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4話 相棒の帰還

取り巻きのガキ共をなんとか追い払い、公園にはようやく「静寂」という名の平和が戻ってきた。

ベンチに腰を下ろした俺たちの頭上を、カラスが鳴きながら通り過ぎていく。


「ったくよ……サミナギ。お前、もうちょいマシな器に転生させてくれりゃよかったのによ。見ろよ、この折れそうな細腕。まるで枝じゃねぇか」


黒崎――いや、オヤジは、自分の屈強な上腕を不満げに摘まんでぼやいた。

この世界の基準で見れば、彼は十分に恵まれた体躯がたいをしている。だが、戦斧一本で戦場を更地にしたゲーティアの戦闘隊長にとっては、今の肉体はまるで頼りない葦のように感じられるらしい。


「無茶言うなよ。出力の調整なんてできる余裕があったら、そもそも禁忌なんて呼ばれてない。俺だってこの『モヤシ体型』を我慢してんだからな」


「ガハハ! たしかにな。お前の今の姿、強い風が吹いたら地平線の彼方まで飛ばされそうだもんな! 俺の方がまだ当たりくじだったってわけだ、ハッハ!」


空を突き抜けるような、腹の底からの笑い。

間違いない。黒崎竜二という少年の顔をしていても、この「魂の響き」だけは、俺が世界で一番信頼したあの男のものだ。

その笑い声を聞いているだけで、張り詰めていた俺の心が、ゆっくりとほどけていくのが分かった。


「……けどよぉ。まさか、自分の息子と同じ年齢になっちまうとはな。人生、何が起きるか本当にわからねぇもんだ」


「人生、っていうか……俺たち、一回終わってるんだけどな」


「おっと、そりゃそうだ。二回目だったな、ガハハハ!」


またしても響き渡る豪快な笑い。

だが、ふとした瞬間に、黒崎の瞳の奥に「黒崎竜二」としての記憶と、「グラシアス」としての情が混ざり合った、複雑な光が宿った。


「……なぁ、サミナギ。俺の中には『黒崎竜二』としてのガキの記憶も、しっかり根を張ってやがる。だからよ、お前が『青山隼人』として生きてきた背景も、なんとなく肌で分かるんだわ」


