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一蓮華《いちれんはな》は溺愛白狐《シロ》に守られている  作者: 猫邑 ゆか
第一章

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第20話:現れたるは目も眩むような白狐

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 美しく整えられた中庭をぼんやりと眺めながら、ここには自分しかいないのかと思いはじめた、静寂の数分が経った頃。


「そこな、野良の白狐」


 後ろの御簾みすの奥から、いきなり声をかけられた。反射的にバッと振り返ると、部屋の奥を守り、覆い隠していたすべての御簾が、一気にサラサラと上がっていく。


 奥からしゃなりと現れたのは、僕と同じく、獣の耳を持つ一人の白い狐だった。


 しかし、纏う存在感がまるで違う。


 目元には鮮やかな紅をさし、一点の曇りもない白い装束を纏い、絹のようにサラサラと流れる純白の髪の毛は床についてしまいそうなほどに長い。


 淑やかに現れたその姿は、男とも女ともつかない常人ならざる雰囲気が漂っている。耳先から爪先に至るまで、光そのものを纏っているかのように眩い。


 見てはいけない美しさとは、きっとこの事だろう。


 その白狐は、優しい音のようでいて確かな威圧感を孕む、脳に不思議に響く声で、僕に言い放った。


「秋の例祭の準備で忙しい最中。お前にこのイナリの手代てだいをさせてやろうなァ。……ふふ、ありがたいことよなァ」


 カラカラと笑い、口を裾で隠しながら、僕の方へと流し目をやった。


「イナリ様の御前で、が高いぞ!」「が高いぞ!」


 小さな二匹の狐が、またいつの間にやら戻ってきて、僕を囃し立てた。

 子狐の騒ぎも、僕が呆然と立ち尽くしていることも全く気にしていない様子で、イナリはニィッと口と目を吊り上げる。


「お前。ここしばらくで、すこぉし神格上がったとか。けれど、まだ己の身内にしか見えん不安定な神格でしかないんやなァ……」


 そう言いながらイナリは、ジロリジロリと僕の周りを一周しながら観察し、顎の下に指を置いた。


「フゥン……例祭までにしっかりと格を上げな、あきませんなァ」


 眺められるだけで皮膚がジリジリと焼かれるような、有無を言わせぬ威圧感に気圧されながらも、僕はなんとか声を絞り出した。


「……どういうことや?そんなことして、僕に何の得があるんや」


「得?得とは?このイナリの手代が出来る事こそが、とくであり、とくであり、とくである。この上なくありがたいことやないかァ」


 イナリは全く信じられないという面持ちで手を額に当て、ブツブツと何やら一人で呟いていた。


「そうかァ、そうかァ……。そんなら、他の狐らァと一緒に、板間の溝から戸の隙間の隅っこの隅っこまで、磨き、清めてこいなァ……我らの主祭神しゅさいじんの祝いの為に」


 チラリと僕を一瞥した後、優雅なしぐさで踵を返し、こちらの事情など知る由もなく御簾の奥へと帰っていく。


 いつの間にかイナリの傍らに控えていた一人の白狐だけが、何故か恍惚とした顔で震えていた。



 イナリの横暴な要求に僕は悪態をつく。


「なんっっっで僕がこんなこと、せなあかんのや! 『全てを磨き終えないと、ここを出ることはできない。例祭までに間に合わせろ』 やって……んなアホな!……はぁ……」


 イナリの側近である、冗談の通じなさそうな堅物『カスイ』そして、先ほど恍惚とした顔で震えていた『ニチゲツ』という二人の白狐に、例祭までに掃除をしろと言い渡された僕は途方もない長さの石段を前に、溜息と悪態をつき、脳内ではグルグルと答えの出ない華への気持ちを考え続けていた。


 華の今の気持ちを考えれば考えるほど、胸が押し潰されそうになる。あんなにも明確に、拒絶されてしまった。もうこれ以上、僕がそばにいることは、彼女にとって迷惑でしかないのだろう。


(――分かってる。分かってるんや。僕さえ消えれば、華は傷つかずに済むんやから)


 頭ではそう理解していても、心臓の奥が疼いて仕方がない。

 守るべき相手である華が、もしも独りで泣いていたら。

 もしも、僕がいないせいで彼女に万が一があったら。


 無力感と後悔が渦巻く中、僕は石段を見つめる。どれほど嫌われても、拒絶されても、それでもやっぱり、華のことが心配で、どうしようもない。


 そんな取り留めのない思考を抱えたまま、とりあえず身体を動かした。


 ずーっと中腰でやっとるから、腰もバキバキや。

 手も痛い……。

 なんなんや、ホンマ。

 横暴やねん、アイツ。

 勝手に連れてきて、綺麗に掃除せぇってどういうことやねん。


 不安も不満も一緒に入っているような気さえする、水の入った重いバケツを運び、数名の白狐と手分けして、ヘチマで作られたタワシで石段を磨いていく。


 泥だらけで、苔むして、たまに滑る果てしない石段に僕はうんざりしていた。それでも手を抜くことはできず、ただ黙々と手を動かすしかなかった。


 月が真上に昇る頃、石段を登ってきたであろう人に声をかけられた。


「こんにちは。やぁやぁ、精が出ますねぇ」


「はぁ……?」


 顔を上げると、ニコニコと笑うおじいさんが僕の横をすり抜け、のんびりと石段を登っていった。僕は首をひねりながら、石段の掃除に戻った。


 少しすると、今度はおばあさんがやってきた。


「あら、おミカン、いかが? 頑張ってお掃除してくれてえらいわねぇ」


「あ……ありがとう……」


 そのおばあさんもまた、僕の横をすり抜け、上へと登っていく。


 このおじいさんやおばあさんの他にも、若い人や子どももいた。石段を磨いている最中にまばらに人影が通っていく。


 僕の狐の耳や、普通の人間とは違う金色の目に気付いているのかいないのか。皆が皆、ごく普通に、ごく自然に、知り合いのような近さで接してくる。


 不気味さと驚きで困惑し、呆然としていると、背後から元気で腹の立つ声が飛んできた。


「あー!悪いんだー!サボるな!」「サボるな!」


「……うるさいわ。ちゃんとやっとる」


 いつの間にかやってきた二匹の子狐に急かされ、僕は慌てて、がむしゃらにタワシを動かした。


 やがて、カスイが様子を見に来たので、先ほどの不思議な出来事について尋ねてみた。


「さっき、おじいとかおばあがここを通っていったんやけど、僕の姿を見ても全然驚かんかってん。しかも、なんか……ミカンくれた」


「ここは現世うつしよ隠世かくりよの狭間に揺れる神域だからな。そのおじいさんとおばあさんは、霊体だったのかもしれないし、人間だったのかもしれない。どちらかは私にも分からないが……ここは、そういう場所なんだ。ミカン、良かったな」


 そう言って、カスイは僕の頭を軽くぽんぽんと叩いて、戻って行った。


 足も腰も肩も首も痛かったけど、僕は不思議と少しだけ、心が温かくて清々しい気持ちになった。石段から景色を眺めると、心地の良い涼しい風が吹き抜けた。


お読みいただきありがとうございます。このお話の続きを楽しみにしてくださる方は、ブックマークや評価で応援していただけると励みになります。どうぞよろしくお願いします!

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