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一蓮華《いちれんはな》は溺愛白狐《シロ》に守られている  作者: 猫邑 ゆか
第三章

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第60話:希望の華を見つけに④

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 飛び込んでくるなり、白い獣は喉の奥から地を這うような唸り声を上げた。


 「華に触るな。僕の大切な華に!!」


 座敷の真ん中へ風のように踊り出たのは、璃九を襲ったあの時のような、大きな妖狐となって怒り狂っているシロだった。


『離れろ!!』


 空気をも震わせる咆哮に、周囲の錦鯉達が悲鳴を上げて散り散りに逃げ惑う。


 逆立つ純白の毛。剥き出しの牙に、大きく見開かれた瞳。理性を焼き切るほどの怒りが宿る恐ろしい姿。


 けれど、誰よりも会いたかった、愛しい彼の名前を叫ぶ。


「シロ!」


 その呼び声に、シロはわずかに空気を和らげた。


 それに反応するかのようにオロチは私の腰に回した手に力を込め、冷ややかに笑った。


「ほぉ……こんな所にまで遠路はるばる祝いに来てくれたのか」


「ハッ! 誰が好き好んで蛇の祝いに来るねん! 」


 シロはギロリとオロチの顔を睨みつけた。


「……しょうもない蛇と戦いに来たんやない。僕は華を迎えに来たんや!!」


 オロチが瞳孔を見開き、切り裂くような威嚇音を上げる。シロはその威圧をもろともせず、一直線にオロチへと飛びかかった。


 その瞬間、オロチの手が圧倒的な力で私を遠ざけた。


 不意を突かれ、オロチが怯んだ。シロはその隙を逃さず、私をその柔らかな背中に乗せると、一気に広間の外へと飛び出した。


「華!しっかり捕まっときや!」


 彼の首に手を回し、必死に抱きしめる。シロは全速力でその場を駆け抜けた。


「あぁ、シロにやっと会えた……」


 ふわりと柔らかな純白のシロの体毛に顔をうずめる。先ほどまでの緊張感を包むようなシロの懐かしい香りは、私の頭をすっきりと澄み渡らせてくれた。


 蓮の花茎を縫うようにして水中を進んで行く。後方では怒りに染まったオロチが凄まじい勢いで追ってきていた。


 水面が近づいてきた。しかし、オロチの手がシロの尻尾を捕らえようと伸びてくる。


 その指先がシロの尻尾の先に触れた瞬間――水面を突き破り、私たちは地上へと放り出された。


 そこは、いつものお寺ではない。ぼんやりと不気味な霧に包まれ、冷え切った空気が張り詰めている。


 ハァハァと荒い息を吐きながら、シロは私を隠すようにして立ちはだかった。


「白狐ごときが、この水神のモノを連れ去ろうなど」


「このまま華と逃がしてくれる、訳ないやろなぁ……」


「逃がす? 何を馬鹿な。花嫁を取り戻す前に、絞め殺してくれる。お前は邪魔だ」


 そう言うなり、オロチの尾が鞭のようにしなり、シロへと襲いかかる。


 シロは高く跳躍して躱し、そのままの勢いでオロチの首元へ飛び込んだ。


 二つの影が激しくもつれ合う。


 ついに、シロがオロチを組み伏せ、その鋭い爪を振り上げた。


(……ッ!)


 考えるよりも先に、ひやりとした感情が私の中を駆け巡った。


「シロ!だめ!」


 叫ぶと同時に、身体が勝手に動いていた。


 シロの腕が重力に従って振り下ろされる。


 鈍い感触のあと、肩に走る焼けるような痛み。傷口からは、鮮やかな花弁のように血が舞い散った。


「華!?」


 シロが見開いた目をこちらへ向け、凍りついたまま、ただ私の顔を覗き込んでいた。


「我が花嫁が傷物に!!」


 そう叫んだオロチが、隙を見せたシロを引きずり、巻き付き、締め上げる。ミシッと骨が軋む鈍い音が響き、シロが苦悶の声を漏らした。

 

「……ぐうぅッ」


「シロッ!」


(どうしよう。どうしたらいいの……)


 傷む肩の傷を抑え、狼狽える私に、足元の亀が荒い息を整えながら大声をあげた。


「お嬢さん!これをアイツにぶっかけるのです!」


 足元に転がってきたのは、どす黒い液体が詰まった瓶だった。


 肩の傷口がずきずきと痛む。けれど、それに構っている暇はない。


 私は迷わずそれを掴み取り、着物をたくし上げて駆け出す。力任せに栓を引き抜き、オロチの顔面めがけてその中身を勢いよくぶちまけた。


「なんだ!? 目が……!息も出来ん……」


 オロチが身を悶えさせ、みるみるうちに小さな蛇へと姿を変えていく。けれど、シロの瞳には、不安定に揺れる狂気が宿っていた。


「憎い……肉を裂いて、噛み砕いて、飲み込んでやる。もう二度とその姿を、華が見んように」


 大蛇だったものは、小さな蛇になって地面にぐったりと倒れていた。もはや手の平に収まるほど弱りきったその存在を飲み込もうと、シロが大きく口を開く。


「シロ!やめて!」


「……なんで止めるん」


 私を守ろうと必死な彼の瞳に、一瞬、私の心は戸惑う。


「アイツは華を攫った。華を傷つけた。悪いんは、アイツや。殺されるんは当然や」


 目を細め、苦しげに、そして恨めしそうに、シロは言葉を吐き出した。


 守護霊としてのシロ。

 私を守ってくれるシロ。


 けれど私は、私を守ってくれる彼を、守らなくてはならない。 シロが憎しみに呑まれ、その手を血で汚してしまうことを私だけは絶対に、許してはいけないのだ。


 小さく息を吸い込み、精一杯の言葉を紡いだ。


「私は、シロに誰も傷つけてほしくない。誰かを壊して、その重みに自分が傷ついて、そんな辛い思いをさせたくない。 死んじゃったら……もう取り返せないんだよ。殺してしまったら、シロだって一生、その痛みと恨みを背負うことになる」


 死んでしまったら、もう会えない。


 逝ってしまった方も、残された方も。

 奪った方も、奪われた方も。

 そこで時間が止まってしまう。


 お母さん、私は――。


 「私はシロと一緒に、生きていたい」


 彼の名前を呼ぶたびに、胸の奥に溜め込んでいた想いが涙となって頬を伝う。


「シロ」


 霧が晴れ、シロはいつものヒトの姿へと戻っていく。


「シロ、好きだよ」


 シロと視線が交わった瞬間、勢いよく彼に抱きしめられた。


 彼から漂うお日様のような懐かしい香りと、静かな温もり。その胸からは、いつもよりずっと速い鼓動が伝わってくる。


「……僕も華の事、好きや」


「ふふ。良かった……」


 肩の力が抜け、ふわりと微笑んだ私を見て、彼は慌てたように言葉を重ねた。


「違うねん!いや、違う事ないねんけど……僕は華の事、愛してる、ってことやで」


 シロの真剣な言葉に、張り詰めていた糸がふつりと切れる音がした。途端に、胸の奥から止めどなく温かいものが溢れ出す。


 私は背伸びをして、彼の大きな背中をしっかりと抱きしめ返した。この温もりが、もう二度と離れないように。


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