彼はベンチに深く背中を預け、茜色に染まり始めた空を眩しそうに細めた。


「かつての親子が、現代じゃ同じ学校の同期生か……。奇妙どころか、神様が書いた三流の喜劇(コメディ)みてぇだな、サミナギ」


「まったくだ。……でも、悪くないよ」


俺も隣で空を見上げた。

これまでは、独りぼっちで鏡の中の自分を呪っていた。だが今は、隣に同じ「温度」を持つ魂がいる。

「奇妙な巡り合わせ」という言葉では片付けられないほどの温かさが、冬の入り口の冷たい風を、少しだけ和らげてくれた。


「……さぁて、どうするよ、サミナギ。これから」


黒崎が立ち上がり、拳をポキリと鳴らした。その動きには、不良の喧嘩のそれではない、戦士の「予備動作」が混じっている。


「まずは、他の奴らを探す。それとも……この温い世界で、ひとまず高校生(ガキ)を謳歌してみるか?」


その問いかけに、俺は不敵な笑みを返した。

独りでは『牢獄』だったこの世界が、相棒(オヤジ)の一言で、最高の『クエスト』へと塗り替えられていく。


魔素そのものに拒絶されていたはずのオヤジが、この時代に、この場所に立っている。

それは何より、俺が放った禁忌魔術が、世界のことわりを超えて仲間たちの魂を救い上げたという確固たる証明だった。


「オヤジ……いや、黒崎。魔法を嫌ってたあんたが転生できたってことはさ、きっと他の連中も、どこかにいるはずなんだ」


「オヤジでいい。そっちの方が腹の底に収まりがいいしな」


オヤジは、かつての荒野で笑っていた時と同じ顔で頷いた。


「だよな。ベルリアンも、ストラノアも……あの馬鹿どもも、きっとこの空のどこかに来てる」


「……だが、お前と出会えたのは幸運だった。どうやら、ある程度の距離まで接近しないと、魂の残響は感知できねぇらしい」


「ああ。至近距離まで来てようやく、魂の輪郭が見えた。逆に言えば、しらみつぶしに歩くしかなさそうだな」


「なるほどな、根気のいる仕事だ」


俺はオヤジの目を見据え、一歩踏み込んで言った。


「オヤジ、あんたの周りで少しでも『引っかかる奴』がいたら、迷わず俺に合わせてくれ。魂の正体を見分けるのは、魔導士だった俺の役目だ」


「ああ、任せとけ。――よし決まった、ゲーティア再結成だ!」


「正気か? この平和な世界でまた傭兵団でも作るつもりかよ」


「ガハハ! それも面白そうじゃねぇか。案外、今のガキどもを鍛え直すのも一興かもしれんぞ!」


その豪快な咆哮に、俺の胸の奥に残っていた冷たいおりが、熱い体温に溶かされていく。たとえ他の誰が欠けていても、この男が隣にいる。それだけで、俺の「二度目の人生」は牢獄から聖域へと塗り変わる。


「……だがよぉ。再会を祝して乾杯できねぇのは、どうにも癪だな。せっかく転生したってのによ」


オヤジが、空のペットボトルを残念そうに眺めてぼやいた。ゲーティア一の酒豪。彼の記憶にある「至高の酒」は、まだこの若すぎる胃袋には許されていない。


「同感だ。けど、そこは我慢しろよ。二十歳までは禁じ手――それがこの世界の絶対のルールだ」


「チッ、相変わらず律儀な野郎だ。……だがまぁ、店の酒棚を見たが、種類だけは前の世界よりずっと豊富そうだったな。数年後を楽しみにしとくわ」


転生した直後は、ただ重苦しい虚無の中にいた。

自分一人が犯した禁忌の代償として、孤独に苛まれ続けるのだと思っていた。

けれど今、俺の胸には確かな火が灯っている。


仲間を集め、この平和な世界で生き抜き、二十歳になった夜に、オヤジと最高の酒で乾杯する。


かつての戦場に比べれば、あまりにも些細で、穏やかで、けれど涙が出るほど尊い夢。

それが今の俺にとって、この現代を駆け抜けるための、何よりも強い魔力(ちから)になる。


「……行こうぜ、オヤジ。まずは、この世界の『明日』ってやつを拝みに行こう」


茜色の空が溶け、街に灯がともり始める。

俺たちは並んで歩き出した。かつての戦場で見せた足取りよりも、ずっと力強く、明日を見据えて。


――――――――――――――――――――――――――――――


青山隼人という少年の記憶を紐解くと、そこには一筋の、あまりに真っ直ぐな光が一本の道のように続いていた。


その光の名は、白川 希良梨(きらり)


小学校の頃から、彼女はいつも俺の視界のどこかにいた。特別に深い言葉を交わしたわけじゃない。けれど、彼女がそこにいるだけで、その場所だけが清らかな空気で満たされているような、そんな不思議な存在だった。

