第59話:希望の華を見つけに③
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皆が願っている。
「茶屋の女が振り向いてくれない。大蛇様、彼女がこちらを見てくれますように」
「あの方がどうか私一人を見てくれますように……お願いします、お願いします……」
「水神様、水神様。心苦しい。呪ってください。あの浮気者も憎いが、なにより女が憎い」
「大蛇様、オロチ様……どうかどうか……」
皆が勝手な願いを勝手に願ってくる。
己の身体が、己の意識が、呪詛に蝕まれていく。
人々の願いを受け取るたび、水神としての力は増していく。
けれど、それと引き換えに魂は黒く濁っていった。
苦しい。苦シイ、クルシイ……。
意識が、水底の深淵へと沈んでゆく。
寒い、暗い、寂しい、怖い。
思いは重い。
ドロドロと溜まる。
底へ、底へと泥は沈殿していく。
目は眩み、愛は暗む。
闇の中、光が産まれた。
あぁ……やっと……。
◇
誰かの声が遠のいていき、それと入れ替わるように、たくさんの話し声ががやがやと押し寄せてきた。
重い瞼を無理矢理こじ開けると、視界に飛び込んできたのは広大な和室だった。
(ここは、どこ?)
ぼんやりとした目で周りを見渡した。
金や銀で美しい蓮が描かれた襖と、見事な細工の欄間。見たこともない豪華な部屋の中で黄や白、朱色といった極彩色の着物を纏った人々がずらりと並び、舞い踊ったり、御膳を運んでいる人もいた。
私は何かにもたれ掛かっている事に気が付いた。頬に伝わるひんやりとした感触の正体を確かめようと、顔を上げた。私がもたれ掛かっていたのは……オロチの胸だった。
(……ッ!?)
私の頭は瞬時に冴えた。けれど、全身に力が入らず、身体は言うことを聞かない。
「おぉ、我の花嫁。やっと目を開けたか。待ちわびておったぞ」
先ほどまでの半人半蛇ではなく、完全に人の状態で美しい碧の着物を纏っているオロチ。足を崩して寛いでいるその膝の上で、私は抱えられていた。
言うことを聞かない身体はそのままに、目だけを動かして周囲を見渡した。
視線を真下に降ろした時、着せられている私の着物が、目の前にいる彼と揃いであることに気がついた。背筋に冷たいものが走り、息を呑む。
「鯉ら、花嫁が目覚めた!さぁ、婚礼だ!」
オロチの大きな一声に、鯉たちは動きを止め、一斉にこちらを向いた。
(なに……これ……婚礼って言った?……結婚!? けっこん!? 結婚って好きな人とするものでしょう? 好きでもないし、なにより蛇だし、絶対嫌だ!)
困惑している私の頭の中とは裏腹に、私の外側は声も出せず、身動きも取れない。金の着物を着た鯉が、粛々と祝詞を読み上げている声が聞こえた。
「さぁ、手を」
降り解けない程にぎゅっと握られた私の左手の薬指は、オロチに口付けられた。
「蛇の姿は嫌なのだろう?お前が怖がるだろうとこの姿で居るのだ。鯉共はぶつくさ言っておったがな」
楽し気に笑う彼は、先ほどの恐ろしい姿とは少し違った。
でも、やっぱり嫌なのだ。
私は喉の奥から、やっとの思いで声を絞り出した。
「……降ろしてください」
「いやだ」
ぐっと腰を引き寄せられ、オロチの顔が至近距離まで迫ってきた。
「……ひっ」
反射的に目をぎゅっと瞑り、私の喉から小さく悲鳴が漏れた。
一瞬、目を見開いたオロチは、小さく息を吐き出すと、ゆっくりと深く目を伏せた。
「……やはり、お前もか……」
その呟きには、拒絶への怒りよりも、諦めと悲しみが深く沈んでいた。胸を刺すような彼の声はあの夢の……。
自嘲するような呟きの直後、凄まじい轟音が響いた。
障子を突き破り、何もかもを蹴散らして、巨大な白狐がその身を躍り込ませてきたのだ。
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