第1-8話 潰れられたら困る理由って、何だ!?
目を閉じ、心を落ち着かせ、己の心の奥底に、意識を沈め、集中させる…
浮かんで来る文章とも単語の羅列ともつかない謎の文字列。ロクスケの『ファイヤーボール』の呪文…術式だ。
spell fireball(position,rmax,imax,rho,joule,ft,phit,thetat)
:
deltad=0.1
d=rmax*deltad
:
form sphere(b,position,rmax,d,i2max,nitrogen)
form ball2(a,position,rmax,rho,nmax,phlogiston,2,oxygen,1)
heat(a,joule)
c=a+b
force(c,ft,phit,thetat)
:
アゲハにもよく分からないが、単語の通りの内容だとすると、指定箇所(position)に球殻(sphere)を形成し、球(ball)を形成し、熱(heat)を与えて着火し、力(force)を与えて射出する物だろう。球殻が何故必要なのか分からないが、それ以外は、言われてみればファイヤーボールの魔法とはそういう物だ。一般的な長い詠唱を要する物でも。
ファイヤーボールの術式と一緒に、いくつかの術式も仕込まれたらしい。
spell fire()
:
form point(a,phlogiston)
heat(a,joule)
:
ヒサゴがランタンに火を点けるのに使った術式だ。ファイヤーボールの呪文と似ているが、球(ball)が点(point)になっており、力(force)が無い。点の様な狭い箇所に、小さな火を灯すための物だろう。point とやらの中身もball2よりずっとシンプルだ。両者に共通するフロギストン(phlogiston)は、普通のファイヤーボールにも出てた。
意識を、現実に戻す。アゲハが南都に来た翌々日、つまりシティアドベンチャー決行の前日、『南都』東新街区、北岸…
アゲハはフィールドに出て、実験をしていた。ロクスケの術式の実験を…
ヒサゴとロクスケの言葉が正しければ、術者の魔力が少なければ『ファイヤーボール』はそもそも打てないらしい。そして、何も考えずに『ラン、ファイヤーボール』と唱えた事で普通に火の玉が飛んだが、あの翌日にフィールドに出て誰も見ていない所で色々と試してみたのだが、確かに念じるだけで大きさも射出方向も自由自在だった。
そして今、アゲハの目の前には、円形に並べられた石と、その上に置かれた飾り気の無いヤカン、中には近くの水路から汲んだ水が入っている。そして、さっき、意識を沈めた時に見た、『ファイヤーボール』の術式の中には、『エリアファイヤー』の術式も付いていた。本来これは、広範囲の敵を炎で焼く、それだけの呪文である。だがこれはロクスケの術式だ。ならば…
(なるべく小さく、狭く、弱く…)
そう念じて、アゲハは唱える。
「ラン、エリアファイヤー。」
ボッ!そのたった一言で円形に並べられた石の真ん中に、ヤカンの真下の狭い範囲に、炎が出現した。アゲハは念じる。
(燃えろ、燃え続けろ…)
ヤカンの底を舐める炎は燃え続ける。周囲に燃え広がる事もなく。やがてヤカンからはクツクツという微かな音が聞こえて来た。しばらくして音はグツグツという激しい物に変わり、ヤカンの口からは湯気が出て来る。
炎系の魔法による湯沸かし。普通のエリアファイヤーの呪文でやろうとすると、辺り一面が火の海となり、ヤカンは瞬時に焦げるだろう。もちろん一部無意味なフレーズを含んだ長い呪文詠唱をした上で、だ。
認めざるを得なかった。ロクスケの『ファイヤーボール』の呪文書は、金貨5枚でも安すぎるのだ。
そしてその呪文書を売っている、ロクスケのスクロールショップ…立地の悪さに店主の性格も加わって、『南都』では全く認知されていないらしい。客もほとんどおらず、家賃滞納で追い出される寸前だという…
グラグラと煮えたぎって、中の蒸気で蓋がバタバタ動くのを見つめたアゲハは、顔を上げる。眼前の海峡の遥か向こうにはごつごつした岩肌が広がる。夜になると『北都』の灯りが見えるだろう。
甲高い鳴き声を上げながら海峡を北へ渡る海鳥が、アゲハには少しだけ羨ましく思えた…
※ ※ ※
※ ※ ※
そして時は再び現在、『南都』、路地裏…
「待ちなさい!!あたしはあんたに用があるの。」
盗賊が衛視に連行された後、魔術師アゲハにそう言われて、半裸の女は戸惑った。
「あ、あらぁ…えーっと…はじめましてぇ、あなたはどなたぁ…」
だがアゲハは女をキっと睨み、
「…あなた、冒険者よね!?ビキニアーマー女戦士さん!」
そう、半裸だから気づかなかったが、彼女は冒険者ギルドで会ったビキニアーマー女戦士だったのだ。ギルドの冒険者だけでは飽き足らず、こんな所でも『商売』をしていたのだ。
