幸せの終わり
ねえちゃんは灰被りの聖人として、教会に迎えられた。
灰被りの呼び名には嘲りも含まれていたけれど、あたしに灰を被ることを言いつけたねえちゃんが、あたしだけを灰被りにするわけにはいかないと、毎日二人で灰を被った。
教会も最初こそ見目の悪さから渋い顔をしていたが、質素な服装に灰を被った様子は、敬虔な聖人としてのパフォーマンスに一役買ったらしく、次第に自分たちで用意しなくても、部屋に灰を用意してもらえるようになった。
その灰は自分たちで焼いたものとは比べ物にならないくらい上等な灰で、灰一つとってもこんな格差があるものなのかと、笑えてしまった。
当代一の聖人と呼び声高いねえちゃんは、教会から言われるままに力を使い、あたしには決してその力を使わないよう、きつく言い含めた。
髪と瞳の色も人に見られないよう、ローブを深く被ってねえちゃんに付き従うあたしは、灰被りの付き人として人々の嘲笑を集めたが、そんなのどうでも良かった。
ねえちゃんの言うことを守れなかったあたしのせいで、ねえちゃんはその力を酷使させられている。
これ以上の悪い結果を引き寄せたくなかったあたしは、バカにされても、笑われても、人前では絶対にローブを下ろさなかったし、力も使わなかった。
灰を被っただけでは隠しきれない美しさに、他と一線を画す強い力と、人々に寄り添う精神で、民衆の心を掴んだねえちゃんは、気づけば第一王子の妃になることを約束させられた。
本当にバカバカしい。
聖人を娶ることで他の王子より立太子に近づけると思っているらしい第一王子は、頭にオガクズでも詰まってるのかな。
ねえちゃんは聖人としての働きをしながら、王子妃としての教育も受けることになった。文字通り、寝る間も無く働き続けるねえちゃん。
教育を受けたその全てをあたしに教えてくれるねえちゃん。いくら教えられたって、大雑把なあたしには、ねえちゃんみたいに上品な言葉遣いも所作も、できっこないのに。
「これはリリーの役に立つから」
と、根気強くなんでも教えてくれたねえちゃん。
どんどん所作が洗練されていくのと引き換えに、どんどん精彩を欠いていくねえちゃん。
あたしはねえちゃんに何度も訴えた。もう逃げようと。こんな国で言われるままに酷使されていたら、ねえちゃんが死んでしまう。好きでもない王子と結婚して国に縛り付けられるのも、そんなのおかしいと何度も言った。
けれど、ねえちゃんが頷くことは一度も無かった。
「一度その力を知られた聖人は、たとえ逃げ出したところで、必ずまた囚われる。どこへ逃げたって、追われる立場であることは変わらない。教会は力があるから、まだ守ってくれる。けれど逃げ出した先で囚われる集団が、守ってくれるとは限らない。お願いよ、リリー。私のことは構わないの。あなたが平穏に暮らせる環境を、壊したくないのよ」
あたしはバカだ。
ねえちゃんはこんなに、あたしのことを考えてくれてたのに。言いつけだって、あたしがトラブルに巻き込まれないよう、教えてくれてたのに。
あたしが軽率に孤児に力を見せつけたせいで、ねえちゃんは今、どうなってる?
