一瞬理解が追いつかなかった。

 寝る?ここで。

 神殿、で?

 聖女って、寝床と仕事場一緒なのか!?

 それってどうなんだろう……と考えていると、アスティルが斜め上を指差した。

「あの、外を見ていただくとわかると思います」

 廊下の、扉が付いている側とは反対側へ目を向ける。それなりに高い位置に設置された窓から、月明かりが差し込んでいた。

 どう見ても夜である。 聖堂に入る前も廊下は薄暗かったので窓を見るまで気が付かなかった。

「ワタシ、そんなに長話してましたっけ……?」

 聖堂に入る前はまだ昼だったはずだ。聖堂で何時間も過ごした訳でもないのに、何故夜になっているのか。

「……不思議地帯」

 僕は、はぁとため息をついた。

 神殿では、僕の持ち得る知識があまり役に立たないと見て良さそうだ。

 神の庭に、不思議廊下、神、更には鼓動の無い少女。一日で不思議に出会いすぎた。疲れた。

 何だか、意識した途端に眠気が豪速球で向かってきたようだ。瞼が重い。

「寝ます」

「あ、いや、部屋にお連れしますので、あの!?聖女様!?ここで寝ないでください⁉︎」

「……うるさいです…ワタシ、立ったまま寝れますんで……」

「貴女は麒麟きりんですか!ダメですよ、ちゃんとベットで眠らないと!取れる疲れも取れません!」

「あうあうあうあうあうあ」

 アスティルが肩を揺さぶってきた。頭が揺れる。しかし、もう寝る気になってしまった意識はふわふわしたままだ。もうこうなってしまってはどうしようもない。アスティルも諦めたようで、ため息と共に肩が解放された。自由になった身で左右にふらふらと揺れる。瞼勢力に負けた眼は世界にモザイクをかけていく。だから、とろけた視界の端から消えたアスティルにすぐ反応できなかった。

「失礼します」

 突如、足が地面から離れる。ふわりとした浮遊感の後、背中と膝の下に大きな手があることに気がついた。僕はもう歩けないと判断されたらしい。大正解である。

「……あ、りが、とう、ござい、ますぅ……」

 アスティルの歩みと一緒に上下に揺れるため、言葉が変なところで切れる。

「あう、あう、あう、あう、あう、うおぁ」

 アスティルの手が回っているのは背中であるため、首がかっくんかっくんする。痛い。見かねたアスティルは僕を持ち直し、首に腕を添えてくれた。頭が揺れることはなくなり、安堵の息をく。ちょうど頭が肩のあたりに来たようで、目の前にアスティルの顔がある。何とは無しに見つめていたら、気まずそうに視線を流してきた。

「…眠そうですね」

「眠いんですよ」

「瞳がとろけていま……」

 アスティルの言葉が止まった。何かに驚いた様子である。僕の瞳に何かあったのだろうか。

 少しの間があり、アスティルの視線は前に戻った。

 その様子に引っ掛かりを覚えながらも、意識は急速に眠りへと沈んでいく。その過程で、アスティルに言わなければならないことがあると気付いた。性別のことではない。

「あの…」

「はい?」

 アスティルは前を見たまま応答した。

「ワタシが帰ってくるまで扉の前で待っててくれて、ありがとうございます……」

 僕が聖堂に入ったのは昼だった。そして出てきたのは夜だ。いつ出てくるか分からない僕を待ち続けるのは大変だっただろう。

 そう思って言ったら、何故だか小さく吹き出された。

「それが神官の役目なのですよ、聖女様」

 そう言ったアスティルの口元は、誇らしげに弧を描いていた。

 

 上下に、ゆったり、ふわふわ揺れる。そんなゆりかごのような揺れに、疲れた体が耐えうるはずもなく。徐々に瞼で侵食されていく眼を見たアスティルが苦笑しながら言ってくれた、「このまま寝ていいですよ」の言葉を最後に、僕は入眠した。

 おやすみ三秒である。

 

