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悪役令嬢のお役目、本日で満了です!  作者: 九葉(くずは)


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8/10

第8話

「羽根のドレスを買っていった劇団の人、覚えてますか」


面会室の長椅子で、ハンナは刷り物を膝に広げたまま話し始めた。


「あのとき、おまけで紙くずも引き取ってもらったでしょう。赤で書き込みのある。あれ、劇団の座長さんが読んだらしいんです。そしたら、これは使えるって。台詞がいいって」


机の下の箱。捨てるつもりだった、三年分の台本の下書き。


王妃陛下の書記の方が書いた元の台詞の上に、私が赤で線を引いて、書き直した言葉を添えてある。扇は半分。ここは一拍置く。ここで伯爵家の令嬢の右手を見る。そういう書き込みも、全部そのまま残っているはずだった。


「それで、お芝居に」


「はい。お嬢様の台詞、ほとんどそのまま使われてます。私、二回観ました。立ち見で」


二回。


「最初は皆、悪役に野次を飛ばして笑ってるんです。でも、途中から客席がざわざわしてきて。あの悪役、言ってることはひどいのに、言ったあとで必ず誰かが助かってないかって。三回目の公演からは、刷り物に落書きする人まで出てきて」


ハンナは刷り物の隅の鉛筆書きを指でなぞった。


「今、王都じゃ結構な噂なんですよ。あの芝居の悪役には本物がいるらしい、本物もときどき優しかったらしいって」


私は刷り物を見下ろした。羽根のドレスの女が、赤と黒の色刷りで高笑いしている。似ていない。私はあんなに口を開けて笑わない。


「ハンナ」


「はい」


「あなた、あれを売ったのね。わたくしの下書きを」


「売りました」


ハンナは謝らなかった。


「お嬢様が出発した次の日、王妃様のところの人たちが屋敷に来て、お嬢様のお部屋の紙を全部持っていきました。机も、引き出しも、寝台の下も。中庭で燃やしてました。旦那様は、止めませんでした」


ハンナの声が、少しだけ硬くなる。


「売ってなかったら、今ごろ全部、灰です」


長いこと、何も言えなかった。


火の前で迷って燃やせなかった帳面は奪われて、捨てるつもりだった紙くずのほうが、給金の足しに売られて生き残った。三年間、私が一行ずつ積み上げたものの行き先としては、あまりに格好がつかない。


格好はつかないけれど、残っている。


「……いくらで売れましたの」


「羽根のドレスのおまけなので、ただです」


私は笑った。ハンナも、泣き笑いのような顔になった。


ハンナは、もう一つ手紙を持ってきていた。


封はなく、四つ折りの紙に、見覚えのある勢いのいい字が並んでいる。


十日後、王宮で灯り座の御前上演。王妃陛下のご希望。悪役が断罪されて終わる物語として、最後の幕を王宮の書記が書き足すそうです。三日後の昼、修道院の裏の街道に荷馬車を出します。乗るかどうかは任せます。アイゼン隊長のことは、今やってるところ。M。


ハンナによると、ミアはこの半月で、ずいぶん変わったらしい。


紅茶をかけた伯爵家の令嬢に、次の茶会で、その方のお祖母様の形見の首飾りのことを、にこやかに褒めてみせたのだそうだ。あら、素敵な首飾り。本物でしたら、きっとお祖母様もお喜びでしょうね、と。令嬢は、茶会の途中で帰ったという。


