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一蓮華《いちれんはな》は溺愛白狐《シロ》に守られている  作者: 猫邑 ゆか
第二章

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第37話:前とは全然違うから

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 鎌鼬カマイタチに切られてしまった髪を整えるため、お風呂場で右手にハサミを構えている。


 前回と同じようにシロには上半身裸になってもらい、私は椅子に座る彼の背後に立った。今回は髪の指通りもさらさらと滑らかだったので、シャンプーは後回しにして、まずは髪を切って整えるところから始める。


「さて、いきます!」


 気合の掛け声をかけ、シロの髪に触れる。


――あぁ、本当に短くなってしまったんだ。


 そんな見れば当たり前の事も、今朝まであったシロの長い髪を思い出すと少し寂しく感じる。


 私は深呼吸をして、バラバラに乱れていたシロの髪にハサミを入れた。私も手慣れたもので次々と切り進めていく。不揃いだった髪は少しずつ短くなり、最終的にウルフカット風のすっきりとした髪型に整った。


「おぉ、ここまで短くなると全然イメージ変わるね」


「そうか?」


 目を閉じているシロにはどこまで短くなったか、まだ分からない。長髪の時は神々しい雰囲気もあったけれど、首がでる短髪だと、なんだか少しだけ親しみやすくなるような気がする。


 シロの顔にかかった髪をそっと払う。瞼を閉じ、じっとしている彼のまつ毛が微かに震えていた。透き通るような白いまつ毛に、思わず見惚れそうになる。……いけない、今はそんな場合じゃない。私は慌てて首を振ると、再びシャワーを握り直した。


 前回の反省を活かし、今度は私がシャワーをしっかりと持ち、蛇口を捻る。冷たい水を流し、心地よい温度になるまで待つ。


 排水溝へ流れていく綺麗な白い髪を見つめ、思わず「もったいない」と感じてしまった。けれど、『いやいや!……髪の毛にもったいないも何もない!』と、すぐに思い直して、自分を戒める為に首を振った。一呼吸し、シロの頭へ優しくお湯をかけていく。


 シャンプーを泡立て、丁寧に地肌を洗う。指先からわかる彼の頭の輪郭や体温が、長かった頃よりもずっと直接伝わってくるようで、なんだかくすぐったい。


 髪が短くなった分、洗いやすくなった。でもそれ以上に、シロとの物理的な距離が、いつもよりずっと近く感じる。


 布一枚も、髪の毛で遮ることもない、彼の適度に筋肉のついた綺麗な背中や首筋が、すぐ目の前にあってどこを見ていいのか分からない。頭を見なければいけないのに、勝手に視界に入ってくるから、どうしても視線が泳いでしまう。


 雑念を振り払うように、切った毛先を中心にトリートメントをじっくりと揉みこみ、最後にシャワーで流す。コポコポと流れて行く水の音がこの時間の終わりを告げていた。


 お風呂から上がり、そのまま洗面所でドライヤーをかけてあげる。さすがに短くなったから、乾くのがいつもよりずっと早い。そのことに気づいて、ふと手を止め、毛先に優しく触れる。


 いつもならもっと長い間、シロのさらさらした髪に触れていられたのに。


「……華?」


 動きの止まった私の手に気づいたのか、シロが不思議そうに振り返った。


「ううん、なんでもない。……本当にすぐ乾いちゃうね」


 ドライヤーのスイッチを切ると、急に静かになった洗面所に、温かい余熱だけが残る。お世話をしてあげるこの特別な時間が、あっけなく終わってしまった。心の中に、小さな寂しさが広がる。


「そういえば、シロ、イタチに切られたところ……」


 よく見なくてもわかるほど、シロの肌はもうすっかり元通りになっていた。


「あぁ、大したことない傷は勝手にすぐ治るわ。さすが、妖怪やろ。……髪は伸びるん、遅いのにな」


 短くなった髪を一房摘みながらニヤリと不敵に笑うシロに、私は胸の奥がざわついた。肌はもうすっかり元通りで、傷なんてついていたのかというくらい綺麗に治っている。けれど、一瞬でも傷が付いたのなら、きっと痛かったはずだ。


「でも怪我をしたその時は痛いでしょ? 私、シロに少しも痛い思いはしてほしくないよ」


 ぼやきのような私の独り言に、シロはスッと一度目を伏せ、私の方へと向き直った。


「華、それは僕も同じや。やから、守ってやろう思ってるんやで」


「……そっか。同じ、だね」


「……同じ、やな」


 『大切な人が傷ついてほしくない』——そんな互いの思いが重なり、洗面所の静寂に溶けていく。


 沈黙の中、じっと私を見つめるシロの視線から目が離せない。さっきまで和やかな空気の中で髪を乾かしていたはずなのに、今は洗面所がひどく狭く感じられた。


 何をどうしたらいいのか分からず戸惑う私の頬に、シロの指先が触れた。いつの間にか付いていた小さな擦り傷を、彼は優しく、慎重になぞる。


「ここも、他のとこも。華の事、どこも傷つけたくないねん」


 撫でられているのは私の頬。なのに、心までも優しく撫でられているような錯覚に陥り、静かな洗面所に自分の鼓動が反響し始めた。慈しむような金色の瞳がじっと私を覗き込み、全身が熱を帯びていく。


(――このまま目を閉じてしまったら)


 ふとそんな考えが頭をよぎる。その事実に気が付いた瞬間、私の心臓は極限まで跳ねあがった。こんな気持ちをシロに悟られないよう、誤魔化すように続けた。


「あ……そろそろ、寝なきゃ……!」


 上ずってしまった言葉とともに、シロの脇を抜け、洗面所を飛び出した。


 急いで台所に置いてあるコップを取り出し、蛇口を捻った。コップに溜まっていく水をじっと見つめていたはずなのに、気づけば水面から勢いよく溢れ出していた。

 

「……あぁ!もうっ!」


 手に零れた水をタオルで拭きながら、心の声が口から漏れ出した。


「……いったい今日の私は、どうしちゃったんだろう……」


 私だけを見ていたシロのあの瞳を思い出し、心の熱はいつまでも冷めないまま、夜は更けていった。


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