 アスティルは薄暗い廊下を進んでいた。おやすみ三秒な聖女を寝台に運搬するためだ。今の神殿は人手不足に悩まされているため、初日の聖女への付き人はアスティル一人なのだ。

 神殿に連れてこられた時は作り笑顔を絶やしてしまうほど警戒していたというのに、今はおやすみ三秒である。これはどういう変化だろう。単に慣れない環境に疲れただけなのか、聖堂で何かあったのか。思えば、聖堂から出てきてから顔つきが少し変わった気がするし、明らかに口調が自然になっていた。一人称の硬さは相変わらずだったが。

 横目で聖女の寝顔を見る。安心し切った赤子のような顔をしていて、アスティルは思わず微笑んでしまった。

 このエルダーという娘は、貧民だった。アスティルは、その事実が少し憎い。まだ一日も一緒にいてはいないのだが、好ましく感じたのだ。少なくとも、そんじょそこらの貴族よりは。

 当然のこととして向けられる行為に感謝をかえせる人は、意外と少ない。先程のエルダーの言葉を思い出し、またアスティルの口元がゆるんだ。

 この人に、これから、仕えるのだ。

 これまで神を主人あるじと定めてきた身としては少しばかりの抵抗があったが、この娘なら、と思う。聖女に相応しいか、なんて考える必要はない。神が定めた。その事実が揺るがずここにあるから、そんなこと、考えること自体が無意味だ。しかし、これはアスティルの心持ちのことだ。不満を持ちながら表面上のみを取り繕っていくには、それなりの決意が必要である。その辺りの判断は早めにつけておきたい。

 アスティルは明日の夜までに結論を出そうと決めた。

 そう決めてから、少し早いか、と自分で苦々しく思う。自分がそう決めたのは、きっともう結論が出ているからだろうとわかっているから、尚更だ。

 そんなアスティルの心の内など知る由もなく穏やかに眠り続けているエルダーの変わりようを見て、アスティルは少し満足するのだった。

 やはりこの娘は、神の祝福を得たのだ、と。

 

 目を開けたら知らない天井だった。

 ぼやりと浮かんだ意識を無理矢理ひっつかみ、体をがばりと起こす。跳ね起きた体に吹っ飛ばされた布がくしゃりと寄った。

 とりあえず、前後右左上下に誰もいないことを目視で確認する。それに並行して体勢を整え、立ち上がった。足場が悪い。何だかふわふわしていて、重心が定まらない。

 ここはどこだ。僕が周りを確認しつつ寝る前のことを思い出していると、シャッと音を立てて壁が裂けた。

「おはようございます」

 白と黒の服を着た女が、壁の裂け目からこちらを見ている。ある種の恐怖を覚えるほどの無表情だ。女はすぐに視線を僕から外し、シャーと音を立てながら壁の裂け目を広げていく。その裂け目からは、何故か部屋の内装が見えた。どうやら、壁が裂けた訳ではなくただ単に蚊帳を開けただけのようだ。びっくりした。そして、蚊帳を開け終わってこちらを見ている無表情の女はどうしたら良いのだろう。

 とりあえず視線を合わせ、胸の前で腕を組んでみた。

「ふんぞり返ってないで、早く降りたらどうですか」

「あ、はい」

 やけに視線が高いなと思っていたら、僕は寝台を踏みつけていたらしい。どうりで足元がふわふわなわけだ。初めての感触で、何だか慣れない。ふらふらと端まで歩き、勢いをつけて飛び降りてみた。久しぶりの硬い床に鼻が猛アタックして負けた。僕の足は飾りなのだろうか。きちんとからだをささえてほしい。

「いだい゛……」

 寝台から落ちて転んだ僕を助けるでもなく見詰める女は、本当に何なのだろう。

「うぅ……よいしょっ」

 今度は転ばないようにと、ゆっくり立ってゆっくり進む。女は僕についてきた。殺意や敵意は感じられないので、とりあえず放っておくことにした。

 部屋には、寝台以外何も家具が無く、寝室だと一目で判じられた。扉が一つあったので開ける。引き戸だった。扉の向こうにはまた部屋があり、そこにはやや大きめの机と、ソファが机を挟むようにして置かれていた。応接間といったところだろうか。本棚もあった。高級品の本にしては多い方だと思う。よくは知らないけど。そして、こちらの部屋の方がさっきの寝室より華やかである。また、寝室に続く扉とは別にあともう一つの扉があったが、鍵がかかっていて開かなかった。

