第29話:心と心は向かい合う
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お練り行列の余韻と片付けの喧騒が行き交う境内の片隅で、華に声をかけられた。
彼女は、白い着物の胸元にさした小さな剣を握りしめ、泣きそうな、それでいて何か覚悟を決めたような強い瞳で僕を見つめている。
「あのね、シロ……」
華の小さな唇が開いた瞬間、僕はじっとりとした嫌な汗が全身から噴き出すのを感じた。僕のせいで、華をたくさん傷つけた。今さら戻ってきた僕を、彼女は許してくれるだろうか。『もう顔も見たくない』と直接言葉にして、あの時以上に冷たく拒絶されたら、僕はどうしたらいい。
華、ごめんな。守るって言ったのに。
僕が幸せにせなあかんのに、僕が原因で傷つけてしまって。
ごめんな、ごめん……。
胸の中でぐるぐると渦巻く言葉は、喉につかえて音にならない。言葉にしようとすればするほど、身体の外に出る前に溶けて消えてしまう。
華は一歩、僕へと歩み寄った。
永遠にも思える沈黙のあと、彼女は真っ直ぐに僕を見つめ、静かに言葉を紡いだ。
「シロ……いつも私のことを守ってくれて、本当にありがとう。……『シロを見たくない』なんて思ってしまって、本当にごめんなさい。シロのせいなんかじゃないのに。シロは全然悪くないのに。あなたに、悲しい顔をさせてごめんなさい……」
境内の喧騒を縫うように、柔らかな風が二人の間を吹き抜ける。
決意を込めるように小さな剣を強く握り直すと、華は涙の滲む瞳をこちらへ向けた。その眼差しは慈しむように優しく、それでいて、折れない芯の強さを宿していた。
「……ねぇ、シロ。私はシロに側にいて欲しい。もう、悲しい顔も苦しい顔もさせたくない。これまでみたいに、ただ守られるだけじゃ駄目だって……気付いたから。私も強くなる。いつかシロを守れるくらい、もっと強くなる……だから、これからも、私のことを守ってくれますか?」
僕はすぐに言葉を返すことが出来なかった。あまりにも真っ直ぐな想いに、ただ圧倒されていた。いつの間にか、彼女はこんなにも強い光を宿すようになっていたのだ。
「……あ」
華が小さく息を呑んだ瞬間、突風が巻き起こり、頭上から大きな枝が音を立てて降ってきた。僕は無意識のうちに華の前に飛び出し、片腕で彼女を抱き寄せ、もう片方の腕で枝を受け止めた。枝が擦れる音と衝撃が収まり、目を見開いた華が、僕の腕の中でぽつりとこぼした。
「……シロ、ありがとう」
「……うん」
絞り出すような声しか出ない。
怪我はないか。どこも痛いところはないか。そんないつもは当たり前の問いかけさえ、声が喉を通ってくれなかった。
僕はその全てを確かめるように、震える手で華の身体を抱きしめた。胸を焦がすような後悔の痛みと、華から伝わってくる愛おしい温もり。
彼女の細い腕が、僕の背中へとそっと回る。そして、まるで小さな子をあやすように、優しく、トントンと背中を叩いてくれた。
(……あぁ、僕は華の傍にいてもええんや)
華の腕に抱かれて、ようやく僕は、ここにいても良いのだと許された気がした
◇
夕日が境内を赤く染め上げ、昂ぶっていた心も落ち着いてきた頃、私たちはどちらからともなく腕を離した。自然と視線が絡み合う。さっきまでの張り詰めた緊張とは違う、こそばゆいような熱が頬に上った。
「……行こっか。服、返さなきゃ」
「……そうやな」
シロが少し照れたように視線を逸らして頷く。
衣装部屋へと急ぐ道で、私は何度も自分の手を見つめてしまった。さっき、シロに握り返してもらった時の力強さが、まだ手のひらに残っているような気がしたのだ。
着付け師さんにお願いして白無垢を脱がせてもらう。幾重にも重ねられた衣が剥がれ落ちていくたびに、身体を縛り付けていた窮屈さが消え、心身ともに驚くほど軽くなっていく。
別の部屋では、シロも袴を脱ぎ終えていた。いつもの作務衣姿に戻り、ふっと肩の力を抜いて佇む彼を見た瞬間、なんだか無性に嬉しくなった。
仲直りをしたばかりの心は、波紋が落ち着いた穏やかな湖面のように澄み渡り、不思議な高揚感で満たされていた。
私たちは並んで、再び一蓮寺の境内へと戻った。
本堂の前では、平安貴族を思わせる朱色の衣冠を纏った神社の方が、おじいちゃんと談笑していた。その人はただそこに立っているだけなのに、周囲の空気がピンと張り詰めるような、圧倒的な威圧感と人離れした美しさを放っていた。
「いやいや、ありがとうございました。助かりましてェ。お練りもつつがなくすみましたァ」
「こちらこそ。急遽の代役でしたが、孫がよく務めてくれました」
おじいちゃんと話をしていたその人は、私とシロに気づくと、おじいちゃんへ会釈をし、音もなくこちらへ歩み寄ってきた。切れ長の目に宿る淡い色の瞳が、品定めするように私を射抜く。
「おぉ、花嫁役、ありがとうさんでございました。娘さん、お美しゅうございましたねェ。いやァ、しかし、こちらの御方は神社でよう頑張ってくれましてなァ……」
「……こき使われとっただけな気ぃするわ」
不機嫌そうに毒づいたシロを見て、その人は面白くない顔を隠そうともせず、スッと眉を釣り上げた。
爪の尖った細長い指を顎に当て、こちらをジロジロと舐め回すように見てくる。
な、何……この人?
「ほォ……そういえば。……若いおなごの肉は格別な味やァ、いうなァ……」
その瞬間、私たちを取り巻いていた空気が凍りついた。
ニィッと口と眼を釣り上げた恐ろしい笑顔に、口元には獣のように尖った犬歯が覗く。
ぎょっと息を呑む私の前に、顔面蒼白になったシロが素早く割って入り、私を覆い隠すように立ちはだかった。
「フン……嘘じゃ。高貴な我はそんな俗物喰わんわァ。神酒と新しい米と豊かな作物をたんまり備えやァ」
戦々恐々としている私たちを翻弄するように、優雅で穏やかな笑みを浮かべる。
つい先ほどまで周囲の空気を完全に支配していた凄みなど、嘘のようだった。あまりの変わり身に、私たちはただ立ち尽くすことしかできない。
不思議な雰囲気を纏ったその人は、カラカラと無邪気に笑い、ひらひらと手を振って去っていった。
「マァ……その顔見れたからヨシとするわァ。お前たちはからかいがいが、あるねェ。 ふふ。ほいじゃぁねェ……数奇な運命の娘さんに、我に仕えた白狐」
「福徳円満があらんことを!」「あらんことを!」
去り際の言葉がふわりと空に溶けた直後、微かな声が重なり、その足元には小さな影がぴょんぴょんと跳ねた気がした。
◇
暗く冷たい場所で、煌く光を見ながら、呟くものがいた。
「なんと!我の為に内密に励んでおったのか。我の前で粗相をせぬ様に。我が花嫁は殊勝な事だ。あぁ、もうすぐ来てくれる……」
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