第10話:雨降り、熱に浮かされて②
なんとかお風呂から上がり、パジャマに袖を通すのが精一杯だった。髪を乾かす気力もなく、そのままソファへ倒れ込む。
身体が熱くて、思考がうまくまとまらない。
ふわりとシロが傍らに座る気配がした。
「華、しんどいのは分かるけど、髪を乾かさな、風邪悪化するから、ちょっとだけ我慢して座ってな」
ソファのクッションがぐっと深く沈み込み、シロの腕が迷いなく私の背中へと伸びた。
そのまま抱き寄せられ、力の入らない私の身体が、すうっと自然に起こされる。その瞬間、彼の落ち着いた香りが鼻をくすぐり、温かな安心感で満たされた。
ドライヤーの温かい風が髪を揺らして、合間にシロの指先が頭を優しく撫でる。その感触が気持ちよすぎて、なんだか頭の中までほぐれていくみたいだ。魔法みたいに心地よくて、私は抵抗もなく、そのままシロの手に身を任せた。
「……シロ」
呼びかけたはずの声は、無機質なドライヤーの音にかき消された。
私の声が大きな音に遮断されたことで、かえって彼が遠い場所へ行ってしまうような気がして、胸の奥がキュッと締め付けられる。
「はい、終わり。乾いたで。しんどいやろから、もうベッドで寝よな」
心地よかった動きが止まり、現実に引き戻される。
彼が立ち上がろうとする気配に、居ても立っても居られなくなった。
「……シロ」
私は反射的に、シロの作務衣の裾をぎゅっと引いた。
普段なら絶対にしない。でも今はなんだかすごく心細くて泣きだしそうな気持ちになる。
きっと、熱のせいだ。
シロは驚いたように目を丸くしたけれど、すぐに困ったような、でもどこか嬉しそうな顔をして私の隣に腰を下ろしてくれた。
「どうしたんや?頭痛いんか?それとも、もっとしんどくなってきたんか?」
「ううん……違うの。ただ……シロに近くにいてほしいだけ……」
自分でもびっくりするような、甘ったるい声が喉から漏れた。
シロがそっと額に手を当てる。シロの手は、冷たく、心地いい。熱い肌に触れるそのひんやりとした感覚が、堪らなく安心する。
「……甘えん坊やなぁ、華は」
呆れたように笑いながらも、シロは私の頭を撫でてくれた。
シロの手のひらの感触が頭に伝わって、重かった身体の緊張がすっと解けていく。シロの前だからこそ、こうやって心の鎧を脱げるのかもしれない。
「ねえ、シロ……ずっと、一緒にいてくれるよね?」
「当たり前やろ。僕は華の守護霊やで」
朦朧とする意識の中で、シロの言葉が確かな約束として耳に届いた。
私は安心しきって、無意識に彼の袖をぎゅっと掴んだ。熱に浮かされた頭で、少しひんやりとした彼の心地よい熱を求めて、身体を少しだけ寄せた。
「……うん。よかった……」
まるで小さな子供に戻ったみたいに、私はシロの気配に安心して、ゆっくりと瞼を閉じた。
高熱のせいか、シロの顔が少しだけいつもより優しく、少しだけ近い距離に見える。彼に守られているという絶対的な安堵が、私を深い眠りへと誘っていった。
◇
目覚まし時計の音で、私はゆっくりと目を覚ました。
視線を隣へ向けると、ベッドの縁に腕を乗せ、そのまま突っ伏して眠るシロの姿がある。私の看病をしていて、そのまま寝落ちしてしまったのだろう。
シロを起こさないようにそっと階段を下り、リビングで熱を計った。
「37.7度か……ぐっすり寝てたし、昨日よりは調子良くなったかな」
平熱にはほど遠いけれど、昨日までの鉛のような重さは薄れていた。
学校へ欠席の連絡を済ませ、私は再びベッドへ潜り込む。
(あれ……そういえば、私、昨日ソファで寝ちゃったような……もしかして、運んでくれたのかな)
同級生の中では小柄とはいえ、私も、もう中学生。体重もそこそこあるのに、大変じゃなかったかな。……重く、なかったかな。複雑な乙女心を抱えながら、隣で眠るシロの方を向くと、彼は眉間にぐっと皺を寄せ、何かを守るように腕を組んでいた。
(普段は関西弁に圧されて忘れがちになるけど……シロって、本当に綺麗なんだよね)
純白の髪がシーツの上にさらさらとこぼれ落ちている。普段なら直視できない距離感も、寝息を立てる今なら許される気がして、熱の余韻もあって、私はついその顔を食い入るように観察してしまった。
ふと、昨夜の記憶が頭を掠める。
熱で心細く、朦朧とする意識の中で、私は確かに彼の裾を掴んで――。
(……待って。もしかして私『近くにいてほしい』とか『一緒にいてくれるよね?』とか言っちゃった!?)
顔から火が出るような羞恥心に悶えていると、突然、隣からシロの寝言がもれた。
「華! そっち行ったらあかんで! ……むにゃむにゃ」
びくりと肩が跳ねる。
夢の中でも私のお守りなんて、この人はどれだけ心配性なんだろう。
その寝顔を見つめていたとき、心に強い既視感がフラッシュバックした。
(あ……この光景、どこかで……)
シロに重なって見える、小さな男の子の面影。
そうだ。私がまだ小さかった頃、高い熱を出して寝込んだ夜。目が覚めると、私の枕元で腕を組んで眠っていた小さな男の子を見たことがある、気がする。
私がうなされるたびに、小さな男の子が何かを言い、必死に手を握り返してくれていたような……。今、目の前で眠るシロの姿が、当時の男の子の姿と完全に重なった。
(……シロ、本当に昔からずっと、私の隣にいたの?)
彼は、私の知らないずっと昔から、こうして私を守り続けてくれたのだ。
その事実に胸がじわりと熱くなる。私はシロの傍らで、もう一度ゆっくりと瞼を閉じ、安心して、再び優しい夢の中へ沈んでいった。




