第58話:希望の華を見つけに②
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月も雲に隠れる、深い夜。
亀に案内されるまま、ヤニ入りの神酒を手に、僕は穏やかな蓮池の中をじっと見つめた。
水に入れば息ができなくなる。
かつて水底で命を落とした冷たい記憶が、思考を恐怖で塗り潰そうとしていた。
亀に大丈夫だと言われたところで、そんな言葉では、僕の心を蝕むこの呪いを打ち消すことはできない。
心臓が早鐘のように打ち鳴らされる。
それでも、華を助けるためにはここで退くわけにはいかない。
僕は肺いっぱいに空気を吸い込み、覚悟を決め、ブンタへと鋭い視線を送った。
「……ブンタはなんかあった時の為にこっちに居ってな」
「おう。伊吹や正に、華が居らん事バレんように誤魔化さなあかんしな……シロ、気を付けてな」
「ブンタも、頼んだで」
僕は目を瞑って、蓮池へと一歩踏み出した。
ごぼごぼと、水を裂く不吉な音が鼓膜を震わせる。
死の瞬間の苦しみがフラッシュバックし、口元を覆う指先が震えた。
(……恐怖に飲まれるな。今は華の事だけ考えるんや)
僕の思考を埋め尽くしていたあの恐怖を、ただ華を救いたいという気持ちだけで塗り潰していく。
ふと耳を塞いでいたはずの周囲の雑音が、嘘のように消え失せた。静寂の奥から『大丈夫だよ』――と、包み込まれるような優しい声が聞こえた気がした。
「さぁ、こちらですよ」
泡が消え、視界が開けた先。そこは池の中とは思えない、ただただ広い水中の世界だった。蓮の茎が所狭しと森を成し、錦鯉たちが優雅に漂っている。
亀がヒレで指し示した水の底、そこには荘厳な屋敷が鎮座していた。
蓮の茎を辿り、屋敷へと辿り着いた。屋敷の中は不思議と水が侵入しておらず、淡く光る空気に守られているようだった。足を踏み入れると、確かに床の感触がある。
時折ひらひらと長い着物を着た人の影が見える。それらから身をひそめるように奥へ奥へと進んだ。
しばらく外廊下を進んでいると、広間の方から騒がしい声と愛しい気配がした。
「華の匂いがする……それから、水神の匂いも……!」
「あぁ、そんなに慌てて出たら……」
亀の忠告など、今の僕の耳には届かない。
ざわめき立つ心に呼応するように僕の身体は変貌していく。
僕は柱の陰から、一気に広間の中へと踏み込んだ。
◇
前の娘は小さくて可愛らしい娘だった。
とても可愛らしかったので、そのまま、置いていたらすぐに消えてしまった。
人間はあまりに壊れやすい。
長い間、五百年。
独りぼっち。
淋しい。
寂しい。
ずっと一緒に居れる娘を……。
そうだ、次の娘には栄養をあげよう。
育てて私と同じにしよう。
同じ時をいつまでもいつまでも幸せに過ごせるように。
枯れないように、大事に大事に育てて、一輪の美しい『華』にしよう。
彼は、希望の光を見つけたかのように心を躍らせた。
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