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「妹みたいなものだから」と言う婚約者へ。では私は他人になりますね  作者: ローナ


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同じ席の並び、違う人

「第二位。リーゼロッテ・アイヒ。母は、第二柱。六十三歳。使節団の、書記長」


ハインリヒ公の声が、歓迎の間に、静かに、落ちていく。


私は、ペンを、走らせた。


左の列に、番号。次に、音のとおりの仮名。母系の柱、年、役目。隣では、トビアスが、同じ速さで、書いている。


一人、また一人と、名が、告げられていく。


「第三位。コンラート・ヴェルナー。母は、第二柱。五十八歳。医官」


「第四位。ミーナ・ホルスト。母は、第三柱。四十一歳。通訳」


聞き慣れない音が、続く。母音が長く、語尾が、わずかに、跳ねる。私は、聞こえた音を、そのまま、仮名に写していく。


三十人を、過ぎた頃から、手首が、しびれ始める。


それでも、公の声は、速くも遅くもならない。一人ずつ、名を、区切って、告げていく。まるで、これが、長い間、胸の中で、繰り返し、唱えてきた名簿であるかのように。


「第四十三位。トマス・リンデ。母は、第七柱。十九歳。馬丁」


私は、顔を、上げた。


「第四十四位。ヨーゼフ・ブレンナー。母は、第七柱。二十二歳。従者。以上です」


後ろの方に、第七柱の者が、まとまって、並んでいた。馬丁。従者。若い、見習いの者たち。公と、同じ柱の、人々だ。序列の、いちばん底に、置かれた人々を、団長が、自分と同じ名の下に、最後まで、読み上げていく。そのことの重みが、胸に、残った。


名が、一つ、告げられるたびに、ヴェルデン側の、役目の者たちの間で、小さく、息が、動いた。ザルツの、四十四名の名が、ヴェルデンの広間で、一人も、欠けることなく、読み上げられていく。それは、二十年前には、叶わなかった光景なのかもしれない。ヴァイス伯爵も、壁際で、腕を組んだまま、じっと、耳を傾けている。


