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一蓮華《いちれんはな》は溺愛白狐《シロ》に守られている  作者: 猫邑 ゆか
第一章

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第25話:小さな波紋は広がって

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 シロが姿を消してから、幾日も過ぎた。


 守護霊がいなくなるのは良くないと、今はブンタさんが私の近くにいてくれているらしい。彼は姿を消すことが出来るそうだけど、私が気を使わないようにと、家の外や木の上からそっと見守ってくれるそうだ。


 でもその存在はあまりにも静かすぎて、シロがいた頃の賑やかな日常との落差に息が詰まりそうになる。


 私は重たい足取りで玄関を開けた。


「ただいま……」


 当たり前のように返事はない。家の中は冷たい空気が重く沈んでいるように、ひどく静かだ。


 いつも通りに手洗いうがいをすませて、自分の部屋へと向かう。

 制服から部屋着へと着替え、机に向かってぼんやりと宿題のノートを開こうとした。

 そろそろ中間テストも近いししっかりしなきゃ、と思いながらも、あの時のシロの顔が、シロの声が、頭から離れない。


「っ……いたっ……」


 鋭い痛みに視線を落とすと、指からじわりと赤い血が滲んでいた。めくったノートの端で、薄く皮膚を切ってしまったらしい。


 たかが切り傷、大した怪我じゃない。

 けれど、その小さな痛みはじわじわと広がりはじめた。


「もぅっ!」


 この些細な苛立ちをノートにぶつけ、私は階段を降り、リビングへと向かう。


 手当てをしようと、救急箱を取り出して蓋を開けた。

 そこに並んでいたのは、綿球、消毒液、絆創膏……。

 整然と並ぶそれらを見た瞬間、不意に蘇る、あの日の記憶。


 絆創膏を手に取った瞬間、より鮮明に思い出す。


 初めてシロに会ったあの日、しっかり消毒して、仕上げに貼ってくれた絆創膏。ボロボロと涙を零す私を安心させようとするみたいに、油性ペンでうさぎさんも描いてくれたっけ。


 あの日からずっと、私が少しでも傷を作れば、シロが小言を言いながら手当てをしてくれていた。少しでも目を伏せれば、すっ飛んできて横に居てくれた。


 彼との日常を思い出し、ふと笑みがこぼれ、私の心に温かくて、愛おしい記憶が滲む。

 でも、それと同時に自分の愚かさに嫌気がさす。


 あの時の弾かれたように傷ついたシロの顔が頭に焼き付いて離れない。


『シロを、見たくない』


 一瞬でも本当にそう思ってしまった瞬間があったからこそ、シロを拒絶してしまった。あんなに酷い言葉を、どうしてぶつけてしまったんだろう。


 どうにもならない理不尽な悲しみを、シロのせいにして。


 知らず知らずのうちに絆創膏を持った手に力が入る。自分自身の醜さが、心に重い石を抱え込んでいるような鈍い痛みとなって襲いかかり、私を押し潰そうとしていた。張り裂けそうな心を抱え、私は逃げ込むようにお母さんの仏壇へと駆け寄った。


「お母さん……私、シロを傷つけちゃった……取り返しのつかない事をしちゃった……」


 零れ落ちた涙が畳を濡らし、小さな染みを広げていく。後悔に沈む私の心を、お母さんの穏やかな笑顔が、ただ静かに抱きしめてくれているような気がした。



 手元の煙草がチリチリと灰を落とす。

 今日も庭の木の上から、ただ毎日を過ごし、弱っていく彼女の背中をじっと見つめていた。


 シロが華の視界に入り、触れられるようになったということは、いつかは知らなければならない事実だった。二人がこの先を共に歩むなら、絶対に乗り越えねばならない壁だと判断した。だからこそ、あの日、過去のすべてを包み隠さずに教えたのだ。


(――甘やかして守るだけが、愛やない、か。)


 己の信条として自分自身にそう言い聞かせてはいたものの、絆創膏を握りしめ、消え入りそうなほど項垂れる華の姿を見ていると、胸の奥がちりちりと灼けるように痛む。


(……やっぱり、言わんほうが良かったんやろか)


 シロが去り、傷つき、バラバラになってしまった二人。

 自分の選択は本当に正しかったのだろうかという割り切れない後悔が、心にじわりと広がった。


 この行き場のない心の葛藤を、ブンタはただ、煙に委ねるしかなかった。


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