 とりあえず不審物や危険物はないと判断し、ソファに腰掛ける。しゅ、と音を立てて空気が抜けていく感じがした。その感覚が何だか面白くて、何回か繰り返す。しゅぅぅぅぅうっと一際大きい音を立てることができて満足した。そして、動きを止めて数秒。顔が徐々に熱を持っていく。

 というのも、僕はこの動作を終えるまでに、記憶を掘り出すことに成功していたのだ。

 その結果、どうしようもない羞恥に襲われた。

 

 何をやってるんだ!昨日の僕!疲れて抱き上げられたまま寝るだなんて、赤子と一緒じゃないか!

 

 ソファで遊んだのには、この羞恥をいなすためという目的があったりなかったりする。ちなみに、あんまり果たされていない。

「うぅ……」

 小さく呻きながら顔を覆う。指先が冷たいのか顔が熱いのかよく分からない。

 僕は、どうしてあんなことをした?いくら疲れたといっても気を抜きすぎだ。それに、あんなに深く眠ったのはいつぶりだろう。いつも、ほんの小さな音や振動で目を覚ます浅い眠りだったのに。ましてや、今日会ったばかりの人に触れられながらだったのに。緊張や恐怖を感じるどころか、何故か心地よかった。本当に、アスティルから何も感じなかったのだ。殴り合いになったら、僕なんかでは到底勝ち目のない相手で、警戒対象なのに。今までは、アスティルのような人に出会ったら一目散に逃げてきたのに。もしもの時に敵わない相手とは関わらない。それを徹底したから、今、僕がいるのに。危ないことになった時なんてたくさんあった。その教訓を活かして生きていかなくてはいけないのに。

 怖い。アスティルが怖いんじゃない。僕を生かしてきた、意識よりも深く潜る本能が揺らいでいることがどうしようもなく怖い。

 そして、その原因は、僕でもアスティルでもないという確信があった。

 じゃあ何なのか。僕は今、羞恥に苛まれながらそれを捜している。なかなか見つかりそうにないが。

「はぁ……」

 何だか酷く憂鬱な気分である。それもそうだ。よく分からないなにかに自分の根幹を揺らされたのだから、いい気分な訳がない。

 僕は顔から手を外し、天井を見上げようと顔を上げる。顔の赤らみは引いていたし、そもそも、こんなことをしても何の意味もないのだ。いくら隠したって消えることはないし、いくら目を覆っても、耳を塞いでも、そこに世界は変わらずあるのだから。

 

「え」

「あ」

 

 あれ、天井どこ行った。

「あの、えっと…?」 

 なんと、天井だと思った先は顔だった。さっきから部屋にいた女が僕を覗き込んでいる。晴れた日の空の色と目が合い、その瞳に吸い込まれそうな錯覚に襲われる。しかし僕は、そんな錯覚よりも動揺に襲われていた。この女は何をしているのだ。

「すみませんでした」

「あ、はい……」

 女が腰を折っていた体勢を元に戻す。寸分の狂いなきその姿勢は、なんだか真っ直ぐに伸びる木のようだ。でも、動きは水のように滑らかである。

「あの、あなたは何をしていたのでしょうか」

 とりあえず一番気になるところを聞いてみる。きっとそれなりに長いであろう茶髪をきつく纏めている女は、少し視線を泳がせたのちに答えてくれた。

「髪が、綺麗だったので」

「へ?」

 聞いてもよくわからなかった。

「髪の毛一本一本が芸術品のように整っていて、うねりもなくさらりと流れていく、こんなに綺麗な髪は初めてみたのです」

「え?」

 僕の髪はそんなにいいものだったか。記憶にあるのは、刃物が手に入らなかった時の伸び放題な、塵と汚れをこれでもかと巻き込んだ髪だ。

「えーっと、桶と水をください」

「何故でしょう」

「水面で髪の状態を確認します」

「そういうことでしたら、これをお使いください」

 女はベルトから下げてある袋の中から掌ほどの何かを出してきた。何だろうと思って見つめていると、それが女の手によってぱかりと開く。開かれることで初めて見えたそこに、丸く切り取られた天井が映っていた。