中学を経て、高校。彼女と同じ学び舎に通いたい――ただそれだけの理由で、隼人は人生で初めて、死に物狂いで机に向かった。


――そんな、無垢なまでに直向きだった「自分」のことを、俺は嫌いになれそうになかった。


彼女には、天気のいい朝には決まって早く登校する習慣がある。

校舎の脇、中庭にある大きなけやきの下。木漏れ日が降り注ぐベンチに座り、彼女は静かに本を開いている。

流行りの軽い読み物じゃない。時代を超えて読み継がれてきた、骨太な文芸や古典。その静謐な佇まいに、背筋の通った読書姿が驚くほどよく似合っていた。


隼人の頃から、俺も晴れた日には少しだけ早く登校し、彼女と短い挨拶を交わすのが日課だった。

「おはよう」「いい天気だね」――そんな、他愛もない、戦場なら一秒で忘れてしまうような言葉。

けれど、その数分間が、今の俺にとってはどんな軍功よりも尊い時間に感じられた。


……困ったことに、サミナギとしての記憶が覚醒した今でも、彼女の姿を想起するだけで胸の奥が騒がしくなる。


前世の戦場には、こんな「揺らぎ」は存在しなかった。

愛だの恋だのという甘やかな感情は、死を待つだけの傭兵には縁のない毒だと思っていた。

それなのに、彼女を思うたびに、鉄でできているはずの俺の心臓が、まるで初心なガキのように跳ねるのだ。


この感覚に、俺はまだ激しく戸惑っている。

だが、拒む気にはなれなかった。


今日も朝のランニングの足を少しだけ伸ばし、校門を潜る。

記憶が戻り、世界が剥き出しの「生存圏」に見えてしまうようになった今でも、あの頃の「変わらない気持ち」が自分の中に息づいているのかを、確かめたかった。


中庭のベンチ。

淡い春の光が編み上げる木漏れ日の中に、彼女は変わらず、静かに本を読んでいた。


(……ああ。よかった)


そこにいてくれた。ただそれだけのことに、深い安堵が胸を突く。

彼女の周りに流れる時間は、戦火も、血の匂いも、賢者の石の絶望も、何一つ届かない「不可侵の聖域」のようだった。


俺は乱れた呼吸を整え、サミナギとしての鋭すぎる視線を和らげる。

今はただ、一人の少年として――あの眩しい光の中へ、踏み出したいと思った。


「おはよう、白川さん」

「おはよう、青山くん」


いつも通りの、春の陽だまりのような朝の挨拶。それは昨日までと何も変わらない、平穏を絵に描いたような日常の一幕だった。


「ん? 青山くん、今日はジャージ姿なんだ」

「ああ、ちょっと体力をつけようと思ってさ。……なんていうか、このヒョロい体が急に嫌になって」

「あはは、わかるかも。もしかして『SASUKE』とか見ちゃった? 私も昨日、感化されて腕立て伏せやってみたんだけど……二回でギブアップ。向いてないみたい」

「二回か。まあ、白川さんはいつも本しか持ち歩いてないもんな」

「た、確かに。本より重いもの、最近持ってないかもしれない……」


くすくすと笑う彼女。その柔らかな声、風に揺れる髪、ページを捲る指先。これこそが俺が焦がれた「平和」そのものだった。

けれど、その笑顔を見つめていた時、不意に背筋に冷たい電流が走った。

懐かしさとも、初恋のときめきとも違う。もっと鋭利で、不可視の魔力が魂の深淵を激しく掻き乱すような、既視感。


(まさか……いや、そんなはずは)


思考より先に、魂がその名を呼び捨てていた。


「……ストラノア?」


「えっ? ストラ……ノア?」


彼女は、聞いたこともない異国の言葉を耳にしたように、ぽかんとして首を傾げる。

一瞬、取り返しのつかない失言をしたと後悔し、俺は口を噤んだ。だが、彼女がその名を無意識に復唱した、次の瞬間。


世界から音が消え、因果の糸が激しく震動した。

俺の網膜の裏側で、かつて戦場を紫電で焼き尽くした孤高の魔導士のシルエットが、目の前の少女の輪郭と完璧に重なり合う。


――間違いない。この研ぎ澄まされた魂の波動は、ストラノアだ。


「う、嘘だろ……お前、ストラノアか!? 本当に、あのストラノアなのか?」

「……サミ、ナギ……? え、嘘……わ、私……転生、成功……してたの……?」


驚愕に目を見開く彼女――いや、ストラノア。

俺もまだ状況が飲み込めない。鼓動が激しく打ち鳴らされる。まさか、こんなに近くに。ずっと見守っていた初恋の相手が、あの日背中を預けた戦友だったなんて。


しかし、次の瞬間、俺たちの脳裏を共通の「衝撃」が突き抜けた。


「いや、ちょっと待て! お前、性別が変わってるぞ!?」

「……マジか……わ、私……俺、女の子に転生したのか……?」


あまりの事態に、膝から崩れ落ちそうになるストラノア。かつての冷静沈着な軍師の面影はどこへやら、白川希良梨の愛らしい顔で絶望に打ち震えている。


「最悪だ……よりによって、こんなひ弱な器に……」

「いや、俺の視点からすると……なんていうか、いろいろ複雑すぎるんだが!」


かつての相棒が、今の想い人。

驚きと、混乱と、そして言葉にできないほどの歓喜が混ざり合う。

運命は、賢者の石よりも残酷で、そして何よりも粋な悪戯を俺たちに仕掛けてくれたらしい。

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