第2-9話 聖女の涙って、何だ!?
翌朝、ロクスケのスクロールショップ………
ガチャっ…「ロクスケ様…!?」
入口のドアを開けたが、ロクスケの声は無い。いや、正確には、激しい咳なら聞こえて来ていた。
「ゴホ!ゴホゴホっ………!!」
「ロクスケ様!?ロクスケ様!!」
カウンターの中を見ると、長椅子に横たわるロクスケが、激しい咳をしていた。顔が赤く、熱もある様だ。
「まさか…ロクスケ様まで、流行り病に…!?」
この店の人の出入り具合を考えれば、無理からぬ話だった。カウンターの上を見ると…スクロールが置かれている。どうやら彼はやり遂げた様だ。
「ロクスケ様………」
心配そうにロクスケの枕元に座り跪き、彼の顔を覗き込むキュリア。
「………」
ゆっくりと目を開けるロクスケ。熱にうなされ、朦朧とした意識の中で、聞こえて来た若い女性の声に、病に侵されて心細くなっていたロクスケは、呟いた。
「アゲ………ハ………」
一番、会いたい女性の名前を………
「………っ!!」
ロクスケが自分を、他の誰か…若い女性と見間違えている事と、ロクスケが話していた、この店の『協力者』の存在、女の手によるあの手紙…全てを瞬時に察したキュリアは、伸ばされたロクスケの手を握り、囁いた。
「………アゲハ、ですわ…あなたのお傍に、参りましたわ…ロクスケ様………」
禁忌とされている嘘を…
「おお、おお…アゲハ………」
弱々しくも嬉しそうに呟くロクスケだったが、不意に握られた手を振り払い、
「だ、駄目だ!僕に近づいてはいけない!!お前にまで、流行り病を感染してしまう!!」
(ああ…ロクスケ様は、そこまで、アゲハさんの事を………)
それを察したキュリアは、
「ロクスケ様…私は、大丈夫ですわ…ですから、ロクスケ様も、どうかゆっくりと、お休みになって………」
キュリアの瞳から、一筋の涙が零れ落ちた…
咳き込むロクスケを長椅子に横たえると、涙を拭いながらキュリアは、カウンターの上のスクロールに目を向ける。頼んでいた名前も、ちゃんと考えてくれた様だ。しかし、この名前は………
「ロクスケ様…本当にひどいお方………」
※ ※ ※
数刻後、ロクスケのスクロールショップから出て行くキュリアの姿があった。店内のカウンターには、白紙になったスクロールと、長椅子には、寝息を立てるロクスケ。
もう、咳をしていなかった………
※ ※ ※
『南都ラフカディオ神殿』…
病人と、死体と、死を待つ者達に溢れ、今、神官達の心の支えだったオーウェン高司祭までもが失われようとしている、誰も彼もが俯く中、一人、前を向いて歩く者の姿があった。
「き…」「キュリア………」
キュリアが歩く先、廊下に溢れていた泣き崩れる神官達が、まるで海が割れる様に左右に動いて道を作る。向かう先は、オーウェン高司祭の病室。
「きゅ、キュリア!?あなたは破門だと言ったはずですよ!!今すぐ出て行きなさい!!」
キャロライン司祭長の言葉に目もくれず、キュリアはオーウェンの病床の傍らに跪き、激しく咳き込む老高司祭の胸に両手をかざし、両目を閉じ、そして、
術式を走らせる。
「ラン、セインツティアー!!」
パァァ… オーウェンの身体が柔らかい光に包まれる。
「何をするのです!?やめなさ…」
キャロライン司祭長の台詞は途中で途切れる。あれだけ苦しそうだったオーウェンの咳が止まり、目を開け、ゆっくりと上体を起こしたからだ…
「お…」「オーウェン師父様………」
廊下にいた神官達も、開いたドアからその様子を覗き込んでいた。
「キュリア………これは、君が治してくれたんだね………!?」
オーウェンの口調に普段と変わらぬ強さを感じた神官達が「治った…!?」「師父様が、完治…!?」と呟く中、キュリアは、
「私一人の力ではありませんわ…路地裏通りの呪文屋の、ロクスケ様の術式のお陰ですわ…」
「ロクスケ…」
オーウェンがその名を反芻する間に、キュリアは皆が覗き込むドアを潜る。
「キュリア………行くのかい!?」
キュリアは振り向いて、
「はい………」
「あまり無茶をするんじゃあ無いよ。後で君のご両親に怒られるのは僕なんだからね…」
「師父様、どうか、お健やかに………」
そう言い残して、神殿を後にした…
「キュリア余計な事を!おまけに呪文屋の呪文に手を出してしまうなんて!!ああ口惜しやオーウェン様、あの不信心者のせいで、ラフカディオ様の御許へ行きそびれてしまうなんて!!」
キャロライン司祭長がわめく中、オーウェンはゆっくりとベッドから立ち上がる。
「お、オーウェン様!?どちらへ!?」
オーウェンは前を向いたまま、
