お言葉は、受け取ります
待合の間へ向かう前に、私は、マルタの席に寄って、事情を伝えた。
「私的な面会は、待合で。時間を区切り、扉は、開けておくこと。局の規程です」
「承知しました」
「それから」
マルタは、書類から顔を上げずに、続けた。
「断る、と決めているのなら、最初に言いなさい。途中で言うと、相手は、まだ変わると思います」
その言葉を、胸に刻んで、階段を下りた。
待合の間は、典礼局の一階にある、陽当たりのよい部屋だった。
国内外の使者や、請願に訪れた人々が、順番を待つための場所。壁際に長椅子が並び、窓の外には、中庭の楡の木が見える。
その窓際の長椅子に、リリア・ハートウェルは、ちょこんと座っていた。
淡い灰色のドレス。首飾りは、ない。審問のときと、同じ装いだ。
膝の上で、小さな手が、きゅっと握りしめられている。
「リリア様」
声をかけると、リリアは、はじかれたように立ち上がった。
「セシリア様!」
駆け寄ろうとして、足を止める。私が、手で軽く制したからだ。
「ここは、典礼局の待合です。公の場所ですので、お話は、こちらで、お受けします」
私は、扉を、開けたままにした。
廊下から、人の気配が、すぐに届く距離だ。
長椅子の、向かい合う側に、腰を下ろす。
「お時間は、十五分です。次の用件が、ありますので」
「……はい」
リリアは、そろそろと、座り直した。
唇が、少し、震えている。
「お手紙は、昨夜、出しました。きっと、今日か明日には、そちらへ着きます。ですから、先に、内容をお伝えします」
「えっ」
「お会いすることは、できません。ミレイユ様に、何かをお伝えすることも、できません」
はっきりと、言った。
リリアの目が、みるみる、潤んでいく。
「でも、私、困っているの」
「はい。お困りなのは、分かります」
「セシリア様は、いつも、助けてくださったでしょう」
「はい。助けて、いました」
私は、一度、息を整えた。
「それが、いけなかったのだと、今は、思っています」
「いけなかった……?」
「リリア様が、何をなさっても、私が、引き受けた。引き受け続けたから、リリア様は、『きっと今度も』と、思われた。……審問で、おっしゃったとおりです」
リリアの顔が、はっと、強張った。
ぽろりと、涙が一粒、頬を伝う。
けれど、すぐに、慌てたように、手の甲で、ぬぐった。
私は、手を伸ばしかけて、やめた。かわりに、扉の外にいた門番に、水を一杯、頼んだ。
運ばれてきた杯を、リリアの前の卓に置く。
「どうぞ。お飲みください」
「……ありがとう」
リリアは、両手で杯を持って、こくこくと、飲んだ。慰める代わりに、水を。それくらいが、今の私に、できる、ちょうどいい距離だった。
窓の外で、楡の葉が、風に、さらさらと鳴っている。リリアの肩の震えが、少しずつ、収まっていく。
「違うの。そうじゃなくて。……そのことを、謝りに、来たの」
「謝りに」
「お父様に、叱られたの。初めて」
リリアは、膝の上で、手を揉み合わせた。
「審問のあとで、帰ってから。『人の優しさを、使い切るものではない』って。いつも、怒らない人が、怒ると、とても、怖かった」
ハートウェル伯爵の顔を、思い出す。
審問のとき、伯爵は、一言も発さず、ただ、膝の上の手を、硬く握りしめていた。
「それで、ずっと、考えていたの。セシリア様に、ひどいことをした、って。なのに、私、手紙で、またお願いごとを、書いてしまって」
リリアは、ぎゅっと、目をつぶった。
「……ごめんなさい」
小さな声だった。
私は、すぐには、答えなかった。
謝罪を、受け取るかどうか。それは、私が決めることだ。
あの廊下で、アルバートに言った言葉を、思い出す。
「お言葉は、受け取りました」
私は、同じ言葉を、選んだ。
「お言葉は、受け取ります」
リリアが、ぱっと目を開けた。
「許して、くださるの?」
「許す、とは、違います。受け取ります。あなたが、謝ってくださったことは、事実として、聞きました」
「……それは、同じことじゃ、ないの?」
「違います」
私は、静かに、首を振った。
「許せば、元の関係に戻ります。私は、戻りたくありません。受け取る、というのは、あなたの言葉を、きちんと、聞いた、ということです」
リリアは、しばらく、黙っていた。
目を伏せて、考えているようだった。
もしかしたら、生まれて初めて、「謝って、許してもらえない」という状況に、直面しているのかもしれない。
それは、とても、居心地の悪いことのはずだった。
やがて、リリアは、顔を上げた。
「……分かった、気がするの。全部は、分からないけど」
「それで、十分です」
その言葉に、少しだけ、肩の力が抜けた。
けれど、リリアは、すぐに、続けた。
「ねえ、セシリア様。それなら、ミレイユ様のことだけ、教えて。ほんの少しでいいの。お席の作法」
