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一蓮華《いちれんはな》は溺愛白狐《シロ》に守られている  作者: 猫邑 ゆか
第三章

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第57話:希望の華を見つけに①

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 華の名を呼ぶ僕の咆哮は、ただ虚しく静寂の中へと溶けていった。


 さっきまでの暴風雨も、足元を縛り付けていた泥も、すべてが幻だったかのように消え失せ、あとに残ったのは残酷なまでの静けさだけだった。


 あれほど荒れ狂っていた蓮池は、今は嘘のように静まり、ただ穏やかな水面が広がるばかりだ。錦鯉がゆったりとひれを揺らし、何事もなかったかのように水底の暗闇へと溶け込んでいった。


 僕は、池の縁で呆然と立ち尽くす他なかった。


「……僕のせい、や」


 行き場のない拳を、力任せに地面へと叩きつける。大切な華を失い、守護霊としての矜持も脆く崩れ去っていく。


 僕がもっと強ければ。僕が華を守り切れていれば――。後悔が喉を締め上げ、焦燥感が僕を蝕んでいく。


 でも、もう遅い。


 その時、静寂を切り裂くように、小さな声が聞こえた。


「もし、そこの白い狐さん。私にお手伝い出来る事があると思うのですが……」


 蓮池の石の上から声をかけてきたのは、つるりとした甲羅と深緑の身体を持つ亀だった。


「私の大切な友人がここの水神様に酷い目にあわされたそうで、機会を伺っておったところのこの騒ぎ。いやぁ、大変でしたなぁ」


 前ひれを口元に当てて亀は大げさに続けた。


「龍になりたいと願う鯉どもが、大きな蛇を龍だと信じ込んで神使となり、崇めている。全く阿呆な事で」


 亀は池の底を指し示すように、鈍く光る瞳を向けた。


「水神様の本体がこちらへ出てきたことで、ここはもうあちらの世界へと繋がりました。蓮の茎を伝って水底へ降りることが出来ます」


「……空気はどうするんや。あそこは水の中やろ」


 息ができない水の中。

 それは僕の中に根付いている恐ろしい記憶だ。


 険しい顔をする僕に、亀は溜息をついた。


「あなた、妖でしょうに。呼吸なんて必要ないでしょう?」


「あ……そうか」


 守護霊となってからも生きていた頃の感覚が染みついていている。華と話せるようになってからは自分が妖であるという自覚さえ、すっかり薄れていた。軽く唾を飲み込み、もう一つの疑問をぶつける。


「アイツに睨まれたら身体が動かんなるんは、どうしたらいいんや」


 ちらりと僕を見て、亀は無い眉を釣り上げる。


「水神様は神様ですからねぇ、そんじょそこらの妖とは訳が違う。あなたのようなただの守護霊が動けなくなるのも当たり前です。……水神様の苦手なものは、御存じですか」


「……苦手なもの?」


「ヤニですよ」


「ヤニってなんや?」


「煙草ですよ、煙草。人間が好む、燃やすと凄まじい匂いがする、あの毒草です。あれのタールという成分だそうですが……古いものはヤニと言いますねぇ。強い神酒にヤニを浸しとくんです。私の友人から教えてもらいました」


 池の石からこちらへすいーっと泳いできた亀は、きょろきょろとまわりを見渡した。


「……あぁ、ここにもある。ここにも。観光客がたまに落としていくんですよ。寺が燃えてしまったらどうするんだか」


 そう言って亀は、器用に前ひれで吸殻を蹴った。


「早く集めておいでなさい。神聖な神酒と共に」


 体毛のない蛇の妖にとって、神酒で浸したヤニの毒はてきめんに効くはずだ。

 亀にそう促され、僕は藁にも縋る思いでブンタの元へと走った。



 僕は息を切らしてブンタの元へ駆け込んだ。


「ブンタ!! 煙草や! ありったけくれ!!!」


 唐突な叫びに、ブンタは目を丸くした。


「なんや!? 煙草をそんな一気に吸うたら阿呆になるぞ!?」


「ちゃうわ! 華が水神に攫われたんや! 助けるために必要なんや!!」


 その言葉に、ブンタの表情が険しく引き締まる。


「なんッ……!? 婆さんの言っていた『水難』ってこれか。クソッ、もっとちゃんと言っとけや……!」


 悪態をつきながらも、ブンタは迷わず両手に抱えた煙草を僕の前に差し出した。


「……これでええんか」


「今はこれに賭けるしかないんや」


 ブンタからありったけの煙草を受け取り、僕とブンタは一蓮寺へと駆け戻った。



 こっそりと拝借した、神社でニチゲツに渡された神酒。


 澄み渡る透明感に小さな気泡を浮かべていたその瓶を、ブンタが用意してくれた口の広い鉢に空ける。僕は手当たり次第に煙草を掴み、その束を一気に神酒の中へと突き刺した。


 透明だった液体は、ヤニが溶け出すにつれて瞬く間に変色し、見るも無残な茶黒い濁りへと変わっていく。


 瓶へとその液体を移しながら、僕は強く祈った。


 体毛のない蛇の妖にとって、神酒の霊力と溶け合ったこのヤニは、きっと耐えがたい毒となるはず。これが、華を助ける唯一の武器になるのだ、と信じるしかない。


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