「鏡、ですか」

「はい」

 こんなに近くで実物を見るのは初めてかもしれない。平民が金属を磨いたものを使っていたのはよく見たが、ここまで綺麗には映っていなかったと思う。

「どうぞ」

「ありがとうございます」

 鏡に指の油が付かないように側面を挟むようにして掌へ移動させる。落とさないようにしっかりと、慎重に持つ。無事に裏面を左手に着地させることができた。そして、改めてまじまじと観察する。左手の手首を少し傾けると、丸の中に映る景色が大きく移動した。その様子が何だか面白くて、落とさないように気をつけながらいろんな角度に傾けてみる。そうしたら、女を映す角度を発見できた。鏡に映る女は、物言いたげにこちらを見ていた。

「その角度だと、私からは貴女が見えるのですが」

「え」

 おそるおそる女の方に目を向ける。鏡に映る方ではなく、本物のほうだ。目があった途端にため息を吐かれた。

「遊んでいないで、早く自分を見たらどうですか」

「……はぁーい」

 返事をして、今度は自分が映る角度を探す。

「……ん?」

 何故だろう。部屋にいるのは僕と女一人のはずなのに、見覚えのない人物が鏡に映った。これは誰だと顔を顰めると、鏡の中の人物も顔を歪める。顔を傾けると、鏡の中の人物も同じように顔を傾けた。

「あのぅ……もしかしてワタシ、薄緑の髪だったりしますぅ?」

「しますね。ちなみに眼は桃色ですよ」

「色素どうなってんの……」

 今の僕はなんと、薄緑の髪に桃色の眼という、不思議満載な色彩をしていた。しかも、変な色なのに妙に調和が取れていて、パッと見だと違和感をあまり感じない。それにしても僕は、これまでこんなに目立つ色をしていたのか。眼の色は鏡が無いと判断出来ないし、髪も今までは薄汚れていたので元の色を見たことが無かった。

「あまり見ない色ですけど、綺麗ですよ」

「あー、どうもです」

 雑に答えて、礼を言いながら鏡を女に返す。女はベルトから下げている袋へと鏡を戻した。

 その一連の動作を見て、数秒。僕は膝に額をつけることになった。

「何で急に髪の汚れが落ちてるの……?」

 女の視線が突き刺さってくるが、今の僕にはどうでもいいことだった。

「え?いつから?昨日寝た後風呂に入れられた?それで僕が起きないはずがない。でも、そうで無いのならどうやった?」

 女に聞こえない程度の声量で呟く。思考を整理するためだ。

 昨日になにかそれらしい出来事は無かったか、記憶を探りまわる。なのに、なぜか頭がぼんやりとしてしまって記憶を掴めない。それらしきものを掴みかけては霧散する。

「どうされたのですか、聖女さま」

 心配そうな女の声が降ってくる。その声に応えようと顔を上げたら、木の板に指を打ちつける音が響いた。誰かが外からノックしたようだ。

 女が扉へと歩いて行き、全くの音を鳴らさずに開ける。そして扉を開けた先にいる人に道を譲るようにして端に寄った。

「……神官長様?」

 扉を開けた先には、アスティルがいた。

「あぁ、聖女様。お目覚めになりましたか。もう昼ですが、何か食べますか?」

 穏やかなアスティルの言葉を聞いて目をまるくする。昼まで寝てたのか。

「いえ。今は食べられません」

「どうしてでしょう。体調でも悪いのですか」

「あー、ワタシ、いま食料の手持ちがなくて……昼だと運が良くないとゴミ山で食べられる物を見つけられません。夕方になって売れ残りとか、売り物にならない痛んだものを投げつけられるのを待つので、今は何も食べられません」

