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「妹みたいなものだから」と言う婚約者へ。では私は他人になりますね  作者: ローナ


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6/50

私が我慢をやめた理由が、残ります

「本当です」


私が答えると、温室の中の空気が止まった気がした。


アルバートは通知を握ったまま、立ち尽くしている。百合の甘い香りだけが、何事もなかったように漂っていた。


「……どうして」


ようやく出てきた声は、かすれていた。


「どうして、僕に一言も相談してくれなかったんだ。父上から聞かされるなんて」


一言も。


その言葉を聞いて、思わず小さく息を吐いた。


「アルバート様も、晩餐会の夜、私に一言もなく申告なさいました。私が体調不良で欠席したと」


アルバートの顔が、こわばった。


「それは……君のためを思って」


「典礼局で、その申告を見せていただきました。記録には採用されませんでした。私があの夜、王宮に来ていたことは、典礼官と書記官が証言してくださいましたから」


「採用、されなかった……」


アルバートは、助けを求めるようにリリアを振り返った。


リリアは椅子から立ち上がり、彼の袖をつかむ。


「アルバート、私はセシリア様のためにって……悪いことなんて、何も」


「リリア」


アルバートが、彼女の言葉を遮った。


「少し、黙っていてくれないか」


リリアの手が、袖から離れた。


信じられないものを見るような顔で、彼女はアルバートを見上げている。私も、少し驚いていた。六年間、アルバートがリリアにそんなふうに言うのを、一度も聞いたことがない。