日を追うごとに顔色の悪くなるねえちゃんを見ながら、だけどあたしには何もできなかった。
ただ毎日灰を被り、フードを深く被って付き従い、ねえちゃんが寝る前にこっそりと癒やしをかけるだけ。それも焼け石に水でしかなかったけど。
あたしにできることは、なんだろう。なにができたんだろう。
違う、何もしなければ良かった。あのとき、孤児に力を見せなければ。ねえちゃんがあいつを突き放した意味をもっと考えていれば、そうすれば。
ねえちゃんがこんなに、憔悴することもなかったのに。
ぜんぶ、ぜんぶ、あたしのせい。
ねえちゃんは聖人として駆けずり回り、文字通り身を粉にしてその力を振るった。
最初こそ、ねえちゃんの力を有難がっていた民衆は、次第にねえちゃんに不満をぶつけるようになった。
「もっと強い加護をくれないか?」
「大きな結界を張って欲しかったんだが、できないのか」
「魔獣が寄ってないよう、退魔をしてほしい」
聖人は万能ではない。
もちろん、何もできない人に比べれば、格段にいろんなことができる。だけどそれでも、できないことだってある。
通常、聖人と言っても、治癒が少しできるだけでもすごいことだ。だいたいの聖人は、このタイプ。
たまに、浄化ができたりするくらい。ほとんどの聖人が、加護も、結界も、退魔もできないと知ったのは、教会に入ってからだった。
その基準で考えれば、あたしがイレギュラーだというのは、嫌ってほどわかった。
ねえちゃんは加護も結界もあたしより弱いけど、他の聖人に比べれば、できるだけでもすごいのに。治癒と浄化については他の追随を許さないくらい、ダントツの力がある。
退魔はできないけど、それは他の聖人だってできてないんだから、ねえちゃんだけを糾弾するのは間違ってる。
なのに、なのに。
「やっぱり王子様と結婚する人は、平民のことなんてどうでもいいんだろ」
「あーあ。元は孤児のくせに、力を持つと驕るんだな」
「聖人なのに、民を助けてくれないのか」
気づけばねえちゃんは、助けてるはずの民衆からも恨まれるようになっていた。
わけがわからない。ねえちゃんは満足に睡眠時間も取れないまま、聖人として駆けずり回り、王子妃教育とかいうくだらない講義まで受けて。
比喩でなく、命がけで働くねえちゃんを弾劾する民衆に、殺意が芽生えた。
あたしがふつふつと殺意を滾らせる度に、ねえちゃんは言った。
「リリー、気にしないで。私はあなたが平穏に暮らせるなら、それ以外はどうでもいいの。どうかお願いだから、短慮な行動だけは起こさないでね」
すっかり顔色を失くした、紙のように真っ白いねえちゃんに言われてしまえば、あたしにできることは、震えるくらいの怒りを、なんとか堪えることしかない。
どうして、ねえちゃんばかり。
あたしは、助けてもらったくせに掌を返す民衆が大嫌いになった。
でも、本当に一番嫌いなのは、全ての原因を作って、だけどなんの役にも立たないあたしが、心底大嫌い。
そして、運命の日。
ねえちゃんは王子を誑かし、民衆を疎かにした魔女として、火刑に処されることになった。
本当に、意味がわからない。ねえちゃんは王子と顔を合わせたことも数回しかないし、誑かそうとしたことだってない。
それに、民衆のためにと身を粉にして働いてきたねえちゃんが、民衆を疎かにするなんて。言いがかりにも程がある。
ねえちゃんとその付き人であるあたしは地下牢に放り込まれ、ねえちゃんの火刑を待つことになった。
「ねえちゃん、逃げよう。もう、無理だよ。あたし、これ以上我慢できない。二人ならなんとかなるよ、だから、」
「リリー」
必死に言い募るあたしに、ねえちゃんは困ったように笑った。
「落ち着いて、リリー。仕方がなかったの。強い力のある聖人は、皆こうなるのよ。これまでも、これからもね。だから、仕方ないの。あなたを残していく私を、どうか許してね」
諦観と覚悟が浮かぶヘーゼルの瞳は、あたしの反論を許さない色をしていた。
「リリー、ごめんね。愛してるわ、誰よりも。あなたを守ることができるなら、私はどんな目に遭っても怖くないの」
薄汚れた地下牢の中、あたしはねえちゃんに抱きしめられて、そのまま意識が遠くなった。
これは、治癒の応用だ。痛みを誤魔化すために、意識を曖昧にするもの。あたしはどれだけ教えられても上達しなかったが。
やっぱりあたしのねえちゃんは、すごく、すごい。
あたしが意識を取り戻したときには、全てが終わっていた。
