最初で最後のやり直し
「リリー、起きて」
聞こえてきた声に、微睡んでいた意識が覚醒する。ずっと、ずっと聞きたかった、ねえちゃんの声だ!
優しく揺り起こすねえちゃんの手は、温かい。生きてる!
「ねえちゃん!!」
がばりと起き上がったあたしに、最後に見たときよりずっと若いねえちゃんが、驚いたように目を丸くした。
「まぁ。今日のリリーは、とても寝起きが良いのね」
優しく笑う、顔色の良いねえちゃんを見て、あたしは堪えきれずに泣き出した。
起き抜けから抱きついて、わぁわぁと号泣するあたしに呆れることもなく、ねえちゃんは優しくあたしの背中を撫で、落ち着くまで抱きしめてくれた。
ねえちゃんらしいその優しさに、あたしはやっぱりますます泣いてしまった。
あたしはしゃくりあげながら、こっそりとねえちゃんの様子を窺う。あの紙みたいに真っ白だったのが嘘みたい。いや、まぁ実際無かったことにしたんだけど。
地下牢で見たときより、かなり若い。どのくらい遡ったんだろう?
……というか、ここまで遡らないと死亡ルートを回避できないってどういうこと? 神様まじなんなの? 教会に尽くした聖人になんという仕打ち。許さない。やはり信者は根こそぎいただきます。
「怖い夢でも見た? 大丈夫よ。私が絶対、リリーを守るわ」
ねえちゃんが死ぬ前にも何度も聞いた台詞に、あたしはまた涙が込み上げる。
だめだよ、ねえちゃん。あたしなんかのために、ねえちゃんが犠牲になっちゃだめなの。
だって、ねえちゃんが居ない世界なんて、生きてたって意味無いんだよ。
「ねえちゃん、だいすき」
ぐずぐずと鼻を啜りながら、ねえちゃんの温かい体にしがみつくあたしを、ねえちゃんはやっぱり、優しく抱きしめてくれた。
この温もりを、絶対に守り抜いてみせる。
「リリー」
知らない声があたしを呼ばう。けどこの声、なんとなく聞き覚えが、あるような……?
渋々ながら顔を上げると、そこにはローワンが立っていた。遡る前より、やっぱり若い。ねえちゃんよりも若いけど、あたしより少し年上くらい。
美形は幼少期から美形なんだな。本物の美少年とは彼のことを呼ぶのだろう。
「温かいお茶でも飲んで、落ち着くと良い」
そう言って差し出されたお茶は飲みやすい温度になっていて、言われるままに飲むと、少し落ち着いた。
「ローワン、ありがとう。リリー、落ち着いたら朝食にしましょう」
ねえちゃんがあたしの頭をポンと撫でて、キッチンへ向かう。あたしはねえちゃんがあっさりとローワンを受け入れていることに戸惑っていた。
なんか、ずっと前からの知り合いみたい……あ、ローワンが一緒に居てもおかしくないよう、何かしてくれたんだろうか。
ねえちゃんが離れてしまうと、ローワンは当然のようにあたしのベッドに座った。
ちょっと! 仮にもレディのベッドなんですけど……あ、悪魔にそういう概念は無いのか?
