第9話:熱に浮かされて①
今日は朝から、頭の奥に薄い膜が張ったようにぼんやりとしている。
シロが見えるようになってからのここ数日、少し体調が良くない。
いつもは全部食べちゃう朝ごはんも、今朝はおにぎりを少し齧るのが精一杯で、食欲も湧かなかった。
とりあえず学校へ行く準備を済ませる。何も考えられず、どこか上の空だったけど、それでも体が勝手に覚えていて、鏡の中の私はいつも通り完璧に仕上がっている。
いつも通り玄関を出て、三葉と学校へ向かおうとした。
「……っくしゅん!」
「あれ? 華、風邪?」
三葉が心配そうに顔を覗き込み、私の額にそっと手を当ててくれる。
「うーん……お熱はなさそうだけど、大丈夫? お家帰る? あー……でもお家には誰もいないか。保健室行く?」
「ううん、大丈夫。そこまでじゃないから」
ちょっぴり強がったけれど、実は少し声を出すだけでも喉が痛くなってきた。三葉は少し不安そうにしながらも「無理はしないでね。しんどくなったら保健室行くんだよ」と優しい言葉をかけてくれた。
もうすぐ中間テストもあるし、あまり休みたくはなかった。……お父さんやお兄ちゃんにも迷惑かけちゃうしね。
授業中も意識を保つので精一杯だった。今日の時間割に体育がなくて本当に良かったと思いながら、なんとか放課後までは耐えられた。
校門をくぐると、いつものように木の上からシロが降りてくる。彼は私の顔をじっと見つめると、不思議そうに首を傾げた。
「華、おかえり」
「ただいま、シロ……」
「ちょっ……華、大丈夫かいな」
ふらつく足取りで歩き始めた私に、シロがオロオロと付いてくる。
通学路を歩いていると、雨が降り出してきた。
ぽつぽつと始まった雨は、あっという間に勢いを増していく。傘も持っていない私は、逃げ場もなく冷たい雨を浴びることになった。家まであと二十分もあるのに。
「……っくしゅん。いつもは暑いぐらいやのに、今日は冷えるね……」
「身体冷えてまうなぁ……ん? 華、顔赤いで」
シロの声が、遠くの波音のように響く。身体が鉛のように重い。熱の塊が手足にまとわりついているみたいで、一歩進むたびに呼吸が乱れていく。
数日前から止まらないくしゃみと、身体の芯から突き上げるような悪寒がする。
これは、熱がでちゃったなぁ。
九月の終わりとはいえ、この冷たい雨。
今の私には結構辛い。
「……っくしゅん」
くしゃみをした途端、視界がふらりと歪み、世界が大きく傾いた。
奥歯がガチガチと鳴るのを止められない。朦朧とする意識の中、足元はおぼつかず、自分の身体を支えることすらままならなくなっていた。
家まであと少し――そう思った矢先、足元が唐突に崩れた。
「……華?」
ぬかるんだ地面に足を取られ、視界が真っ暗に落ちそうになったその瞬間。
迷いのない力強い手つきで、身体がふわりと宙に浮いた。
(……っ!)
「……華、つかまってな」
視界が高くなり、雨に濡れて冷え切った肌に、彼の独特な体温がじわりと染み渡る。お姫様抱っこされる恥ずかしさと、高熱による眩暈の中で、その触れ合いの心地よさに頭の中がクラクラする。シロに守られているという事実が、ふらつく意識の中での唯一の救いだった。
自宅に着くと、シロは迷わず私を洗面所へ運んだ。
「……とりあえず風呂に入って温まり。しっかり肩までお湯に浸かるんやで」
扉を開けて私を下ろすと、彼はくるりと背を向けて扉を閉めた。すぐ外で待機するその気配が、閉ざされた洗面所の中でやけに濃密に感じられる。
「……なんかあったら呼びや。すぐ来るから」
扉の向こうでドカッとシロが腰を下ろす気配がした。
長い溜息と頭を搔きむしる音が聞こえる。
優しい守護霊の彼は、私が熱を出したことで自分を責めているのだろうか。
私は重くなった指先で濡れた服を脱ぎながら、扉の向こうのシロに向かって、小さく呟いた。
「……ありがとう、シロ」
湯舟に浸かって、ぼんやりとした頭に思い出したのは、キョロキョロと周りを確認しながら、私を出来るだけ揺らさないように抱っこで運んでくれた、シロの顔。
熱のせいか、顔がまた火照り始める。温かな湯気に溶けていく優しさが、冷え切っていた私の心にじんわりと染みわたっていった。




