円卓に反対する人
準備室は、二階の奥の、元は物置だった部屋に置かれた。
窓は一つ。長い作業卓が一台と、椅子が四脚。壁には、王宮の大広間の図面が、画鋲で留められている。
「まず、事実から」
マルタが、図面の前に立った。
「建国祭の晩餐会の出席者は、ヴェルデン側が三百十六名、ザルツ側が四十四名。合わせて三百六十名。円卓にすれば、卓数は何卓になるか」
「一卓十二席なら、三十卓です」
「広間に、入りますか」
私は、図面を見上げた。
「……入りません」
「正解。給仕の通路を引けば、置けるのは二十四卓。残りの六卓分は、どこにもない」
「では、一卓あたりの席を、増やすしかありません」
「十五席」
マルタが、先に答えを言った。
「三百六十を、二十四で割れば、十五。ただし、十五席の卓は、向かいの人の声が届きません。会話が、割れる」
「割れても、構わないかもしれません」
自分でも、意外な言葉が出た。
「奇数ですから、卓に、真向かいの席が生まれません。向かい合う二人が、上座と下座の形になることも、ない。……会話は、隣と、その隣まで。それで、十分な場だと思います」
マルタは、しばらく、私の顔を見ていた。
「理屈は、通っています。あとは、広間の床で、確かめること」
その日の夕方、私は、トビアスに手伝ってもらって、紐で床に円を描いた。
大広間は、がらんとして、足音がよく響く。紐を引いて、円を二十四個、床に並べていく。
「ローレン様、ここ、給仕の人が通れません」
「では、この卓を、半歩ずらします」
「それだと、あちらの柱に、ぶつかります」
何度も、描き直した。
円が、きれいに収まったのは、日が暮れる頃だった。
二十四の円が、柱の間を縫って、ゆるやかな波のように並んでいる。
「……きれいですね」
トビアスが、ぽつりと言った。
その翌日、準備室の第一回の検討会が開かれた。
席についたのは、長官、マルタ、私。それに、来賓として、宮廷侍従長のヴァイス伯爵が招かれていた。
髪を後ろに撫でつけた、細身の初老の紳士だ。王宮の行事の運営には、典礼局のほかに、侍従長の官房も関わる。この人が頷かなければ、広間の模様替えそのものが、できない。
私は、図を示しながら、円卓案を説明した。
ヴァイス伯爵は、最後まで、口を挟まなかった。
そして、説明が終わるのを待って、ゆっくりと、紙を机に置く。
「よくできた案です。感心しました」
穏やかな声だった。
「ですが、お断りします」
準備室の空気が、わずかに張る。
「理由を、伺えますか」
長官が、静かに問う。
「簡単です。円卓では、爵位の高い方が、見えなくなる」
ヴァイス伯爵は、指を一本、立てた。
「ヴェルデンの貴族にとって、上座に座ることは、家の名誉そのものです。侯爵家の当主が、伯爵家の隣に、ただ座る。それを、ご本人が、どう受け取るか」
「入場と呼名の順で、序列は保たれます」
私は、思わず、口を開いた。
「保たれても、見えない。名誉は、見えて初めて、名誉です」
ヴァイス伯爵は、私の方を向く。
「お嬢さん。あなたの案は、争いを避ける、という点では、実に優れている。ですが、貴族は、争いを避けるためだけに、席に着くのではありません」
反論の言葉を探して、口を開きかけた。
そのとき、長官が、私の方を、見ずに言った。
「ローレン書記。答えるのは、あなたです」
息を、のむ。
かばっては、くれない。
ただ、答える機会だけが、机の上に置かれた。
私は、手元の図に、目を落とした。
「……ヴァイス伯爵のおっしゃる通りです。名誉は、見えるべきです。ですから、見えるようにします」
「どのように」
「席札を、使います。卓の中の席には、序列をつけません。けれど、席札には、お名前と、爵位を、金の縁で記します。入場のとき、典礼官が、爵位を添えて、お名前を呼ぶ。名誉は、呼ばれる声と、手元の札に、残ります」
「座席そのものでは、ない」
「はい。席が示すのは、序列ではなく、誰と話せる場所か、です。晩餐会の席は、本来、そういうものだと、私は考えます」
言い終えたとき、背中に、じわりと汗が滲んでいた。
ヴァイス伯爵は、すぐには、答えなかった。
やがて、小さく息を吐く。
「……なるほど。あなたは、思ったより、頑固ですな」
「申し訳ありません」
「謝らなくて、結構。ただし」
伯爵は、紙の端を、指でとんとんと叩いた。
「口先では、納得できない。五日後、危険の一覧を、書面で出してください。この案が、失敗するとしたら、どこで、どのように失敗するのか。すべて」
「承知しました」
長官が、答えた。
「五日後に、お持ちします」
ヴァイス伯爵が部屋を出ていったあと、マルタが、ふう、と息を吐いた。
「敵に回すと、厄介な方です。そして、間違ったことは、言っていない」
「はい」
「だから、危険の一覧は、手を抜かないこと」
「はい」
答えながら、私は、長官の様子を盗み見た。
机に手をついて、立ち上がろうとして、ほんの一瞬、動きが止まる。
