【第八話】婚礼の儀式
第八話 婚礼の儀式
〜 ルカ side 〜
新しい朝が来た。
婚礼の儀式の日。
私がエクセスの称号を得たあの大聖堂の壇上に、いま、姫さまの姿がある。
姫さまは真っ白な正装に身を包み、厳かな雰囲気のなか、エゴ王配と並んでいた。
隣国の来賓も、騎士団団員たちも、みなの表情が歓喜に沸いている。
正装に身を包んだ姫さまは、この目で見ただれよりも美しく、尊厳に満ち溢れていた。ただ、その悲しくてどこか遠くを見つめる寂しげな瞳を除いて。
自分の定めを受け入れて、大切ななにかを諦めたような目だった。
式典を執り行う聖職者により、誓いの口付けの合図がかかる。
エゴ王配が、姫さまの顔を覆っていた白いレースのケープを捲るのを合図に二人は見つめ合い、エゴ王配が少しずつ姫さまの顔へと近づく。
姫さまが目を閉じたのを見た瞬間、私も思わず目を逸らしてギュッと目を閉じた。
華やかな式典の風景から一点、真っ暗な視界へと切り替わる。
その瞬間に、昨晩の感覚が唇へと蘇った。
目を開けると、そこには華やかな式典の口径が変わらず広がるばかり。
来賓から送られる拍手を合図に、エゴ王配が笑顔になる。それは幸せそうな笑顔だった。
新たな王配が即位。
そして、姫さまは、この国の女王となった。
◇◇◇
式典の終わりを告げる鐘の合図により二人が出席者の方へとゆっくりと振り向く。
振り返るときに女王様と目が合った。
私たちは最も悲しく、最も寂しい瞳でほんのわずかな瞬間、見つめ合う。
その瞳を最も近くで見たのは、他ならぬ私だった。
婚礼が終わり、国民が待つ街へのパレードの準備に取り掛かる。
私は女王様の手を握り、ゴンドラへとお乗せする。
私の革手袋に乗せられた、白いレースの手袋に包まれた手。
その重なり合った手を見て、私は心がズキリと痛くなった。
女王様とエゴ王配がゴンドラの座席に座ったことを確認して、私はルークにまたがる。
城の門が開かれ、ゴロゴロと石畳の上をゴンドラがゆっくりと進んでいく。
私はその後をついて護衛するため、ルークの横腹を革靴でポンと軽く蹴る。それを合図にルークがゆっくりと歩き始めた。
空には雲が広がり、風が吹かない静かな陽の時間だった。護衛を強化した一団は大袈裟に橋を越え、市街地に入っていく。
大勢の国民が待ち受けていた。
「女王誕生、万歳‼︎ 国王即位、万歳‼︎」
花びらがこれでもかと宙に舞い、割れんばかりの歓声のなか、女王様は厳かに手を振り続けていた。
その頬には終始笑みを湛えていたが、その瞳は火を消したロウソクのように、灯りなく静かにただそこにあるだけ。
私は、自分の気持ちに区切りをつけるかのように、大きく白いマントを翻し、ゴンドラの前へと持ち場を移動した。
〜 女王エルサ side 〜
婚礼が終わり、やっと重たい正装から解放された。
ずっと微笑みを湛えていたせいか、顔が痛い。今日はこれ以上、表情を作れないと思うほど、感情さえも分からなくなっていた。自分の感情を抑え込んで、感じないように。
おめでとうございます、と口々に叫ぶ国民たちの顔が脳裏に蘇る。これ以上ないほどに、おめでたいことだと疑うことなく祝福する様子。
そうだ、これで良いのだ。そう自分に言い聞かせる。
頭に焼きついて離れない光景があった。
それはゴンドラの上から、見つめていたルカの背中。
エクセスの授章式以来に見た、正装姿。
羽がふんだんに付いた大きな白いマントを翻し、ルークにまたがる姿。
燃えるような赤髪が、ルークの歩と一緒のリズムで揺れ、その姿勢の良さと天まで伸びる背筋が私の感情を揺れ動かしていた。
私はそんな感情の揺れ動きから逃げるように、国民に手を振り続けた。
表では笑っていても、私の心は泣いていたのに。
そんなことを微塵も悟られぬよう、私はよりいっそう頬に力を入れたことをぼんやりと思い返す。
コンコンコン。
「女王様、御食事会の準備が整いました」
爺やの声が扉の外から聞こえてくる。
「すぐに行きます」
息を吐く間も無く、すぐさま食事に向かう支度をする。メイドたちがテキパキと支度を進めてくれる間、私は抜け殻のようにただ一点を見つめていた。
食事会の席は予め決められており、来賓や隣国の重鎮たちが席を並べていた。美味しそうな食事の匂いも今夜ばかりは、やめてくれと願うほど強く感じられる。
