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「妹みたいなものだから」と言う婚約者へ。では私は他人になりますね  作者: ローナ


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23/50

仮のままに

閲覧の前日の夕方、私は、長官の部屋の扉を叩いた。


席次表の第三卓の頁を、手に持っている。


「長官。お見せしておかなければならないことが、あります」


「聞きましょう」


「侯爵の席の、右隣です。仮の名簿では、ザルツ使節団員、第十一位。二十年前と、同じ並びになっています」


長官は、頁を受け取って、じっと見た。


「作ったのは」


「私です。散らし方は、記録を読む前に決めました。偏りを避けるためでしたが、結果として、重なりました」


「偶然、ですね」


「はい。ですが、侯爵には、偶然とは、見えないかもしれません」


私は、頁を、長官の机の上に、きちんと置いた。


「ですので、明日の閲覧で、侯爵が二十四卓の席次をご覧になるのなら、この頁も、隠さずに、お出しします。手を入れずに」


長官は、しばらく、頁を見たまま、黙っていた。


それから、顔を上げる。


「隠さない、と決めたのですね」


「はい。仮の名簿を、こっそり直せば、侯爵は、その痕跡に、気づくと思います。気づかれたら、もう、何を言っても、信じていただけません」


「分かりました。その判断を、支持します」


長官は、頁を、私の方へ、押し返した。


「ただし、閲覧の場に、あなたは、いません。侯爵のご指定です」


「はい。承知しています」


それから、少し迷って、私は、一枚の紙を、卓に滑らせた。


「あの、もう一つ」


「何でしょう」


「今週の、勤務の記録です。持ち帰りの欄を、作りました」


長官は、紙に目を落とした。


日付ごとに、局で働いた時間と、家で働いた時間を、二列に並べてある。家の列には、長官が、昨夜も、おとといも、数字が入っていた。


「……几帳面ですね」


「数えると、言いましたから」


「私が、数えさせた、と思われると、心外です」


「そうは、思いません」


私は、静かに、答えた。


「私が、数えたいのです」


長官は、紙を、ゆっくり、折り畳んだ。


そして、小さく、息を吐く。


「家での分を、半分に減らします。明日から」


「半分、ですか」


「全部は、無理です。正直に言っています」


私は、思わず、笑ってしまった。


「それなら、半分で、結構です。ただし、半分に、なっていなければ、また、数えます」


「……承知しました」


翌朝、十時きっかりに、モーリス侯爵が、典礼局に到着した。


私は、廊下の突き当たりの階段の陰から、その姿を、見た。


背が高い。白髪まじりの、灰色の髪を、丁寧に撫でつけている。濃紺の外套に、飾りは、ほとんど、ない。杖を持っているが、使っているようには、見えなかった。


長官が、玄関で出迎える。


「ようこそ、侯爵」


「立会いは、貴殿のみ、という件、承知いただき、感謝する」


声が、低く、よく通った。


挨拶は、それだけだった。二人は、並んで、閲覧室の方へ歩いていく。


その途中、侯爵が、ふいに、足を止めた。


視線が、階段の陰の、私に、向いている。


「そちらは」


長官が、一歩、横にずれた。


私は、陰から出て、深く、頭を下げた。


「典礼局臨時書記、セシリア・ローレンと申します」


「円卓案の、作成者か」


「はい」


「侯爵家の席の、図面を、お見せいただけるか」


私は、持っていた頁を、両手で差し出した。


「第三卓の席次です。侯爵のお席は、七番。右隣の八番は、ザルツ使節団員、第十一位、仮の名簿です。名簿は、使節団の到着の日に、確定します」


侯爵は、頁を、受け取って、目を落とした。


沈黙が、長い。


廊下の窓の外で、風が、吹く。


「……散らし方に、意図は」


「偏りを、避けるためです。ザルツの四十四名を、二十四の卓に、ほぼ均等に、割り振りました」


「偏りがないのは、よいことだ」


侯爵は、頁から目を離さずに、言った。


「偏りは、必ず、誰かの、不満になる」


「はい」


「仮は、いつ、本になる」


「使節団の到着の日です。建国祭の、三日前に」


「では、その日まで、仮の、ままにしておけ」


「承知しました」


侯爵は、頁を、私に、返さなかった。


「これは、拝見する。写しは、取らぬ。閲覧の間だけ、お借りする」


「かしこまりました」


侯爵は、長官に、頷いて、閲覧室へ、進んでいった。


扉が、閉まる。


私は、その場に、しばらく、立っていた。


手のひらに、汗が滲んでいた。


「ローレン様」


後ろから、トビアスの声がした。


「お顔が」


「大丈夫です。ただ、少し、緊張しました」


「閲覧室の外で、待機の席を、用意してあります。お茶も」


トビアスは、廊下の端の長椅子を、手で示した。


私は、そこに、腰を下ろす。


しばらくして、マルタも、書類を抱えて、隣に座った。


「ベル書記官は、同席されないのですか」


「侯爵が、長官のみ、と指定されました。私にも、見られたくない夜が、ある。当然です」


マルタは、手帳を開いて、鉛筆を走らせた。