殿下は、その場にいなかった。


自分の婚約者も守れない方、という言葉が、今は宮廷のあちこちで扇の陰に隠れているらしい。


「三回に一回、ですね」


ハンナが得意げに言った。あの夜の厨房で、木べらを持って隣に立っていたのを覚えているのだろう。


私は四つ折りの紙を畳み直した。


乗るかどうかは任せます。


あの子らしい書き方だと思った。


三日後の昼、祈りが終わると、マルガ様は院長室へ下がっていく。


扉を閉める前に、一度だけ私を見た。何も言わない。扉の向こうで、椅子の軋む音がして、それきり静かになる。


私は厨房の裏口から出た。前掛けを外して、かまどの脇の板の上に畳んで置く。見習いの子が、灰掻きの手を止めて私を見ていた。


「行くの」


「ええ。少し、用事ができましたの」


「戻ってくる?」


「どうかしら」


見習いの子は少し考えて、それから、かまどの脇の板を指さした。炭で書いた手紙の下書きが、まだ消されずに残っている。


「字、ありがと」


街道には、干し草を積んだ荷馬車が一台止まっていた。御者台の男は無口で、私が荷台に這い上がるのを確かめると、何も聞かずに手綱を振った。


干し草の匂いの中で、私は揺られながら、酔わなかった。薄荷も生姜もないのに、今度は不思議と酔わない。


灯り座の楽屋は、王都の外れの古い倉庫だった。


座長は四十がらみの小太りの男で、私の名を聞いても驚かず、ハンナの顔を見て「ああ、ドレスのお嬢さん」と言った。それから棚の奥から、紐で束ねた紙の山を下ろしてくる。


私の赤字だった。


茶色く染みの浮いた紙の上で、書記の方の黒い字に、私の赤い線が何百本も走っている。扇は半分。一拍。右手を見る。十五の私の字と、十八の私の字が、同じ紙の上で少しずつ違う。


右手を見る、という書き込みの横で、指が止まった。あの人の帳面にも、同じ夜のことが書いてあったはずだ。私が見ていた右手を、あの人も見ていた。


あれから、半月以上たつ。王都に着いても、あの人の噂は聞こえてこなかった。


「うちの台本は、これで回してます。ただ」


座長は束の一番下を叩いた。


「最後の幕だけ、書けてないんですよ。この悪役がなんで優しいのか、誰も知らないもんでね。それを王宮の書記さんが書き足すって話になってますが、どうせ、泣いて修道院へ行きました、で終わりでしょう。客は、それじゃ納得しない」


「わたくしに、書けと」


「書けるんですか」


「書けますわ。三年、書いておりましたもの」


座長が、ちょっと笑う。商売になる、と顔に書いてあった。


最後の幕は、倉庫の隅の酒樽を机にして、四晩で書いた。


書き上がった紙を最初に読んだのは、悪役を演じる看板女優。三十手前の、声の低い人で、読み終えると紙を座長の胸に押しつける。


「座長。この悪役、最後に全部言っちゃうじゃない。これ、王妃様の前でやるの」


「客は入る」


「首が飛ぶかもよ」


私は酒樽の前から立ち上がる。


「飛ぶのは、わたくしの首だけにいたしますわ。最後の台詞は、客席に紛れた本物の悪役が、勝手に舞台へ上がって言ったことにしてくださいな。座の皆様は、止めようとしたけれど間に合わなかった、と」


女優は私を上から下まで眺めて、ふん、と鼻を鳴らす。それから、稽古をつけてくれと言った。その晩、私は倉庫の真ん中で、扇は半分、と三十回言った。


御前上演の日、王宮の小劇場の楽屋は、朝から騒がしい。


私はハンナと一緒に、衣装係の手伝いという顔で楽屋の隅にいる。灰色の地味な服に、髪を布でまとめて。誰も、裁縫箱を抱えた娘の顔など見ない。


開演の半刻前だった。


悪役を演じる看板女優が、鏡の前で急に口を押さえて立ち上がり、そのまま床に崩れた。


「昨日の牡蠣だ」


誰かが叫んだ。楽屋じゅうが一度に動き出す。水、桶、医者。女優は青い顔で、無理です、とかすれた声で繰り返している。


座長が、真っ白な顔で楽屋を見回した。


「代わりは。悪役の台詞が全部入ってるやつは」


誰も手を挙げなかった。悪役の台詞は長い。三年分ある。


私は裁縫箱を床に置いた。


髪をまとめていた布をほどいて、座長の前に出る。座長が私を見て、口を開けたまま止まった。


「代役なら、ここにおりますわ。悪役令嬢ロザリンデ。本人です」

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