「女王様、こちらに」
爺やが椅子を引き、席に着く。一通りの挨拶をあらためて終え、エゴ王配が食事会の部屋へと入ってくる。大雑把な足音と、低く大きな声。来賓たちにわいわいと迎え入れられ、私の隣の席へと通されてきた。
「疲れたでしょう」
エゴ王配がそう言いながら、ゴツゴツとした硬い左手を私の左肩に置く。
「いえ、それほどでも」
私はそっと制すようにその手を掴んで、肩から外す。
エゴ王配は少し気にしながらも、空気を変えるように大きな声で号令をかけた。
「みなさま、お待たせいたしました。それでは今日という記念すべき祝福の日に!」
そう言って、杯を高く上げた。
その声に従うように、席についた人たちも同じように振る舞う。
「乾杯!」
ワイワイ、ガヤガヤと騒がしいなか、私は静かに食事をとった。
ほとんど食欲がなく、あまり味がしなかったが、今日の疲れから倒れてしまっては面倒だと思い、ウッと込み上げる感覚を抑え込み、半ば流し込むように次々にコースで運ばれてくる食べ物を胃へと機械的に送り込む。
婚礼で疲れた身体にお酒が入り、来賓からの祝福など気分が良くなった高揚感からか、エゴ王配の声がどんどんと大きく耳に響き、さらには脳を揺さぶるような感覚に陥った。
話題の拍子にドッと湧く人々の笑う声が、ひどくしんどい。
おそらく、連日続く婚礼への準備と、今日の式典で心身ともから悲鳴が上がっていた。
そんなとき、ルカが側にいたら。
私の変化にいち早く気がつき、手を差し伸べて肩でも貸してくれるだろう。
隣のエゴ王配を見やる。嫌な人物ではない、と思う。
だが、元々、気持ちが乗った結婚ではない。政略結婚だと割り切っていても、いまやこの人が自分の夫になったのだという、どうにも逃げられない現実が、どこまでも重くのしかかってきていた。
そう思った瞬間、さらに頭が重たく感じられ、目を閉じたくなる。
声を出そうとしても、上手く声が出ない。脳内で必死にルカの名前を呼ぶ。
いくら専任の護衛といえども、今後はこのような食事会でエゴ王配よりも私に近い位置にルカが座ることは決してない。現にいまも、他の騎士団員が壁に沿って警備を務めており、ルカの姿はない。
私は他の人々に気づかれないよう注意を払いながら、爺やに視線をよこす。
爺やがそれに気がつき、私の席のすぐ側まで来る。
「ルカを、呼んで」
身を屈めていた爺やが、静かに頷く。
いまにも吐き出してしまいそうに、込み上げるものを、なんとか落ち着けて、微笑みを湛え続ける。来賓たちの声がやけに大きく頭に響き、相変わらず隣のエゴ王配の声が頭に響く。
視界がチカチカして、グルグルと回り始める。
もう限界だと思った、ちょうどそのときだった。
「お呼びでしょうか」
ザワザワとした雑音のなかを、ピンと突き刺す鋭い一本の針のような透き通った声。
来賓含め、隣に座るエゴ王配までもが、部屋の間口に立ったその声の主に視線を集中させていた。
婚礼式の時に着用していた正装から、マントだけを取った姿。
真っ白な制服に紺のモールが豪華に施された騎士団の正装に身を包んだルカは、そのスラリとしたスタイルもさることながら、瞳に宿した真っ直ぐな光が眩しく、皆が自然と口をつぐむほど美しかった。
誰もがその姿に息を呑んだ。
その姿はまるで、婚礼に最もふさわしいと思わせるほどの迫力があった。
「ルカ」
私は自分自身にしか聞き取れないほどの声で、そう呟いた。咄嗟に口からこぼれ落ちてしまったと言っても良い。
爺やがルカを連れて、私の側へとやって来る。
ルカは私の顔を見るなり、すぐさま私の右手を握った。
まるで、もう大丈夫だと言い聞かせるかのように。
食事の席に着く全員に対して、ルカが伝令さながら落ち着いた声で発する。
「御参列のみなさま、お騒がせしてしまい申し訳ありません。女王様は本日の式典でお疲れの様子ですので、お先に失礼いたします。どうかそのまま、祝福の杯をお続けください」
ルカは握っていた私の手を自身の左腕へと誘導させ、席を立つよう催促してくる。
足元にしっかりと力が入らないことを自覚しながら、背筋を精一杯伸ばす。
「みなさま、申し訳ございません。お越しくださいましたすべての方々に感謝の意を表します」
