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一蓮華《いちれんはな》は溺愛白狐《シロ》に守られている  作者: 猫邑 ゆか
第一章

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第17話:沈み、沈む

 「――そうしたら、とりあえず。せっかくここに来たし、香に挨拶させてもらうわ」


 そういってブンタさんはすっと靴を脱ぐと、家の中へとズカズカと上がり込んできた。


 私がどこにあるかも教えていないのに、リビングの横の和室、お母さんの仏壇の前へ、粛々と座った。そもそも、どうして私のお母さんを『かおり』と親し気に呼ぶのだろうか。


 ブンタさんが両手を合わせて数分が経ち、彼の後ろに座っていた私たちへと向き直った。


 「シロのことも見えとるんやったら、香の話もせなあかんな」


 狸のあやかし、ブンタさんは、そう言って、覚悟を決めたように頷いた。どこか懐かしそうに、けれど悲しそうに、彼は『全て』を話し始めた。



 風来坊のこの俺が、大妖怪のこのお狸様が、今や、何が悲しゅうて幼稚園の子供のお守りなんかしとんやろ。


 ……まぁ、かわいいもんやけど。


 おままごとなんか、何がおもろいんや。

 おお、上手に包丁持って、切るやんか。


 はぁ、煙草も吸われへんし、雨脚も強くなってきたし……昼寝でもしよかな。


 教室の隅で、ウトウトし始めた途端、何か、とてつもなく嫌な気配を感じ、俺は駆けだした。



「華ちゃん、今日はお家の人のお迎えが遅くなるから、先生とあそぼっか」


「うん! せんせいも りんごきってー」


 いつものせんせいじゃないせんせいと、おままごと!


 おともだちはみんなかえったのに、おむかえにきてくれない。

 もう、おかあさんったら!


 おひるねしてて、おねぼうしちゃったのかな。

 おかいもので、とってもならんでいるのかも。


 あめもザーザーふってて、おそとでもあそべない。


 りんごと、にんじんと、ぴーまんを、まぜまぜ。


 おままごとなら、ぴーまん、たべられるよっていわなきゃ。


 まだかなぁ。

 まだかなぁ。



 雨がしとしと降る中、私はいつものように娘を迎えに幼稚園へと向かっていた。少し早めに家をでたのは、雨音を楽しみながらゆっくりと歩いて行こうと思ったからだ。


 川にかかる小さな橋を渡りきると、娘の通う幼稚園が見えてくる。


 その時だった。


 視界の端、川のほとりで黒い影が散ったように見えた。私は不思議に思い、思わずそちらへと目をやった。


 川の真ん中で、白いものが浮いたり沈んだりを繰り返している。目を凝らしてみると、それは一匹の白い狐だった。どうやら溺れているようだ。


 この川は膝くらいの深さで、人間なら渡ることができる。私は迷うことなく、急いで川へと足を踏み入れた。


 白い狐のもとへ駆け寄った。まだ幼い、小さな白狐。その小さな足が、水草に絡まっている。子狐はバタバタと必死に暴れているけれど、もがけばもがくほど水草はより強くその小さな足に絡みつく。


 焦れば焦るほど、空から降り注ぐ雨は勢いを増し、川面を叩きつけていく。


「大丈夫だよ」


 そう声をかけて子狐を抱いた瞬間、私は背筋が凍るような感覚に襲われた。気付けば、腰の辺りまで水位が上がっている。さっきまでの穏やかさはどこへ消えたのか、荒れ狂う濁流が、私と腕の中の小さな命を飲み込もうとしていた。


 あぁ、華を迎えに行かなくちゃいけないのに。


 濁流は容赦なく私たちを飲み込み、深い闇の中へと引きずり込んでいった。



「普通の狐は狐色!茶色!お前は真っ白、弱い色!」


「昔から白狐は長生きしない。弱い奴ってお父さんもいってたもーん!」


 違う!僕は、弱くないもん!みんな、そんなこと言わないでよ!


「じゃあ、ここから向こう岸まで一度も足を付かずに泳ぎ切ったら、弱くないって認めてやるよ」


 絶対に、絶対に、向こう岸まで行ってやるんだ!


 ぜんぶの足で水をかき、水しぶきが顔にかかっても、必死に前へと進む。


 あと半分のところで、いやな感触が後ろの脚に絡みついた。もがけばもがくほど、だんだんひどく絡まり、水中に引きずり込まれちゃう。


 ごぼり、と大きな泡が口からこぼれた。たくさんお水を飲んじゃった。おめめも開けられない。


 苦しい……息が……できない……。


 意識が消えていく途中、冷たい水の中で、温かいものにそっと包まれた気がした。


「……お家……かえ……」


 暗闇に沈んでいく途中でだれかの声と大きな水の音が聞こえて、全部の音がなくなった。



 四つ足になった方が早い、と狸の姿になり、俺は嫌な予感を振り切るように走る。


 しかし、俺は見つけてしまった。


 小さな橋のかかった川の真ん中で、浮いている塊。

 見紛うはずもない、あの華奢な背中。


 せいの気配のない、それは――


 ――香!?


 慌てて、川へと入る。


 嘘やろ……嘘やって言うてくれ……。


 人のかたちへと戻り、無我夢中で彼女を抱きかかえ、川岸へと引き上げる。


 その腕にあったのは、優しく守るように包まれた、白い子狐の亡骸だった。


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