「墓の中に入れないなら、僕は生きていかなきゃね。そして、僕達にとって生きると言う事は、人の病や傷を癒すと言う事だ。」
そう言って病室から出て廊下を歩いて行くオーウェン。残された神官達は互いに顔を見合わせ、まず若い者達が、次いで高齢の者達が、男も、女も、連れ立って、オーウェンの後を追って出て行った。後に一人残されたキャロラインは、
「あ、あなた達!!戻って来なさい!!この、不信心者!!!!!」
※ ※ ※
やがて、オーウェン高司祭とその一行がたどり着いたのは、路地裏通りのロクスケの呪文屋。
バタン 入口のドアを開けると、カウンターの中には物書きをしているロクスケが、
「いらっしゃい…」
オーウェンはカウンターに歩み寄ると、ロクスケの顔をじっと見つめて、
「僕の事を覚えているかい…!?」
「…俺が『ラフカディオ神殿』を破門される時、最後まで庇ってくれたおっさんだな。でも、こんなにじいさんだっけ!?」
オーウェンは苦笑し、
「あの時の子供がこんなに立派になったんだ。それと同じ時間が、僕にも流れたよ…」
それから、カウンターに置かれた数巻のスクロールの1つを手に取る。表紙に書かれていたのは、
"|Saints'《セインツ》 Tear"
「これだね…!?今、『南都』に蔓延している病を治せる呪文は…」
オーウェンにそう言われて、ロクスケは左の壁の対状態異常魔法の棚を指さし、
「出来ればあっちにある、『アンチアブノーマリティ』の術式も一緒に買って、同じ名前の術式を毎日かけてくれ。そうすれば、術者が流行り病にかかる危険性が低くなる。」
「ふむ…では、普通の『ヒール』も一緒にもらおうか…」
カウンターの上に3巻のスクロールが並べられる。『ヒール』と『アンチアブノーマリティ』がそれぞれ金貨5枚、『セインツティアー』が金貨3枚。
「年寄りの蓄え、あまり余裕は無いが…」
オーウェンがカウンターに13枚の金貨を並べたが、ロクスケはその内の1枚をオーウェンに返す。
「ろ、ロクスケ君…!?」
ロクスケはカウンターから立ち上がり、宣言する。
「今日、この時、この場にいる『ラフカディオ神殿』の神官に限り、『ヒール』、『アンチアブノーマリティ』、『セインツティアー』の3本セットで、金貨12枚とする!!言っとくがこれはお前等だけだ!!誰にも言うな!!」
わああああっ!! 路地裏の呪文屋から歓声が上がる。
「さっきまで寝込んでたせいで、『セインツティアー』は既に出来上がっている物はここにあるこれだけだが、早い者勝ちだ!!他の者の分は、これから書くから待っててくれ!!」
こうして、ロクスケの術式を覚えたオーウェン高司祭をはじめとする神官達が『南都ラフカディオ神殿』に戻って来ると、さっきまで流行り病に侵されていた者達が次々と健康体になって神殿を出て行った。そして帰った先で噂が広がると、翌日から、『ラフカディオ神殿』は流行り病の患者が列を為す様になり、その者達もまた、病を癒して帰って行った。
彼等、『南都ラフカディオ神殿』の神官達と、『南都』の至る所で見受けられた、ふらりと現れては流行り病の患者を癒し、またいずこかへと去って行く、修道服姿の女性の尽力によって、『南都』の流行り病は、程なくして終息を迎えたのだった。
多くの人を救えなかった事が罪なら、より多くの人を救う事で償うが良かろう。
※ ※ ※
数日後、『南都』、東の第二門付近の荒野………
1人の女性が、第二門から歩いて来た。その僧衣からすると高位の司祭で、手には、長い棒を杖代わりについている…
荒野から走って来た1台の馬車が、女性とすれ違う。御者席で手綱を握る、鎧姿の女戦士が、
「あのー、この先、一人歩きは危ないですよー!?」
だが女性はその言葉に振り向きもせず、
「『南都』は…もうお終いだ………『南都』は…病に侵されている…」
「変だなあ…流行り病はもう落ち着いたって聞いたのに…」
女戦士の隣の、革鎧を着た童顔の女性が呟く。
僧衣の女性は、馬車とすれ違った後も、東へ、東へと歩きながら呟く。
「『南都』は…堕落してしまった…『南都』は…じきにラフカディオ様の天罰が下る…」
それから女性は、はるか東…今ではモンスターの巣窟に成り下がった『奧都』を見やり、
「『奧都』こそ、総本山こそ、私の真の居場所!!私はそこで、今度こそ、ラフカディオ様の御許へ召されるのだあああぁぁぁ~~~っ」
キャロライン司祭長は、『南都ラフカディオ神殿』から姿を消した…
一方、『南都』へ向かう馬車からは3人目の女性…ミニスカートにヘソ出しビスチェの魔術師が、とんがり帽子のつばを上げて、目の前に広がった第二門を見上げ、
「久しぶりの『南都』ね………」