 ゴミ山での食料争いは激しい。食べられそうなものを見つけるだけでも難しいのに、ゴミ山では、見つけたもの勝ちでは無く奪ったもの勝ちなのだ。夕方の、腹いせで投げつけられる物の中に食べられる物が混ざっている可能性に賭けた方が被害は少ない。上手くよけないと危ない時もあるが。それにこの方法、あまり連続して使うと警邏が出てくる。しかも、僕みたいのを見慣れていない人だと事を大きくしてしまう。あの甲高い叫び声はもう聞きたくない。そんなに酷い恰好だっただろうか。ちょっと髪がザンバラで、傷口が膿んでいて、ゴミが至る所にくっついていて、虫がそばを飛んでいただけでは無いか。良いとこの貴族令嬢のお忍びにばったり出会ってしまったのがいけなかった。

 僕が苦い過去を思い出して反省していると、アスティルが酷く微妙な顔になった。苦々しく、咎めるような、言う事を聞かない問題児に向き合う時みたいな顔だ。

「聖女様」

「はい……?」

 アスティルの雰囲気が変わった。アスティルは向かいのソファに座り、僕と目を合わせる。星のような目に見詰められると、なんだか居心地が悪いような、逃げ出したいような気分になった。

「いいですか。貴女は、聖女です。聖女は神殿の頂点に立つ者であり、そして、神殿の庇護下にあります。我ら神殿は、聖女様がその職務を何にも阻まれず全うできるように環境を整える事が仕事です」

「はぁ」

「なので今、聖女様がご自分で食糧調達をすると言ったということは、我ら神殿を信用しないと言ったことや、食糧調達は神殿に出来ないと言ったことと同義です。それは、神殿への侮辱となります。聖女様にしか出来ないお役目なのでしたら仕様がありませんが、それ以外のことは我ら神殿へ言ってください。わかりましたか」

「……えっと、なんとなく?」

「今はそれでも良いでしょう。貴女は、特殊な立場にありましたから。でも、少しずつ学んでいかねばなりません」

「は、はい……」

 少しずつ顔が俯いていってしまう。でも何故だか、アスティルから目を逸らすことは出来ない。

 これが、「叱られる」ということなのだろうか。

 怒られた事は幾度となくあれど、叱られたことは一度だって無い。当然だ。叱る人がいないのだから。

「では、聖女様。私の話を聞いた今、私および神殿に言うべきことは?」

「えっと……お、お腹がすいたので、何か、たべたい、です……?」

 アスティルの顔色をうかがうように、おずおずと言う。これであっているだろうか。

 不安になってきた僕に、アスティルはフッと微笑んだ。

「よく出来ました」

 正解だったようだ。よかったぁ…と僕が胸を撫でおろしていると、頭に変な感触がした。

「えらいです」

「ふぁっ!?」

 気が付けばあの女がいつの間にか背後に来ていて、僕の頭に手を置いていた。驚いて即座に上を向けば、ふわりと慈しむように微笑む顔があった。さっきまでは殆ど無表情だったのに。

「よし、よし」

「え……あ、ちょ、やめ…」

 女の手が僕の頭の上を滑る。心地いいような気もするけれど、やっぱりくすぐったくて、アスティルと向き合った時とはまた違う居心地の悪さがある。

 これは、手をはたいて良いのだろうか。触れた途端に叫んだりとかしないだろうか。

 叫ばれた経験があるだけに、変に怯えてしまう。

 人は失敗した経験というものがあると、その事柄について苦手意識というものを持つ。無意識に離れ、関わらないようにし、自分の世界からその事柄をしめ出そうとする。それは、不必要な危険を避けるためのものであるが、時に苦手意識によって窮地に陥る事だってある。人は、意識の上では苦手意識というものを酷く厭い、無意識の下では苦手意識に順じている。