私は、思わず、苦笑した。
「リリア様。今、そのお話は、お断りした、ばかりです」
「でも、少しなら」
「少しでも、同じです」
リリアの唇が、ぷくっと、尖りかけた。
そこへ、私は、手を重ねるようにして、言葉を足した。
「ただ、一つだけ、お伝えできることがあります。これは、作法の話では、ありません」
「なに?」
「席に座るとき、一番、大切なのは、ご自分が、どこにいたいか、です。誰の隣に、いたいのか。誰の隣に、いてもらえば、心地いいのか」
「……」
「それを、アルバート様と、一度、お話しになってください。私にではなく、ご本人に」
リリアは、じっと、私を見つめた。
そして、ふいに、ぽつりと言った。
「アルバートは、最近、あまり、話してくれないの」
「……そうですか」
「前は、何でも、私に、話してくれたのに。今は、書斎に、こもってばかり。本を、読んだり、書き物を、したり」
初めて聞く、アルバートの近況だった。
書き物。
あの人が、自分で、ペンを、持っている。
「それは、いいことだと、思います」
「どうして?」
「ご自分で、お考えになる時間が、できたということです」
リリアは、よく分からない、という顔をした。
私は、それ以上、説明しなかった。
窓の外で、鐘が鳴る。
「そろそろ、お時間です」
「……はい」
リリアは、素直に、立ち上がった。
そして、扉の前で、振り返る。
「セシリア様」
「はい」
「あの、一つだけ、言っておかなきゃ、いけないことが、あって」
その声が、急に、小さくなった。
「ミレイユ様に、私、もう、お手紙を、出してしまったの」
息が、止まった。
「……どのような」
「『はじめまして。アルバートの妹の、リリアです。お茶会を、楽しみにしています』って」
私は、思わず、目を閉じた。
悪意は、ない。それは、分かっている。
けれど、これから、お見合いに臨もうとしている侯爵令嬢にとって、「妹」を名乗る少女からの手紙は、どう映るだろう。
「……それは」
言いかけて、口をつぐんだ。
これは、私が、口を出すことでは、ない。
私は、ゆっくりと、息を吸って、言った。
「それは、アルバート様に、ご自分から、お話しください。何を書いたのか、どう思うのか。すべて」
「怒られないかしら」
「怒られるかどうかは、私には、分かりません。ですが、話さなければ、もっと、大きな問題になります」
リリアは、唇を噛んだ。
それから、小さく、頷く。
「……話して、みる」
「はい」
「ありがとう、セシリア様」
私は、首を振った。
「お礼は、結構です。……お気をつけて、お帰りください」
リリアは、深く、お辞儀をして、廊下へ出ていく。
その後ろ姿が、見えなくなるまで、私は、立っていた。
思っていたより、ずっと、小さな背中だった。
庇われ続けてきた人が、庇われなくなったとき、どれほど心細いものか。それを、想像することは、できる。けれど、その心細さを、埋めるのは、私の役目ではない。
私にできるのは、扉を、開けておくことだけだ。閉ざすのでも、無理に押し開けるのでもなく。
ふう、と、息が、漏れる。
背後で、咳払いが聞こえた。
振り返ると、廊下の柱の陰に、長官が、立っていた。
「長官」
「通りがかっただけです。扉が、開いていたので」
「……はい」
「公の場所での、面会でした。時間を、区切り、扉を、開けた。適切だったと思います」
長官の声は、いつも通りに、淡々としていた。
けれど、続けて、小さく、付け加える。
「あなたが、傷ついていないか、確かめたかっただけです。仕事の、範囲で」
「仕事の、範囲で」
「はい」
私は、笑った。
「大丈夫です。……いえ」
言いかけて、言い直す。
「少し、疲れましたが。傷では、ありません」
長官は、小さく頷いた。
「それなら、午後の分は、軽くしておきます」
「そこまでしていただかなくても」
「規程ではなく、私の、判断です」
そう言って、また、廊下の奥へ、去っていく。
その背中を、見送りながら、私は、胸の中で、小さく、数えた。
リリアは、もう、手紙を、出している。
来週の茶会は、きっと、穏やかには、終わらない。
けれど、それは、もう、私の仕事では、ないのだ。
その日の夕方、トビアスが、一通の封書を、私の机に置いた。
「ローレン書記宛です。局の受付に、使いの方が、届けられました」
宛名は、典礼局気付、ローレン書記殿。
差出人の欄を見て、思わず、手が止まる。
アルバート・クレイン。
封筒の宛名は、彼自身の手で書かれていた。
線が、まっすぐに引かれている。字の大きさが、揃っている。かつて、短い手紙に、走り書きで寄こしていた、あの崩れた字では、ない。
一字ずつ、ゆっくりと、確かめながら書いたような、慎重な字だった。
私は、封を切る前に、一度、深く、息を吸った。