ねえちゃんはその身を差し出し、あたしの身柄を保護してくれるよう、看守に頼んだらしい。
文字通り、身を挺して。
あの薄汚れた地下牢で好きでもない男に純潔を散らされ、たくさんの男の相手をさせられたねえちゃんは、その汚れた格好のまま、火炙りにされた。
国を陥れた魔女として、似合いの姿だったそうだ。
魔女が処刑されて良かったと心から思っているらしい看守から話を聞いて、その瞳を見た瞬間、あたしはねえちゃんが黙って火刑を受け入れた理由を理解した。
あたしを逃がすためだ。
看守の瞳には、魅了の色が残っている。これは、ねえちゃんの術。
たしか、浄化の応用で、良くないものを追い払う際、言うことを聞いてもらうために使うものだった。
きっと男の相手をしながら、こっそりと力を使ったんだろう。それを誤魔化すためにも、男に体を開いたんだ。
ねえちゃん、ねえちゃん。
絶対に人には使っちゃいけないと言ってたのに、ねえちゃん、あたしのために。
ねえちゃんはいつだって、あたしのことばかりだ。
看守にこっそりと地下牢から逃してもらったあたしは、真っ直ぐにねえちゃんが火炙りにされた広場へ向かった。
そこにはまだ疎らに人が残っていて、ねえちゃんの最期の様子を口々に囁いていた。
「薄汚れた魔女のくせに、最後の歌は本物の聖人みたいだったな」
「歌だけは、な。だけど見たかよ、あの格好。きっと直前まで男に股を開いていたんだ、穢れた魔女め」
「あんな女だ。果たして本当に聖人だったか怪しいもんだ」
「あの歌、全てを灼き尽くすように、まるで炎を操っているようだったな」
その話を聞いて、目の前が真っ黒に塗りつぶされた。
ねえちゃんは髪色がバレないよう、きっと浄化の炎を使ったんだ。残された遺体から髪色がバレたら、あたしが追われることになると、知っていたから。
だから、唱った。炎の歌を。全てを灼き尽くすために。髪色も何も、わからなくなるように。
ぜんぶ、ぜんぶ、あたしのために!
震えるほどの怒りを堪え、辿り着いた広場には、まだ色濃く肉の焼けた臭いが残っていた。
ねえちゃんが縛り付けられていたと思われる丸太には、人の形に焦げ跡が残っている。
燃え残っているこの木はきっと、ナナカマドの生木だろう。よく乾燥した木を使ってくれたら、早く楽になれただろうに。その慈悲すら、与えられなかったのだ。なぜ?
ねえちゃんが、何をした?
民衆のため、王子妃となるため、文字通り、身を粉にして働いてきた、ねえちゃんが。
どうして、こんな目に遭わなければならない?
ねえちゃんを殺したのは、誰だ?
神経が昂り、感覚が研ぎ澄まされる。集中すると、欲しいと思う情報が耳へ流れ込んできた。
「あの聖人は邪魔だった。王子妃になるのはわたくしだというのに、民衆の心まで掴んで、忌々しい。殿下も王太子になれるなら聖人は必要ないと仰ったし、火炙りがお似合いよ」
「あれは平民にしては美しかったが、灰被りなどと呼ばれる娘を娶るのは我が名誉に関わる。それに聖人を娶ると側妃を迎え難い。やはり貴族との婚姻が無難だな」
「あぁ、なんということだ。間に合わなかった。聖人様は火炙りに処されてしまった。あのように清らかな人が魔女なわけがない。兄上を止めることができていれば……」
「いくら聖人としての力が強くとも、所詮は平民だ。一人死んだところで、代わりなど掃いて捨てるほど居るだろう」
それは王宮から聞こえた声たち。なるほど、ねえちゃんが火炙りにされたのは、こいつらのせい。
許さない。この国も、民衆も、教会も。
あたしからねえちゃんを奪ったやつらを、絶対に許さない。
力が、必要だ。
ねえちゃんを取り戻すには、あいつらに復讐するには、何をするにも、力が。
絶対的な力が。
雲行きが怪しくなり、暗くなってきた。もうすぐ、一雨来そう。まるで、あたしの心情を表すようだ。
あたしは何を代償に支払っても、ねえちゃんを取り戻すと決めた。
余談
「おい、べつに悪くないやつが混じってなかったか?」
「悪くないわけ、ないでしょ! あんなの偽善者の言い訳でしかない。権力者が行動すれば、火刑なんて残酷なこと、回避できたかもしれないのに。何もしなかったやつも、同罪だよ」
「それは詭弁では……」
「だって! 権力者の発言一つで平民の首が飛ぶなら、その発言で火刑が取り消しにだって、できたでしょう!」
「……そうだな」
リリーは実現する力があるのに、行動しないやつが大嫌い。




