第53話:動き始めた心は
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デカい虎と二人、雪山を走るバスの上。
風を切る寒さの中、ミトラと僕は並んで座っていた。
空を眺めていることにも飽きた頃、ずっと胸の奥で燻っていた正月のあの出来事を、ようやく切り出すことができた。
「……この間はすまんかったな」
ミトラは視線を空に向けたまま答える。
「別にいいよ。あやかしは、たまに暴走する事があるから。……でも傷つけるのは良くないから、ミトラは怒った」
「……そうか。すまん」
「うん」
僕も空の方へ視線を合わせ、一拍置き、意を決して訊ねた。
「ミトラは……璃九が誰かと楽しそうに話しとる時、イライラした事、あるか?」
「んーん? ミトラは別にイライラしない」
ミトラは飄々としたものだ。
「正月のあの時。なんか、すごく腹の中がムカムカして、頭に血が上って、何も考えられんくなってん。感情が爆発したっていうか」
「シロ、神格下がったから余計にイライラがいっぱいになった」
「なんで、僕は、あんなに……」
あの時、僕だけが一人、腹の底から湧き上がる黒い濁流に飲まれていた。華が笑いかけるたび、相手が憎くてたまらなくなる。そんなおぞましい感情が自分の中に巣食っていることに、僕はただただ困惑するばかりだ。
ミトラは体勢を変え、腹ばいになり、腕に顎を置いてこちらを向いた。
「神格が下がるってことは、理性が弱くなる。我慢が出来なくなる。自分の欲望に忠実になる。獣になる」
ミトラの言葉が、ゆっくりと僕の胸に落ちていく。
華を独り占めしたい。
誰にも触れさせたくない。
華を自分のものにしたい。
自分の中に、そんな強烈で独占的な欲望が渦巻いていたなんて。いや、気が付かなかったふりをしていただけなのかもしれない。
「難しいことじゃない」
ミトラはこちらを一瞥して、ふっと鼻を鳴らし、ニヤリと楽しげに笑った。
「シロはさ、華のことが一番好きだってことだ」
その言葉の意味が、脳内で反芻するよりも早く胸の奥に火を灯した。僕は目を見開いて、隣に座るミトラの横顔を見た。
「一番好きってことは愛してるってことらしいぞ!でもそんなイライラしたら、守護霊失格だ!これはもう、ミトラが華をもらうしかないな!ははは!」
「華は、僕の華や!」
自分でも驚くほど素直な言葉が口をつき、隣で笑っていたミトラが静かになる。
あのお正月の時のような黒くドロドロした感情なんかじゃない。もっと真っすぐで、熱くて、痛いほどの純粋な想い。
僕が華を守るためにここにいる、それは紛れもない『愛』と呼ばれるものだろう。
けれど、この気持ちは、守りたいだけの愛では無い。
保護欲や、生ぬるい絆などではなく――愛しさも劣情も渇望も全部合わせた独占的な『愛』なのだ。
「これが『愛してる』……か」
僕の呟きに、ミトラは満足そうに目を細めた。
ミトラは、そんな僕を見透かすように、柔らかな色を帯びた瞳を向ける。そして、どっしりとした大きな前足を、僕の肩にそっと乗せた。
「華の事、よろしくね」
僕の肩に伝わるその体温を感じながら、託された思いも乗せ、改めて胸に誓った。
雪山を吹き抜ける風が、先ほどまでの刺すような冷たさを失い、どこか優しく僕を包み込んでいた。
◇
三葉が無事に保護され、あれこれと感情の激流に揉まれたスキー合宿から戻ってきた、数日後。私とシロは、ブンタさんに連れられて繁華街を歩いている。
繁華街といっても、普通の場所ではない。ブンタさんに連れてこられたのは、いわゆる夜の街だ。
まだ昼下がりだからこそ、この一帯は静まり返っている。けれど、中学生をこんな場所に連れてきて、このおじさんは一体何を考えているんだろう。
隣を歩くシロが、時折、私の顔色をうかがうように、ちらちらと視線を寄越している。その顔は青ざめ、口をパクパクと金魚のように動かして落ち着きがない。
「おい!!ブンタ!!こんなとこ、華、連れてきたらあかんやろ!」
「いや、そっちは行かへん」
ブンタさんはしらっとした顔で、前方とは別の方向を指差した。
「こっちや」
ブンタさんの指が指したのは、ネオン街の喧騒から少し離れた、路地の奥。
ゴミが散らばり、薄暗く、誰も足を踏み入れないような澱んだ空気が溜まっている。鼻をつくような埃っぽい匂いと、行き止まりの暗闇に、思わず足がすくんだ。
派手な繁華街へ引きずり込まれるのかと身構えていた。けれど、こっちはこっちで気味が悪かった。
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