公は、静かに、息を、吐いた。


円卓の空気が、わずかに、ほどけた。


「突き合わせを、お願いします」


ハイム典礼官が、言った。


私と、トビアスは、書き取りの紙を、卓の上で、並べた。


一枚ずつ、指で、なぞって、確かめていく。


三十八番までは、完全に、一致した。


三十九番で、仮名が、違った。


私の用紙には、『ヘルマ・アイヒ』。トビアスの用紙には、『ヘルマ・エイヒ』。


「ここは、音が、揺れていますね」


「はい。……私は、アイヒと、聞こえました」


「私は、エイヒと」


私たちは、顔を、見合わせた。


そっと、ハイム典礼官に、目を向ける。典礼官が、頷いて、公の方へ、一歩、進み出た。


「団長殿。記録の正確を期するため、三十九番の、お名前の、綴りを、ご確認いただけますか」


「ええ」


公は、紙を、受け取った。


そして、自分の手で、さらさらと、綴りを、書き込んだ。


『Heilma Eich』


字は、小さく、几帳面だった。


「アイヒ、で、構いません。この家の者は、母音を、短く、切って呼ぶ」


「承知しました。ありがとうございます」


トビアスが、ほっと、肩の力を、抜く。


そうして、四十四名の綴りの確認が、終わった。


公は、全員分の書き取りを、一つずつ、自分の目で、見ていく。時折、指で、小さく、印をつけた。誤りは、三か所。どれも、軽い、音の揺れだった。


「見事な、仕組みです」


公は、顔を、上げた。


「二人が、別々に、書く。違えば、問う。……先方の面目を、潰さない、やり方だ」


「恐れ入ります」


「どなたが、考えられた?」


「私が、ご提案しました。ハイム典礼官に、手順を、整えていただきました」


私が、答えると、公の目が、わずかに、細まった。


「ローレン書記。あなたの、お名前は、書面の中にも、あった。晩餐の席次表の、署名に」


「はい。作成を、担当しました」


「お手並みは、拝見しました。……楽しみにしています」


それだけ、言って、公は、視線を、円卓の方へ、戻した。


公は、窓際へ、ゆっくり、歩いていった。


背中が、午後の光の中に、細く、立っている。私は、水の杯を、盆に載せて、そっと、近づいた。


「お水を、どうぞ」


「ありがとう。……気が利く」


公は、杯を、受け取ると、窓の外の、中庭を、見た。


「ローレン書記。席次表を、作る人間は、一度は、末席に、座るべきだと、私は、思っている」


「末席に」


「末席からは、広間の全体が、見える。誰が、誰の隣で、笑い、誰が、一人で、黙っているか。席を、作る者は、それを、知っておくべきだ」


「……では、私も、いつか、座ってみます」


「ええ。ぜひ」


公は、小さく、笑った。


二十年前の、あの夜の、遠さを、この人は、恨みではなく、道具として、胸に、持ち帰ったのだ。そう、思った。


その後、札の清書が、始まった。


四人の書記が、卓の隅で、金縁の札に、一枚ずつ、名を、書いていく。


その間、私は、ハイム典礼官と、入場の順の、最終確認を、した。


「七柱の順に、入場する、ということで、よろしいでしょうか。第一柱の方が、先頭。第七柱の方が、最後」


「その通りです」


「では、団長殿は、最後尾に」


私は、思い切って、公に、向き直った。


「団長殿。一つ、確認を、お許しください」


「どうぞ」


「七柱の序では、団長殿は、第七柱でいらっしゃいます。入場の順も、最後尾に、なります。ですが、団長としての、お立場からは」


言いよどんだ私に、公が、助け船を、出してくれた。


「最後尾で、構いません」


「え」


「ザルツでは、団長は、一行の最後に、入る。それが、習わしです」


公は、静かに、言った。


「先に入るのは、一行の者たち。最後に、団長が、入る。それは、団長が、全員の背中を、見守る位置に、立つ、ということです」


「見守る、位置」


「ええ。私が、この国の扉を、くぐるのは、一行が、全員、無事に、広間に入ったあと」


公の声が、そこで、わずかに、低くなった。


「……二十年前は、最後ではなく、一番、遠い席でした。同じ『端』でも、意味が、違う」


その一言に、私は、息を、止める。


公は、続けなかった。私も、あえて、聞かずにおく。


「承知しました。入場は、七柱の序のとおり。団長殿は、最後尾」


「お願いします」


その頃、清書が、一通り、終わった。


トビアスが、新しい名簿を、私の前に、置いてくれた。


「ローレン様。確定名簿です。第三卓八番の方の、お名前も」


私は、第三卓の欄を、探した。


『第三卓 八番 第十一位』


十一位の名を、さっき書き取った、控えと、照らし合わせる。


『第十一位。クララ・ヴェルナー。母は、第三柱。六十一歳。使節団の、典礼補佐』


クララ・ヴェルナー。


六十一歳の、女性。


仮の名簿の、「ザルツ使節団員、第十一位」。二十年前、侯爵の隣に、座っていたのは、二十五歳の、若い随行者。ほかならぬ、いま、この部屋に立っている、あの人だった。けれど、今回、侯爵の隣に座るのは、白髪混じりの、典礼補佐の、女性。


席の並びは、同じでも。


そこに座る人は、まるで、違う。


「ローレン様?」


「いえ。……確認しました。ノール書記官、この名簿を、清書の、元にしてください」


傍らで、トビアスが、ぽつりと、呟いた。


「同じ席の並びでも、座る方が、違えば、まるで、別の夜になりますね」


「ええ」


私は、胸の内で、小さく、息を、ついた。


偶然だ。私が、選んだわけでは、ない。けれど、この事実は、侯爵に、知らせなければ、いけない。今日のうちに。


私は、新しい便箋を、取り出した。


書き出しは、決まっている。


『モーリス侯爵閣下


典礼局臨時書記セシリア・ローレンより、約束に従い、申し上げます』


事実だけを、書く。


『建国祭晩餐会、第三卓、八番(閣下のお席の右隣)の、使節団員が、確定しました。


第十一位 クララ・ヴェルナー殿。母系、第三柱。六十一歳。使節団の典礼補佐を、務められる女性です。


以上、事実のみ、お知らせいたします。ご不明の点は、典礼局まで』


読み返した。


形容が、一つも、ない。


長官に、見せると、長官は、一読して、頷いた。


「これで、結構です。官房の使いに、持たせます」


「はい」


使いは、すぐに、出ていく。


夕刻、返書が、届いた。


封筒を、開くと、一行だけ、書かれている。


『拝承。 エルンスト・モーリス』


その下に、別の筆跡で、小さく、一行。


『夫より、感謝を。妻』


私は、紙を、そっと、胸に、当てる。


約束は、守れた。それが、いまの、私に、できる、いちばん確かな、仕事だ。


そこへ、ハイム典礼官が、準備室に、入ってきた。


「ローレン書記。団長殿から、お言付けです」


「はい」


「明朝、七九二年の記録を、拝見したい、と。ただし、立会いに、一つ、条件が」


「条件」


「記録を、綴じた方に、同席して、いただきたい、と」


私は、思わず、マルタを、見た。


マルタが、手を、止めている。


ゆっくり、眼鏡を、外した。


「……私、ですか」


「ベル書記官。二十年前の、あの夜、記録の頁を、揃えて、革の表紙に、綴じたのは、あなたですね」


ハイム典礼官は、静かに、言う。


マルタは、しばらく、答えなかった。やがて、眼鏡を、卓の上に、そっと、置く。


「……承知しました。お伺いします」


その声が、わずかに、掠れていた。


私は、その掠れを、聞かなかったことにはしない。ただ、何も、言わずに、そっと、卓の上の水差しを、マルタの前へ、押し出した。


夜、書庫の前を通ると、扉の隙間から、灯りが、細く漏れていた。


中を、そっと、覗く。


マルタが、七九二年の記録の背表紙に、掌を、当てていた。何も、言わず、ただ、革の表紙の、凹凸を、確かめるように。


私は、声を、かけなかった。扉を、静かに、閉めて、足音を、忍ばせて、廊下を、戻った。


二十年前に綴じた頁が、明日、開かれる。その手が、誰のものかを、知っている人だけが、あの背中の、重さを、分かる。

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