「リリー、気分はどうだ」
「混乱してるけど、ねえちゃんが居るだけで最高の気分」
「……それは良かったな」
うっとりと目を細めるあたしを見たローワンは、少し変な顔をして一つ頷いた。美形はちょっとした仕草まで様になってるのに驚く。これでカッコつけてるわけじゃないの、理不尽だなぁ。
「ありがとう、ローワン。ねえちゃんに抱きしめてもらっただけでも、契約して良かった。このままねえちゃんが死なないよう、協力してね」
「オレは契約を遂行するだけだ」
ローワンには、ねえちゃんが生きてるだけで満足してしまうあたしの気持ちはわからないらしいが、それもそうか。
悪魔にはきっと、あたしからねえちゃんへの気持ちのようなもの、存在しないだろうし。
「それで、ざっくりとで良いから、現状の報告を聞きたいんだけど」
居住まいを正し、あたしはローワンに問いかける。
とりあえず、どのくらい遡って、ローワンの存在をどうやって誤魔化したかだけでも、聞いておきたい。その他については正直、どうでも良い気はしている。
ローワンはそんなあたしの心境を察知したのかなんなのか、一つ溜息を吐いてから、説明してくれた。
「リリーが確実に姉を救いたいと願っていたから、念の為にも長めに遡ることにした。不安要素は潰しておいた方が良いからな。オレはリリーが迷子になったときに見つけた孤児ということにしてある。リリーがオレに懐いて離れないから、一緒に居ることになったとアマリリスには認識させている」
淡々と説明するローワンは、やはり頼りになる。悪魔って本当に万能だな。便利すぎる。
「ところで、あたしって今、何歳なの?」
「……六歳」
つまり、約十年遡ったわけだ。ねえちゃんが十四歳だから、まだ成人前だし、教会に入るまでも猶予がある。
「ローワンは、あたしより少し年上っぽいよね。でもねえちゃんよりは年下だから、ねえちゃんとあたしの間くらい? あたし、ねえちゃん以外の言うこと聞くの腹立つから、ローワンが年上すぎなくて助かってる」
「そうだろうと思って、この見た目にしたんだ」
「悪魔ってなんでもわかるんだね。すごい」
「……リリーが、わかりやすすぎるんだ」
それもそうか。
でも、契約者であるあたしのこと、すごくわかってくれてるのは、とても助かる。たった一人(悪魔ってどう数えるんだ?)の共犯者だから。
「それじゃあ、ローワン」
にんまりと口角を上げるあたしを見たローワンは、怪訝な顔をして首を傾げるが、それすら様になってるのだから、やはり美形は得だなぁ。
「とりあえず、さくっと魔王になろうか!」
きょとんとした顔も美しいのだから、美形は何をしても美形なのである。
「あたし、聖人になる」
朝食のために三人で食卓を囲みながら、あたしはハッキリと切り出した。いきなりすぎたかもしれないが、早いか遅いかの違いだし、まぁ誤差の範囲内だろう。
案の定、ねえちゃんはポカンとして、手に持っていたスプーンを落とした。カラン、と音を立てて皿に落ちたスプーン。テーブルマナーに厳しいねえちゃんにしたら、ありえない失態だが、それだけ驚いているんだと思う。
たっぷり三十秒ほど絶句したねえちゃんは、はっとしたように口を開いた。
「リリー、何を言ってるの? 聖人って……だめよ、危険すぎるわ。教会がどんな場所か、わかっているの?」
さすが物知りなねえちゃんは、やはり教会に行く前から、あそこがどんな場所かを理解していたらしい。
なのに、あたしのために聖人であると名乗り出たんだ。ほんと、あたしって、バカ。
「聖人にはなるけど、教会には行かない」
きっぱりと教会に行かないことを断言すると、ねえちゃんは混乱したように首を傾げた。
「ど、どういうこと? 教会に行かないで、聖人になるの?」
基本的に、聖人とは教会に所属して力を使う人の総称である。
聖人の力がある人は残らず教会に集められるから、結果的に教会に所属する以外の聖人が居なくなるだけで。べつに教会に所属しなくても、聖人にはなれる、はずだ。理論上は。
「あたし、巫女になるの」
「巫女……?」
ねえちゃんは、ますます混乱しているようだ。それもそうだろう。巫女だなんて、もう何百年も現れていない、伝説の存在だから。
「あたしね、神託を授かったから、新しい神様を祀ろうと思うの」
混乱していたねえちゃんは、あたしの言葉に体を強張らせてから、ゆっくりと問いかけた。
「神託……?」
「そう。夢をね、見たの」
もちろん、嘘っぱちである。しかし、ここでねえちゃんを納得させることもできないなら、新しい神様なんて広められない。
なんとしても納得してもらわなければ! と意気込んだものの、肝心のねえちゃんを見れば、絶望したような顔でぼんやりとテーブルを見つめていた。
「夢で、神託……リリーは、本当に、巫女に選ばれたのね」