額を、指の先で押さえている。すぐに、何でもない顔に戻ったけれど、見えてしまった。
その夜、私は、書庫で、危険の一覧の下書きを作った。
席札の書き誤り。給仕の動線の混乱。ザルツ側の随行者が、円卓の意味を、侮辱と受け取る恐れ。
書き進めるうちに、一つの穴に、気づく。
ザルツの方々を、「七柱の序」の順に呼ぶには、一人ひとりの母方の家系を、知らなくてはならない。
けれど、書状に添えられた名簿に、あったのは、父の名前だけだ。
母の名が、ない。
それでは、そもそも、序列が、つけられない。
その穴を抱えたまま、日曜が来た。
アンナの迎えの馬車で屋敷に戻ると、食堂の円い卓に、三人分の皿が並んでいた。
下宿に移って、初めての日曜だ。母は、私の好物の林檎の焼き菓子を、焼いて待っていてくれた。
「仕事は、どうだ」
父が、スープを口に運びながら、尋ねる。
「ザルツ大公国の使節団の、席次を任されました。円卓を使う案を、出しています」
「ザルツ」
父の匙が、止まった。
「二十年前の晩餐会のことか。私も、あの場にいた」
「お父様が」
「席の並びが悪くて、料理が冷めた。皆、帰りの馬車で、グレイヴス長官の悪口を言っていた」
父は、パンをちぎる。
「だが、私は、そうは思わなかった。あれは、席の並べ方が悪かったのではない。決める者が、一人で背負い込んだのが、悪かったのだ」
「一人で……」
「周りが、誰も止めなかった。止める者が、いなかったのだろう。……お前の上司は、あの方の息子だと聞いたが」
「はい」
「ならば、お前も、止める側に回りなさい」
そう言って、父は、ぷいと、皿に目を戻した。
母が、笑いを噛み殺している。
円い卓の上で、林檎の焼き菓子が、甘く香っていた。
翌朝、すぐに、マルタに伝えた。
「ザルツに、問い合わせるしかありません」
「それは、こちらが序列を知らないと、認めることになる」
「はい。知らないのですから」
ペンを握る手に、力がこもる。
「知らないことを、知らないと認める。それが、書記の最初の仕事だと、ベル書記官が、教えてくださいました」
マルタは、目を丸くして、それから、ふい、と横を向いた。
「……私は、そんな、立派なことを言いましたか」
「はい。二十二日目に」
「記録が、お得意ですこと」
そう言いながら、耳の端が、わずかに赤い。
問い合わせの書状は、長官の名で出すことになった。
草案は、私が作る。昼のうちに書き上げて、長官の部屋へ持っていくと、長官は、机の前で、背中を丸めていた。
机の上には、紙が、山になっている。ザルツへの書状、ヴァイス伯爵への資料、広間の改装の見積もり。
どれも、本来、別々の人間が、手分けする仕事だ。
「長官。こちらが、草案です」
「ありがとう。確認します」
声は、いつも通りだった。けれど、杯の紅茶は、また、手つかずで冷めている。
「あの」
「何でしょう」
「そちらの、見積もりの確認。私に、回していただけませんか」
「それは、私の仕事です」
「危険の一覧が、私の仕事です。見積もりの数字は、その入口になります。重なっているのです」
半分は、本当で、半分は、口実だった。
長官は、目を細めて、私を見る。
「……ローレン嬢」
「はい」
「あなたは、時々、私の弱みを、的確に突きますね」
「いえ。仕事の話です」
私が言うと、長官は、一拍おいてから、見積もりの束を、そっと私の方へ滑らせた。
「では、お願いします。……助かります」
その声は、ひどく、小さかった。
私は、束を抱えて、扉へ向かう。
出がけに、冷めた杯を、そっと取り上げた。
「新しいものを、お持ちします。飲むまで、書類は、お預かりしません」
「それは、横暴では」
「事実を、述べているだけです」
マルタの言い回しを借りると、長官の肩が、わずかに揺れた。
笑った、のだと思う。
給湯室で湯を沸かし、新しい紅茶を淹れる。見積もりの束を脇に抱えたまま戻ると、長官は、空になった机の一角を、ぼんやりと見ていた。
「どうぞ」
杯を置くと、長官は、素直に手に取って、一口飲んだ。
「二十年前、私は七つでした」
唐突な言葉だった。
「あの晩餐会の夜、父は、家に帰ってきませんでした。翌朝も、その次の朝も。私は、あの人が、局の机で、何をしていたのか、後になって知りました」
長官は、杯の縁を、指でなぞる。
「記録を、読みましたか」
「はい」
「ならば、分かるでしょう。あれは、一人の人間が、背負えるものではなかった」
「……はい」
「分かっているのです。頭では」
そこで、長官は、言葉を切った。
続きは、出てこない。
私も、何も、聞かなかった。かわりに、脇に抱えた見積もりの束を、もう一度、抱え直す。
「二日以内に、数字を揃えます。確認だけ、お願いできますか」
「……ええ」
扉を閉めてから、私は、廊下で、一度だけ、深く息を吸った。
五日後まで、あと二日。
危険の一覧は、まだ、半分も、埋まっていない。