ルカに支えてもらいながら、私はそう言いながら最大の敬意を表す深いお辞儀をする。
来賓からの大きな拍手を頭上で浴び、それに答えるよう笑みを湛えながら顔を上げる。危うく、そのまま力なくその場に倒れそうになったが、ルカがしっかりと支えてくれていたおかげで、倒れずに済んだ。
私は誰の顔を見るでもなく、目を伏せがちにしながら、食事会を後にした。
自室へとゆっくりと歩く、その途中でルカに声をかける。
「ちょっとだけ、夜風に当たりたい」
不思議なことに、先ほどよりも体調はもうずっと良くなっていた。
ルカは、そのまま進む先をバルコニーへと変えた。
夜風が頬を撫でていく。どこかに座りたくなり、バルコニーを囲む石垣へと登る。
「っ、危ないです!」
少しよろついた私を、すかさずルカが後ろから抱き止める。
「大丈夫、ありがとう」
私はそう言って、石垣の上にゆっくりと腰を下ろした。
夜風に冷やされた石のひんやりとした感覚が、ドレスを通り越して伝わってくる。先ほどまでの均一の椅子の座面ではなく、不規則なそれが心地よくて、私は思わず表情が綻ぶ。
少し振り返って、肩越しにルカに言う。
「ルカも、隣に座らない?」
そう言って正面を向いたものの、返事がないので、もう一度しっかりと振り返る。
いつもなら身長差で私が見上げることが多いけれど、石垣が高いため、私を見上げるルカと目が合う。
「……座れません」
ルカが苦しそうな表情で静かにそう言った。奥歯を噛み締めるような、そんな顔色だった。
瞳が水面のように揺れ動いている。
そうだ。昨日までとは違う。私はもう、夫を持つこの国の女王になったのだ。
「そうね」
私は真正面へと向き直った。
責めるでもなく、ただ納得するように暗闇へと息を吐いた。
眼下に広がる街に目をやる。
所々にほのかな灯りが見えるものの、夜の帷に覆い尽くされた街は寝静まる冷たい地面のようだった。生活に灯りを加える蝋燭すら、この不況と物価高騰の波で手に入りにくいという。この暗さなら、子どもたちは本を読むことすらできないだろう。
以前よりもずっと暗い街を見つめながら、私は背後のルカに語りかける。
「ねぇ、ルカ」
「はい」
「この婚礼によって、我が国がもっと豊かになって、国民がなに不自由なく暮らせるようになると思う?」
考えている様子が、背後から窺い知れる。
「その信念があれば、そうなると私は信じています」
ルカらしい答えだと思った。
私が選んだ道を否定せず、どこまでもその道を進むことについていくという答え。
「みんなが言う 『幸せ』って、なんだろう」
私は、人類が導き出したことのない問いを、また暗闇に放り投げた。
少しの間、街を見つめていた。
以前はルカと並んでこの石垣に座って、よく話をしたのに。二人で何時間でも、いいや、このままずっと二人だけで話し続けて、この時間が永遠に続いたらなんて、願っていたことを思い出す。
いまは、こんなにも近いのに、こんなにも遠い。
そんなことを考えていると、ルカが背後から、両手を私の腰に添えた。
そろそろ部屋に戻らなければ、という合図。
私は注意しながら石垣からバルコニーへと降り立ち、ルカと二人で自室へと向かった。
「おやすみなさい」
自室の扉の前についた私は、ルカに言う。
「おやすみなさいませ、女王様」
まだ慣れない呼び名。
あらためて、ルカの口から、そう呼ばれると、私はたちまち眠りの世界に逃げたくなった。
部屋の脇で待機していたメイドたちを呼び込んで、自室へと入る。
騎士団の敬礼をしたルカの姿が、扉を閉めるのと同時に、視界から消えた。
私は、光をなくした瞳で、ただメイドたちに就寝の準備を任せ、現実から逃げるように眠った。
〜 ルカ side 〜
「ルカ様。女王様がお呼びです」
婚礼が終わったあと、騎士団たちの宴に参加しているときだった。
女王様、その聞き慣れない呼び名に、一瞬だけ思考が巡る。
女王様が出席される食事会には来賓や各国の重鎮たちが並ぶため、専任護衛の私ではなく、騎士団を増員させて護衛に当たるとの命令だった。そのため、私は重たい正装のマントを下ろし、食事を取ろうとテーブルに着いた。