ぽっかりと開いた真っ暗な穴みたいな瞳は、見たことないほど暗い色をしている。
ど、どうしよう。思った以上に納得させられたみたいだけど、さすがにちょっと罪悪感が……。でも、ここで訂正するのも違うし……うぅ、心は痛むが、仕方ない。
「あたしが、新しい神様を祀って、たくさんの人を救う聖人に、巫女になれば、もう人目を気にして隠れるように生活しなくて良いでしょ? きっと、ねえちゃんとローワンが居れば、あたしも頑張れると思うの」
胸の前で手を組み、精一杯の巫女らしい仕草でねえちゃんを見れば、ねえちゃんは涙ぐんでいた。
「リリー、ごめんなさい。私にもっと力があれば、覚悟があれば、こんな生活はさせなかったのに。あなたにそこまで思わせてしまったなんて、本当に不甲斐ないわ……」
「違うよ、ねえちゃん。あたしは、あたしが思ったことをするの。たしかに夢は見たけど、それでも、あたしが選んだの」
もちろん、嘘っぱちである。いや、夢は見たのか。最低最悪の、悪夢だけど。
あんな結末なんて、絶対に認めない。どんな手を使っても、必ずねえちゃんを守ってみせる。そのためには、やっぱり、力が必要だから。
「リリー……わかったわ。私にできることなら、なんでも手伝うわね」
小さく頷くねえちゃんの笑顔に、あたしがどれほど救われているか、なんて。きっとねえちゃんには、わからないんだろうなぁ。
「ありがとう、ねえちゃん」
さて、手始めに。魔王様を祀る準備をしようか。
巫女とは、今の教会ができる際、神託を受けて人々を導いた聖人のことだ。
もう何百年も昔、諍いに疲れ果てた人々を癒やし、導き、神託に従い、教会を設立した。
聖人は珍しいが、そこまで珍しいものでもない。だけど巫女は違う。
教会が設立されてから数百年、一度も現れて居ないのだ。伝説の存在である。
だからこそ、あたしは巫女になる。
絶対、ローワンを魔王に押し上げるためにも。誰にも負けない力を得るためにも。
その他と一線を画すためにも、ただの聖人ではなく、巫女になる必要がある。
そのためには、使えるものはなんでも、すべて使う。
まずあたしは、長く伸ばしていた前髪を切った。それはもう、ざくざくと。
ちょっと切りすぎて眉上になったあたしの前髪と、顕になったあたしの瞳を見て、ねえちゃんは悲鳴を上げた。
「リ、リリー?! どうしちゃったの!」
驚きすぎて、忙しなくあたしの周りをぐるぐるするねえちゃんは、見たことないくらい落ち着きがなかった。
「ねえちゃん、あのね。薄汚れた巫女じゃ、有り難みが薄い。だから、もう隠すのはやめる。心配しないで。ローワンは強いし、あたしには神様の加護があるから、人攫いには遭わないよ」
もちろん、嘘っぱちである。しかしながらこの、見ようによっては神秘的とも呼べる瞳は、最大限活用するつもりだ。
ついでに灰を被るのもやめた。しっかりと浄化魔法をかけて、身なりを整えれば、びっくりするくらい巫女らしい見た目になった。これはもう、加護受けまくり。加護力マックスだわ。
……まぁ加護については嘘っぱちだけど、見た目だけはどこからどう見ても巫女そのものである。そして人攫いに遭わないのも本当。だって、ローワンが居るし。
輝く金髪、光を受けてその色を変える瞳、誰よりも強い聖人の力を持ち、ローワンの力により輪郭がほんのりと光るあたしは、間違いなく人々が想像し得る巫女そのものだった。
巫女らしさってなんだろうと考えたあたしは、悩んだ末に、そのへんの聖人では絶対にあり得ないことをしようと思い至った。つまり、輪郭がほんのりと光る……のである。
ローワンの魔力で光っているのに、びっくりするくらい神聖っぽさが出てしまい、あたしはお腹が捩れそうなほど笑い転げてしまった。
六歳にして神託を受け、巫女として起ったあたしは、瞬く間に大陸中にその存在を知らしめた。
余談
「ねぇ、ローワン。あたしをほんのり光らせることってできる?」
「ほんのり光らせる……? よくわからないが、こういうことか?」
柔らかい光がリリーの輪郭をぼんやりと包む。
「ぷっ………あはははははは!! なにこれ! なにこれ!! ほ、ほんとに光ってる!」
「リリーが言っただろう」
「ひー! あはは! いや、そうなんだけどさぁ! あたし、ひ、光ってる……!!」
「やめるか?」
「あ、だめだめ、ごめん、もう笑わないから待って……はぁ。ローワンほんとに万能すぎる。というかこれ、見た目だけならもう完全に巫女。神聖さがカンストしてる」
「……そうだな」
なんとなく思いつきで言ってみたらできたので、このまま光る巫女としてやっていくことにしたリリー。
人前に出るときは常に光ってるけど、自室に引っ込んだら消える仕様です。でないと自分が眩しくて夜も眠れないので。
実際、初日は自分の眩しさで眠れなくて、ローワンに泣きつきました。




