第44話:蓮池の恋
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先日ニチゲツさんから手渡された神酒を届けるために、私はおじいちゃんのお寺を訪ねた。
神社から賜った神酒は、特別な力を宿しているように透き通っていて、とても綺麗だ。私は風呂敷に包んだそれを、大切に抱えて持ってきた。
いつもおじいちゃんがいる寺務所の扉を開けて声をかけたけれど、返事はない。待ち合わせの時間より少し早く着いてしまったからか、おじいちゃんはまだ出かけているようだった。
「おじいちゃん、まだ帰ってないみたい」
「そうか。ほんなら待っとこ」
シロはそう言うと、私から受け取った神酒を抱きかかえ、本堂へと続く石段に腰を下ろした。私は時間を潰そうと、境内にある蓮池へと足を進める。
本堂の側にある、蓮池。
見頃になれば見事な白い花を咲かせる蓮池も、今は枯れた茎が残るだけの寒々しい姿だ。
けれど、そんな冷たい水の中でも、白や金、赤白の錦鯉が尾ひれを優雅に揺らめかせている。これもまた美しい自然の風景だな、なんて思いながら、私は池の縁へ近寄って覗きこんだ。
そういえば、ここの蓮池には恋愛成就の神様がいるって言ったっけ。
ふと目を閉じると、自然とシロの顔が浮かぶ。シロが見えるようになって、数カ月しか経っていないのに、彼は、私の毎日を彩ってくれる欠かせない存在となった。
私の心をほんわり包んでくれる時もじりじりと焦がすような時もある。この気持ちは、お父さんやお兄ちゃんへの気持ちとは全然カタチの違うものだ。でも今はまだ、確信が持てずにいるこの気持ちに、名前を付けないでいようと思う。
それでも、この池に願う事は――
「……大切な人とずっと一緒にいられますように」
小さく小さく呟いた直後、水の中で、何かがこちらを窺うような影が揺らめいた。
パシャッ!
視界が真っ白になるほどの水飛沫が、顔面を直撃した。
「えっ……?」
何が起きたのか理解する間もなく、冬の冷たい空気が濡れた肌を鋭く刺した。泥まじりの池の水の匂い。瞬く間に制服に冷たさが染み込み、上半身は完全にずぶ濡れになってしまった。
あまりに急な出来事に、近くの石段で座っていたシロも目を丸くして固まっている。
池の水面には、まだ波紋が広がっている。さっきまで優雅に泳いでいた朱色の錦鯉が、まるでいたずらを成功させた子供のように、のんびりと深みへ姿を消していくのが見えた。
「……鯉さん、恥ずかしかったのかな」
慌てて駆け寄ってきたシロに、かちかちと鳴りそうになる歯を必死に食いしばりながら、私は震える声を歯の隙間から漏らした。
「華! どうしたんだ!? そんなに濡れて!」
ちょうどお寺へ帰ってきたおじいちゃんも、何事かと驚いて駆け寄ってくる。慌てた様子で差し出された分厚いタオルに、私は縋るように顔を埋めた。
「こんな寒い中、ずぶ濡れになって……かわいそうに」
返事をしようにも歯が鳴って、もう声にならなかった。十一月もそろそろ終わりのこの時期。容赦のない冷え込みが、濡れた身体の熱をみるみる奪っていく。おじいちゃんの優しい声に、少しだけ心がほっと緩んだ。
シャワーを借りて温まり、服を着る。着替えのジャージをカバンに入れていたのは、まさに不幸中の幸いだった。今日の時間割りに体育があって本当に良かった。
シャワーを終えてふと見ると、いつの間にか神酒が学生カバンの傍らに置かれていた。他の人には見えないシロが、誰にも気づかれないよう、ひっそりと運んでくれたのだろう。それを持って、私はおじいちゃんのいる寺務所へと向かった。
「おじいちゃん、シャワーありがとう」
「おぉ、ちゃんと温まったか?」
「うん! あと、今日の用事はこれ。神社から預かった神酒だよ」
神酒を手渡すと、おじいちゃんの顔が嬉しそうにほころんだ。
「ありがとう、華。……しかし、神社に何の用事だったんだい? 初詣でもないのに……」
「そ、それは、その、たまたま、っていうか? 友達と遊びに行っただけだよ」
「そうなのか?今の子はよくわからんなぁ」
はははと笑いながら、おじいちゃんが出先で買ってきたのであろう、お土産の栗をくれた。
◇
「シロ、おじいちゃんにもらった栗、食べよう」
「うん……」
シロと一緒に栗を頬張る、帰り道。
「華。今日、助けてやれんくてごめんな。ビショビショになってしもて、風邪引いたらどうしよう」
そう言って、しょんぼりした顔で耳がペタリと寝てしまっているシロがかわいい、なんて思うのはちょっと意地悪だろうか。
「ううん!シャワーも借りたし、全然平気だよ!ジャージ持ってて正解だったね!あ、もう一個食べよ!」
次の栗へと手を伸ばし、指で押し、パカリと割って中身を口へと放り込む。ほんのり暖かくて、優しい甘さに安心する。
隣へ視線を移すと、彼は耳を垂れながら申し訳なさそうに、けれど優しく微笑んでいた。
鯉に盛大にからかわれて散々な目に遭ったはずなのに、隣で歩くシロとの時間は、それ以上に温かい。なぜだろう。帰り道、いつも通りの何気ない街の景色がいつもより少しだけ特別に見えた。
もうすぐ冬休みだ。胸に抱えたこの高揚感に背中を押されるように、私は思わずスキップを踏んだ。
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