ただ、豪華なご馳走を目の前にしても食欲はなく、周りの騒々しい無責任な祝福ムードにも嫌気がさす。加えて、そんな自分にも嫌気がさして、テーブルから立ち上がり、一歩下がったところから一人壁に身を預けていたところだった。
「御体調が、あまり優れないようでして」
すぐさま喧騒に包まれた宴の部屋を出る。
足早に廊下を進み、食事会の会場へと急ぐ。革靴の乾いた足音が廊下に鳴り響く。
「ルカ様、」
爺やの息が上がっていることに気が付き、歩くスピードを緩める。気持ちばかりが先行していて、いつもの自分ではないみたいに、冷静さを欠いていたことに気がついた。
食事会の会場の手前で一つ大きな深呼吸をして、間口へと立つ。
私の声によって、各国からの参列者の視線が私に集まり、それらの先に間違うことなく、女王様の姿を捉えた。
私の姿を確認した瞬間、安堵に包まれる表情を見た。それと同時に、その真隣に座るエゴ王配の私に対して敵視するような鋭い一瞬の目つきにも。
明らかに顔色が優れない女王様のそばへと駆け寄り、腕を貸す。
参列者たちに詫びの言葉を添え、部屋を後にした。
その間、ずっと私の背中に向けられていた彼の鋭い視線には、毅然として気がつかないフリをし続けた。
憔悴した女王様をお部屋へとお連れし、メイドたちに託したあと、私は先ほどまで女王様と一緒にいたバルコニーへと足を早める。
一人で、頭を冷やしたかったのだ。
先ほどまで女王様が座っていたバルコニーに着く。夜風が吹き抜けては、まるで頭から出た湯気を飛ばして、冷静な考えをもたらしてくれるようだった。
従来からのしきたりであれば同席していたであろう食事会に招かれなかったこと、明日からの護衛も必要最低限で良いという命令なども、すべてエゴ王配側によるものだと、心得ていたのに。
エゴ王子が我が国へ嫁ぐ際、あちら側の護衛や重役など百人近い人間が城へとやってきた。そのなかには、私のことをよく思わず、排除したいと考える者もいると、ロイから聞かされていた。
王配としてこの国へと嫁ぐと言っても、女王様の身の回りを自分たちの人間で固め、ゆくゆくは主導権を握ろうと、虎視眈々と目論んでいる重役が多いのだろう。
少しずつ、私を追いやっていく気配をすでに感じ取っていた。
城に仕え、国家のために尽くすだけの一騎士だけの立場である私が、それらに抵抗できないことは相手も十二分に承知している。だからこそ、この度の命令に腹が立った。
なぜなら、そのような自己本意の考えによって、姫さまの身を危険に晒す可能性を高める。その心意気に腹が立ったのだ。
専任護衛の私を遠ざける代わりに、護衛の騎士団員を増員すれば済むという単純な話ではない。
騎士団員が増えればその分、※謀者(※スパイ)活動なども察知しにくくなり、また、姫さまの心身ともに親身になって支えるものが少なくなっては、姫さまの心身にも差し障る。
エゴ王配側による命令が下ってから、そんなことを考えては、私はずっと怒りに身を震わせていた。エゴ王配の命令がどこまでなのかは知り得ない。
女王様のお相手となった以上、エゴ王配が優れた人間であることを願っている。
最低でも、女王様のことを第一に考えるような人であれば、と。
ただ、そう願ったところで、大勢の人間が関与しており、多くの想いが錯綜している。
その混沌とした状況のなか、女王様をしっかりと支えていってほしい。
エゴ王配にはそう願っていた。
女王様の最も近くにお仕えし支える者が自分ではなくなったことには、意識を向けないようにした。
心が耐えられないと思ったから。
私だけでも女王様のために強くあらねば。
我が国の状況を改善するための政略結婚とはいえ、エゴ王配と女王様が結婚した事実はもう変わらない。私は、もう女王様の一番近くにいることは許されない。だからこそ、エゴ王配には、女王様をしっかりと支えて守ってほしい。
そう願う一方で、私は、自分の生まれてきた身分や立場を、いま一度考えてもいた。
もしも、私が男性に生まれていたら。
もしも、私が王族に生まれていたら。
もしも、に続くその先は私の願望なのだろうか。それともただの現実逃避に過ぎないのだろうか。
先ほどまで姫さまが座っていた石垣に近づき、身を翻して座る。
ひんやりとした石の感覚が、触れた面から伝わってくる。