「こんな所で破廉恥な行為をして、あなた、ギルドをクビになるわよ!!」
「い、今更何だってぇのよ!!アタシがこういう事してるの、みぃんな知って…」
「いいえ、ギルド内で冒険者相手の『自由恋愛』ならともかく、ギルドの外で、一般人相手じゃあ問題あるわよね!?冒険者ギルド会則、『冒険者の品位を著しく貶める行為をすべからず』。知らないとは言わせないわよ!!」
「くっ………」歯噛みするビキニアーマー女戦士。『自由恋愛』で日銭を稼ぐ事が常態化した結果、タガが外れてしまったのだ。
「あ、あんた…アタシを訴えようっての!?」
「いいえ、その必要も無いわ。これをご覧なさい。」
そう言って彼女は胸元の深い谷間から下げていたものを取り出す。冒険者のタグだ。しかも…
「ランクB………」ヒサゴが言った。彼女自身、初めて見た、ランクB冒険者のタグだった。アゲハは続ける。
「あたしは、ランクB冒険者の特権で、問題行動を起こした冒険者…つまりあんたを略式で身柄を拘束する事が出来るの。」
「こ、今回だけ、たまたまよ!!行きずりの男と、いい雰囲気になって、ね。ま、まさかあんな奴だとは知らなかったの…」
「嘘だな…」
水路にかかった橋の向こうから声がして、チュニックを着た男が歩いて来た。ロクスケだ。
「その女はここ数日毎日昼夜問わず、その家でヤってたぞ。俺の店はこの家の裏だから、その女の声がうるさくてしょうが無かったぜ…」
ロクスケの呪文屋で聞こえていた猫の鳴き声の様な物は、ビキニアーマー女戦士の声だったのだ。
「証人もいるし、ギルドは間違い無く動くわ。あんたもう終わりよ。」
アゲハが言うと、レッカが、
「せめて服だけは着させてやる。さっさと準備しな。」
そしてアゲハが畳み掛ける様に、
「あんたのせいで他の女冒険者もみんなあんたみたいだって思われると迷惑なのよ!!覚悟しなさい!!」
女はその場にガクっと座り込み、天を仰いで、叫ぶ。
「畜っ生ぉぉぉぉぉ〜〜〜〜〜っ!!」
※ ※ ※
全てが終わった後、アゲハ達3人は再び路地裏に集まっていた。
「クエスト・コンプリート!あー気分いい〜〜〜!!まさかあんなおまけまで付いて来るなんて、あんたもやるねぇ、アゲハ!!」
上機嫌のヒサゴが言った。彼女もレッカもビキニアーマー女戦士を快く思っていなかったのだ。
「それにしても…小火騒ぎを起こせば大事なブツを抱えて家から炙り出せると絵を描いてたけど、ランクBの魔法使いってのはここまで出来るのかねぇ。」
家の側にはごく狭い範囲で何かが燃えた跡があった。ヒサゴに言われたアゲハが、煙の出る絶妙な火力で炎の魔法を使い、しかも周囲の家屋には燃え広がらない様に完璧に操作したのだ。おまけに風魔法まで使って煙を明り取りの窓へ流れ込ませたのだ。アゲハの魔力操作も見事だが、ロクスケの呪文書がそれを可能にしたのだ。
「それじゃあアゲハ、今度はあたい達があんたの言い出した事に付き合う番だね。」
そう言われてアゲハもにっこりと微笑み、
「そうね。明日から、よろしくお願いするわ…」
握手を交わすアゲハとヒサゴを物陰から見守っていたロクスケは、無言でその場を後にした…
※ ※ ※
夜、ロクスケのスクロールショップ…
ギィ… ドアが軋む音がして、大家の老婆が入って来た。ロクスケはそれに見向きもせずに奥のカウンターで呪文書を書いていた。これがいつもの事なのか、構わずに大家が言う。
「アゲハ、だっけ!? あの娘に感謝しな。」
「ああ………」
アゲハは今回のクエストの報酬の、自分の取り分を返上し、ロクスケの滞納している家賃の支払いに充当したのだ。
「それにしてもどうして…あの子達に頼んだクエストに、あんたは関係無いだろうに…」
アゲハはロクスケに、風系魔法のスクロールの購入と、先に述べた滞納家賃の支払いを条件に、ビキニアーマー女戦士の、あの家での行為の証言をさせ、ロクスケはそれを二つ返事で了承したのだ。
「あの女の声には、俺も迷惑してたからな…」
ロクスケはそれだけ答えた。
「…ま、あんたは魔法の呪文屋で、あの娘は魔法使いだ。あの娘がこのままあんたの上客になってくれて、あんたが家賃をきちんと払ってくれる様になりゃ、アタシもあんたを追い出さずに済むさね…」
それじゃ、邪魔したね…そう言い残して、大家はスクロールショップを出て行った。大家が去った後、ロクスケは思い出していた。昨日、アゲハから家賃の支払いとスクロールの購入を条件に証言をする様に言われた後の事を…
※ ※ ※
「何故だ…!?」
ロクスケは問うた。自分は彼女等のクエストとは無関係な上に、アゲハにそこまでしてもらう謂れは無い。だがアゲハは、手に持ったスクロールを見つめたまま、短く答えた。
「あたしには、これしか道が無いの…」




