第49話:早くこいこい、お正月③
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腹の奥がムカムカする。
華が沙門とかいう奴に笑いかけるたび、胃の底からどす黒い何かがせり上がってくるようだ。
あまりに楽しそうに相手の話を聞く華の姿に、面白くないという感情が押し寄せた。無意識に華の腕を掴み、強引に僕の方へ引き寄せる。
「シロ? そんなに引っ張ったら……」
華がよろめいた瞬間、沙門が彼女の肩を支えて引き寄せる。
「おっと、一蓮さん、そっちに溝があるよ」
華の肩に触れる、あの男の手。
――離せ。華に触るな。
僕の腹の中に蠢いていた何かが集まってくるのを感じた。
華を守っているのは僕やのに。
華を守れるのは僕やのに。
華は僕のやのに。
――華は『僕だけのモノ』やのに。
僕の周囲から深い霧が立ち込める。その異変に沙門が顔色を変えた。
「なんか、急に悪寒がする……っ、え!? ……大きな、白い狐……?」
僕の理性が、怒りで溶けていく。
目は吊り上がり、口はすべてを飲み込まんばかりに開く。獲物の肉を引きちぎれそうなほど鋭い牙が、剥き出しになった。心から溢れ出したドロドロの衝動が僕の身体を飲み込み、四つ足で立つ、巨大な白狐の獣へと変貌させる。
『華に、触るなァアアア!!』
僕の怒声は衝撃波となって周囲の景色を歪ませた。沙門を華から引き離そうと巨大な爪を伸ばした。けれどもヒトの姿でいる時間が長すぎたせいで、獣の力加減が上手く効かず、地面を深く砕いてしまった。埋まる手に土塊が纏わりつく。
「いたっ」
飛び散った小石が、華の手の甲を掠めた。
――華が怪我をした。華が怖がっている。
沙門のせいで。
◇
『全部、オマエのせいだァアア!!』
獣の姿のシロが悲鳴のような咆哮をあげた。空気が震えて、目も開けられない。
シロが再び璃九に襲いかかろうと手を伸ばす。その直前、二人の間に強引に割って入ったミトラが、勢いよく吹き飛ばされてしまった。
「ウッ」
「ミトラ!?」
「大丈夫!」
ミトラは身軽に空中で体勢を整えると、璃九とシロの間に滑り込んだ。彼女は低く、喉の奥から響く唸り声をあげる。
「守護霊のくせに、守るべき主に怪我をさせるような真似をするなんて……お前、守護霊の資格ない」
その言葉がシロの思考を激しく揺さぶった瞬間、ミトラは一瞬でシロの喉元へ飛びかかり、地面に圧し伏せた。その鋭い爪と牙の圧力に、シロは冷静さを取り戻し、徐々にヒトの形へと戻っていく。
深い霧も和らぎ、完全にいつものシロへと戻ると、彼はハッとした顔をしていた。
「華、ごめん。……ミトラも」
ミトラはシロを組み伏せていた四肢を緩め、璃九の側へと戻った。
シロは自らの両手を見つめ、顔を覆った。強い自己嫌悪に震えている彼の心に寄り添うように抱き起こし、両腕で強く抱きしめた。
「大丈夫だよ、シロ。落ち着いた?」
「……璃九にもごめんって言っといて」
私は璃九へ向き直り、シロの伝言を伝えた。
「璃九、シロがごめんって。あ、シロっていう白狐の男の子が私の守護霊なんだけど……」
「うん!僕は大丈夫。 守護霊はそういうものだよね。ちょっと派手になっちゃったけど、華を守ろうとしてくれたんだよ。……ミトラは?」
「大丈夫。平気そうだよ」
私の言葉に、彼は心底ほっとしたように表情を和らげた。彼は小さく溜息をつくと、私にも怪我を案じる声をかけてくれた。
「良かった。……華は、少し怪我してるね」
「これくらいの怪我はいつもしてるから!絆創膏を貼ればすぐ治るし、大丈夫!……あ、待ち合わせの時間来ちゃうよ!先に行ってて!」
「……うん。わかった。またね」
私が慌てて取り繕うと、璃九は何も聞かず、優しく微笑んで先に神社へと向かってくれた。その後ろをミトラが追う。去り際、ミトラがシロをじっと睨みつけた。
「……璃九を傷つけないで。次はない」
低く、地を這うようなミトラの言葉が耳に突き刺さる。こんな事態を招いてしまった以上、守護霊のミトラに責められるのは当然だろう。シロは何も言い返さず、顔を覆ったままだった。
しばらくして落ち着いたシロはのそりと座り、私の手元に視線を落とした。
「華、手……見せて」
声は、先ほどまでの激昂が嘘のように静かで、掠れていた。
「……シロ、大丈夫だからね!こんなの、いつもに比べたら全然!舐めといたら治るよ!ね!」
私は彼を安心させたくて、あえて明るい声を出し、傷ついた手をひらひらと振ってみせた。
けれど、シロの表情は晴れない。彼は何も言わずに、慈しむように私の手をとり、優しく口づけ、傷から溢れた血を丁寧に何度も舐めとった。
「も、もういいよ……大丈夫」
その温かさと、彼の吐息に恥ずかしさで胸がいっぱいになり、慌てて手を引いた。怪我をした箇所がじんと痺れ、そこから全身へ熱がまわっていくのを感じた。
◇
三葉と合流したあとも、心臓の高鳴りは止まらなかった。
「あれ? どうしたの? 元気ない?」
「ううん、大丈夫。……ちょっとだけ、頭がぼーっとしちゃって」
私は誰にも見えないように、自分の手の甲に唇をそっと触れた。目を閉じれば、あの恐ろしいシロの姿が蘇る。彼は一体どうなってしまったのだろう。恐怖や不安とは裏腹に、その熱だけが今も肌に焼き付いて離れなかった。
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