「立会いというのは、見張りではありません。証人です。何かが、起きたときに、ここで、何が、あったかを、証言できる。それだけの、役目です」


「長官は、証人」


「そう。そして、あなたは、証人の、後ろに控える、記録係です。見えなくても、覚えておくこと」


私は、頷いた。


「ひとつ、お願いが」


マルタが、手帳から目を上げずに、続けた。


「面会の日の、進行の案を、あなたが、書きなさい。最初に、何を、置くか。誰が、話し、誰が、黙るか。今のうちに」


「長官は、どちらに」


「黙る側、でしょうね。この件は」


私は、手帳を開いて、鉛筆を取った。


一行目に、『入場の順の説明(事実)』と、書く。二行目は、空けた。そこに入るのは、侯爵の言葉、のはずだ。


時間が、ゆっくり、流れていった。


鐘が、一度、鳴る。二度目の、鐘が鳴る前に、トビアスが、そっと、お茶を足してくれた。


閲覧室の扉は、閉まったままだった。


トビアスが、小声で、聞いてくる。


「ローレン様。中で、侯爵が、怒鳴られたら、どうしましょう」


「怒鳴り声が聞こえたら、扉を、叩く前に、ベル書記官を、呼びます」


「それが、正しい、手順ですか」


「そう、聞きました」


マルタは、手帳から目を上げずに、「正しい手順です」と、言った。


中で、何が行われているのか、私には、分からない。


二十年前の、席次表。三件の、抗議。ルドルフ・グレイヴスの、署名。


侯爵は、あの夜を、もう一度、自分の目で、読んでいる。


その横に、あの夜の、人の子として、長官が、座っている。


窓の外の、楡の木の影が、少しずつ、長くなっていく。


扉が、開いたのは、昼の鐘が、鳴り終わった頃だった。


侯爵が、先に出てきた。


表情は、入ったときと、変わらない。ただ、目の下の、皺が、わずかに、深くなっている気がした。


「ローレン書記」


「はい」


呼ばれて、立ち上がる。


侯爵は、頁を、私に、差し出した。


「お返しする」


「ありがとうございます」


「第三卓の、七番は、窓に近い席だな」


「はい。広間の南の窓側です。夜は、蝋燭の灯りが、ガラスに映ります」


「悪くない」


それだけ言って、侯爵は、杖の先で、床を、軽く、突いた。


「面会の日に、また」


「お待ちしております」


侯爵は、玄関の方へ、歩き出す。


足取りは、杖を使わなくても、しっかりしていた。


その背中が、見えなくなるまで、私は、見送っていた。


悪くない。


それは、褒め言葉では、ない。けれど、拒絶でも、なかった。


長官は、閲覧室の入口に、立っていた。髪が、少し、乱れている。


「長官」


「お疲れさまでした」


長官は、そう言ってから、ふっと、息を吐いた。


「疲れたのは、私ですが」


「お茶を、お持ちします」


「お願いします」


準備室に戻って、長官に、お茶を出した。


マルタとトビアスは、気を利かせて、席を外している。


長官は、湯呑みを両手で包んで、しばらく、黙っていた。


「侯爵は」


私は、聞きかけて、やめた。


けれど、長官のほうが、先に口を開いた。


「閲覧の間、侯爵が、何を見て、何を言ったか。それは、私からは、お話しできません」


「はい」


「侯爵が、そう、望まれました。面会の席で、ご自身の言葉で、話される、と」


「承知しました」


私は、頷いた。


知りたくなかった、と言えば、嘘になる。けれど、聞かないことを、選べる。それも、この局で、学んだことだった。


「ただ、一つだけ。仕事に、関わることです」


「はい」


「侯爵は、ハインリヒ公が、使節団の団長として来られることを、確かめていかれました」


「確かめて」


「ええ。名簿の、団長の欄を。到着の日の、お名前の、確認だけです。ほかには、何も」


長官は、湯呑みを、卓に置いた。


「あの夜の末席に、座っていた青年が、団長として、再び、この国の広間に入る。侯爵は、それを、知っておく必要が、あったのでしょう」


私は、末席の名を、思い出した。


『ハインリヒ・フォン・ザルツ(随行)』


長官の父が、直そうとして、直せなかった席。侯爵が、二十年前の夜に、遠くから、見ていた席。


そして、その席の主は、今、この国に、向かっている。


「長官」


「はい」


「面会の日が、少し、怖いです」


自分でも、驚くほど、素直な言葉だった。


長官は、湯呑みから、手を離して、私を見た。


「怖くて、いいのです」


「そう、でしょうか」


「怖くない人間は、相手の席に、座ろうとしません」


長官は、淡々と、言った。


「かばいません。ただし、隣に、立ちます。それは、変わりません」


その言葉を、もう一度、胸の中で、確かめる。


かばわない。けれど、隣にいる。


それが、どれだけ、心強いことか。


私は、空になった湯呑みを、そっと、盆に戻した。


「では、準備を続けます。面会まで、あと、五日です」


「はい。……ああ、ローレン書記」


「はい」


「今夜の持ち帰りは、半分、に、します。数えてください」


「数えます」


長官の口元が、ほんの少し、緩んだ。


私は、頁を、胸に抱えたまま、準備室の扉を、閉めた。


窓の外で、夕方の鐘が、鳴り始めていた。

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