アルバートは、私に向き直った。


「セシリア。僕は、君を傷つけるつもりなんてなかった。本当だ」


「存じています」


「だったら」


「傷つけるつもりがなくても、傷つくことはあります」


自分でも驚くほど、穏やかな声だった。


「アルバート様は、悪い方ではありません。それは、六年間ずっと分かっていました。だから私は、黙っていたのです。でも、黙っていても、何も変わりませんでした」


アルバートは何か言おうとして、口を開く。


けれど、言葉は出てこない。手の中の通知が、くしゃりと音を立てる。


「……異議を出す」


やがて彼は、低い声で言った。


「こんな形で、六年を終わらせたくない。審問で、ちゃんと話をさせてくれ」


「それは、アルバート様の権利です」


私は一礼した。


「審問で、お会いしましょう」


アルバートの横をすり抜けて、温室を出る。


背中で、リリアがすすり泣く声がする。アルバートが彼女を慰める声は、聞こえてこなかった。


玄関の外で待っていたアンナが、私の顔を見るなり駆け寄ってきた。


「お嬢様、お顔の色が」


「大丈夫よ。少し、百合の香りに酔っただけ」


アンナは疑わしそうな顔をしたけれど、それ以上は聞かずに、私の肩に薄い肩掛けをかけてくれた。屋敷を出るときに、黙って持ってきてくれていたらしい。


「ありがとう。用意がいいのね」


「お嬢様は、いつもご自分のことを後回しになさいますから」


馬車に乗り込んでから、膝の上で手を組んだ。指先が冷たい。


少し黙っていてくれないか。


アルバートがリリアに言った、あの一言。


あれは、私のために言ったのではないと思う。彼自身が、初めて何かに気づきかけて、リリアの声を聞いていられなくなったのだ。


それが何なのかは、私には分からない。分かる必要も、もうない。


それから三日間、私は屋敷からほとんど出なかった。


部屋にこもって泣いていたわけではない。典礼局で見せてもらった規則の冊子を思い出しながら、審問になった場合に聞かれそうなことを、紙に書き出していた。


婚約が結ばれた日付。晩餐会の招待状の文面。アルバートからの手紙の言葉。これまでにリリアが優先された日のうち、ほかの人も見ていたもの。


書き出してみると、思っていたよりずっと多かった。そして、そのほとんどに、私が「気にしていません」と言った記憶が添えられている。


二日目の夜、母が部屋に来た。


何も言わずに、私の書いた紙を一枚手に取って読み、それからまた机に戻す。


「字が、きれいね」


「伯爵夫人のお手紙で、練習しましたから」


言ってから、少し皮肉に聞こえたかもしれないと思った。けれど母は、小さく笑っただけだった。


「その字は、あなたのものよ。誰のために書いて覚えたのだとしても」


そう言って、母は部屋を出ていった。


私は、自分の書いた紙を見下ろした。三年間、他人の名前のために磨いてきた字。それが、今は自分のために並んでいる。


三日後、クレイン伯爵が屋敷を訪れた。


伯爵が一人でローレン家に来るのは、婚約が結ばれた日以来のことだ。


父の書斎に通された伯爵は、しばらく父と二人きりで話していた。やがて、執事が私を呼びに来る。


書斎に入ると、伯爵は椅子から立ち上がった。


白髪まじりの髪を後ろに撫でつけた、背の高い人だ。アルバートとは、目元がよく似ている。けれど、伯爵の目には、息子にはない鋭さがあった。


「セシリア嬢。急に押しかけて、すまない」


「いいえ、伯爵」


伯爵は、すぐには本題に入らなかった。


窓の外に目をやり、それから、ゆっくりと口を開く。


「妻から聞いた。三年もの間、妻の名で手紙を書いてくれていたそうだね」


私は、思わず父を見た。


父は、目を見開いている。代筆のことは、父にはまだ話していなかった。


「来月の茶会の招待状が、一通も書けないと泣きつかれてね。問いただしたら、全部話してくれた」


そう言うと、伯爵は深く頭を下げる。


「知らなかった。いや、知ろうとしなかったと言うべきだろう。妻の手紙がある年から急に上手くなったとは、思っていた。それだけだった。……申し訳ない」


格上の家の当主が、子爵家の娘に頭を下げている。


父が慌てて腰を浮かせかけたけれど、伯爵は手で制した。


「謝罪は、謝罪だ。それとは別に、話がある」


伯爵は椅子に座り直し、膝の上で指を組んだ。私も、父の隣の椅子に腰を下ろす。


伯爵は、あらためて私の方へ向き直った。


その目は、もう謝る人の目ではなかった。


「息子は、異議を出すと言っている。私も、当主として、それを止めるつもりはない」


「はい」


「審問になれば、晩餐会のことも、申告のことも、すべて記録に残る。ハートウェル家の娘の名前も出るだろう。クレイン家にとっても、ローレン家にとっても、愉快なことにはならない」


伯爵は、言葉を区切った。


「だから、提案をしに来た。申し立てを取り下げてもらえれば、婚約は両家の合意で、静かに解消する。息子の不始末として、ローレン家の名に傷がつかないよう、私が手を回そう」


父が、はっと息をのむ音がした。


それは、父がいちばん望んでいた形だ。家の体面を守ったまま、婚約を終わらせることができる。


私は、すぐには答えなかった。


伯爵の提案は、筋が通っている。審問をしなくても、婚約は終わる。誰も傷つかない。


けれど。


「伯爵。お心遣い、ありがとうございます」


私は、伯爵の目をまっすぐに見た。


「ですが、合意で静かに解消すれば、あの夜のことは記録に残りません。私が王宮に行き、名前を飛ばされ、帰ったこと。それが、なかったことになります」


「記録に残すことに、何の意味がある」


「私が我慢をやめた理由が、残ります」


書斎が、しんと静まり返った。


伯爵は、長いあいだ私を見ている。値踏みするような目ではない。何かを確かめるような目だった。


「……君は、妻が言っていたとおりの娘だな」


伯爵夫人の言葉が、頭をよぎる。あなたは、そういう子だったのね。


「伯爵夫人は、何と」


「黙って三年も手紙を書き続けられる娘は、いつか黙って出ていく娘だ、と」


伯爵は、ほんのわずかに口元をゆるめた。笑ったのか、苦笑したのか、分からなかった。


「提案は取り下げよう。審問で会うことになる」


伯爵は父に一礼し、書斎を出ていった。


扉が閉まると、父は椅子に崩れるように座り込んだ。


「代筆の話は、本当なのか」


「……はい」


父は額に手を当て、長い息を吐いた。


怒鳴られるかと思った。けれど、父の口から出てきたのは、まったく別の言葉だ。


「クレイン伯爵に、頭を下げさせてしまったな」


「……申し訳ありません」


「お前が謝ることではない」


父は、机の上の受理の写しに目をやった。この数日、ずっとそこに置かれたままになっている。


「三年だぞ。三年も他家の手紙を書かされて、それを誰にも言わずにいたのか。私は、お前が何をしているのか、何も知らなかった」


父の声には、怒りよりも、戸惑いの方が多く混じっている。


「伯爵は、合意での解消を持ちかけてくださった。正直に言えば、私はあれを受けてほしかった」


「存じています」


「だが、お前は断った。断る理由を、伯爵の前で、はっきり言った」


父は私を見た。この数日で初めて、まっすぐに。


「私には、あんなふうには言えなかっただろう」


それが褒め言葉なのかどうか、父自身にも分かっていないようだった。


その夕方、王宮典礼局から二通目の手紙が届く。


封を切ると、トビアスのものらしい丁寧な字で、こう書かれていた。


『クレイン伯爵家嫡男アルバートより、異議の申し出あり。


審問は十日後、王宮典礼局にて行う。審問官は、王宮典礼局長官レオンハルト・グレイヴスが務める。


なお、相手方の申し出により、以下の者を証人として喚問する。


ハートウェル伯爵家次女、リリア・ハートウェル』


私は、最後の一行を読み返した。


アルバートが、リリアを証人に呼んだ。


あの夜、彼の腕にいたのはリリアだ。申告を考えたのも、リリアだった。彼女が審問の場で何を話すのか、アルバートは分かっているのだろうか。


手紙の端には、小さな字で一行が添えられていた。


『申立人も、証人を申し出ることができる。期限は五日後まで』

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