 不思議だなぁ、といつも思う。

 でもきっと、そういうものなのだ。人とは、そういうものなのだろう。

「ゲディア、一旦やめなさい」

「……はっ。すみません。失礼いたしました聖女さま」

「…………うん」

 女の顔から微笑みが消え、先程までと同じ無表情に戻った。頭から手が離れていく。さっきまで温かだったからか、さっきまで手が置かれていたところがとても冷たく感じた。

 上を向いたまま女に話しかける。

「あなたは、ゲディア、さん、というのですね」

「はい。どうぞ気兼ね無く、ゲディアとお呼びください」

「では私のことも、職務中や公的な場でない時はアスティルとお呼びください。また、職務中もどうか敬称は外してください。神官長、で結構です」

「あ、えと、分かりました。気をつけます」

 ゲディア、ゲディア……と名前を忘れないように反芻していた所に話しかけられ、少し反応が遅れた。聞いていなかったわけではないのできっと大丈夫だ。

 これまで一度に多くの人の名前を覚えた事がないので、きちんと覚えられるか不安である。まず記憶力を意識的に行使した事があまり無いため、物を覚えるのが得意かどうかもわからない。これまではそんなこと、わからなくても良かったのだ。

 不意にアスティルが立ち上がり、扉へと向かった。外に出ていくアスティルを何とは無しに見送る。そして、ゲディアの方を向いた。

「アスティルはどこへ行ったのですか?」

「おそらく厨房でございます。直に帰って来ますよ」

「そうですか。あの、ひとつ聞いてもよろしいでしょうか」

「はい。なんなりと」

 僕は、肩に擦れてしゃらりと音を立てる髪を一房摘んで持ち上げた。

「あの、髪がこうなったのがいつからか分かります?」

 僕の簡潔な問いに、ゲディアは無表情のまま淡々と答えた。

「はい。聖女様は昨日、聖堂に行かれましたよね。きっと、その時に神によって洗浄されたのだと思われます。代々、選ばれた聖女は聖堂で神からの祝福を得ると書物に記載がありますから。聖女様も、神からの祝福を得たのです。そうに違いありません」

「えっと、教えてくれて、ありがとうございます」

 そうか。あいつらがやったのか。もうちょっと別のところで祝福がほしかった。見てくれを整えるので無く、周りの環境を整えてもらいたかった。

 でも、人にとって見た目というのは大切な判断材料となる。

 あの人は優しそう、その人は怖そう。人は、見た目から印象を作り上げる。そしてその印象に基づき、相手と交友するか決めるのだ。性格が見た目とは全く違う人もいる。しかし、違わない人の方が多い。だから、人はよくこの方法を使う。それに、初めて会うまたは初めて見かけた人の内面など、誰がわかろうか。長く付き合っていたら分かってくるのかもしれないが、一人には多くの時間をかけられないことが殆どだ。

 しかし、人の内面が見えてくるのは案外おもしろいものだ。

 昔、僕にそのことを教えてくれた友人が、一人、いた。 奇跡みたいな子だった。

  奇跡は、目覚めたらもう見れない夢のように儚く散った。

  

 そういえば、ゲディアに名乗っていなかった。さっきから名前を避けるように話してくれていたから今まで気が付かなかった。

「あの、ワタシ……」

 僕がゲディアに名乗っていたか一応の確認を取ろうとしたその時、部屋の扉が開いて、アスティルが戻ってきた。

 名乗り損ねてしまった。また今度、機会があったら名乗ろう。

「聖女様、昼食なのですが……」

「なにか、問題が起きましたか?」

 少し残念だが、昼食がなくても別にいい。五日間くらいは食べなくてもどうにかなる、と僕は思っている。

「いえ、そういうわけではありません。昼食は問題なく取れます。ただ……」

「ただ?」

 なんかそわそわしてきた。アスティルがこんなに言うのをためらっているなんて、嫌な予感がする。

 僕は少しどきどきしながらアスティルの言葉を待った。

「昼食時に、王族との顔合わせを行うことになりました……」

 おうぞく

 王、族?

「えぇー……」

 やだぁ……

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

投稿いつになるかわかりませんが、次話も宜しくです。

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