眼下に広がる街を見て、思う。
貴女と同じ景色を見ていたい。貴女が持つ信念を実現するために共に闘いたい。
この国をより良い国にすること、国民たちの生活をより豊かにすること。
貴女と同じ方向を向いて、そのすぐ隣で共に歩みたい。
私のこの身を捧げてでも、一生を尽くしてでも貴女を支えたい。
だが、私は女性だ。
ただそれだけで、こんなにも近く、こんなにも遠い。
◇◇◇
婚礼から一夜が明けた。
昨夜の祝賀の名残があちこちに散見されるなか、朝礼へと向かう。
従来であれば朝礼後すぐ、姫さまの護衛へと当たっていたが、それらすべての責務から外されている。女王様からの直々の特別な用事や呼び出しがない限り、近寄ることすら禁じられてしまった。
命令を下すのはいつも団長であったが、その大元はエゴ王配側からだと、そんな噂話がすでに城内中に出回っていた。
「まっ、出来るやつは嫉妬されやすいからな」
午後の訓練へと向かう最中、並んで廊下を歩いていたロイが言う。
「歴史上初の女性騎士! 初出場の騎士団実戦では優勝! 史上最年少でエクセスの称号を受賞! その後すぐさま姫様専任の護衛に任命! 実力もさることながら、さらには見た目も美しい才色兼備!」
ふざけた様子で、身振り手振りを付けてそう言うので、私はロイの横腹を肘で突いた。
「いてっ!」
相変わらず、おどけた様子で横腹をさすっている。
「なんだよ、こんなに褒めてるのに」
私は横目で睨みながら、周りに聞こえないように、極めて声を抑えて言葉を返す。
「嫉妬だとしたら、そんな個人的な感情を差し込まないでほしい」
ロイの表情が真剣なものに変わり、二人の間に流れる空気が変わった。
私にしか聞こえないほどの声で言う。
「ここだけの話だが、お前を左遷させようとしている話も耳にした。十分に気を付けろよ」
向かい側から他の団員たち数名が歩いてきたため、いままで会話していたことを悟られぬよう、ロイに返事をせず廊下を一人曲がった。
予測はしていたが、女王様の側からはおろか、この国からすらも離れなければならない日が来るかも知れないと、私は丹田に力を入れた。
〜 女王エルサ side 〜
いつもなら朝礼後、すぐ私の側へと仕えるルカの姿がない。
自室に戻り、支度をするメイドの一人に、爺やを呼ぶよう申し付ける。
「ルカ様は特例を除いて、護衛の責務から外されております」
「はっ⁉︎」
すぐさま来た爺やの言葉に、私は声をあげる。
驚きの大きさに比例して、つい声まで大きくなってしまった。
驚いているメイドたちに席を外すよう手で促して、爺やと部屋に二人きりになってから話を続ける。
「いったい誰の命令ですか、それは」
どうしても言葉に怒気が入ってしまうことを自覚しながら、爺やに尋ねる。
「騎士団長からの命令ですが、発令自体はエゴ王配側によるものだと伺っております」
昨晩の食事会でもルカの姿が見当たらないことに気が付いてはいたが、騎士団員だけでの内輪の宴に参加するためだろうかと、勝手に納得していた。
あまりの身勝手な命令に、怒りを通り越して呆れた感情が溢れる。机に両肘をつき、大きなため息をついた。
正面の窓から覗いた庭木は大きく揺れ動いている。ここ最近の天候不順による強い風が吹き荒れているためだろう。
「いますぐ撤回するように、私から赴きます」
椅子から勢いよく立ち上がり、湧き上がってくる感情を発散するかのように、語気を強めて爺やに言う。
爺やが、困ったように両手を揉みしだいている。
「どうしたのです。思っていることを言ってください」
引き留めようとする爺やに、意見を問う。
「エゴ王配とその側近たちは、明らかにルカ様を女王様から遠ざけようとしておいでです。その真意は測りかねますが、護衛の件を訂正したところで、それ以上になにか別の命令を下すかと……」
つまりは、今回の命令を撤回するようあちら側に求めたところで、それ以上に歯向かえない無茶な命令を下すだろうと、爺やはそう言っているのだ。
変な理由をでっち上げて、一方的に国民へと情報を流し、国外追放や左遷を起こすかもしれない。
そもそも、この我が国が窮地に陥っている、断れないという状況下で、結婚を申し込んできた人たちだ。エゴ王配はともかく、その側近たちの思惑があれば、そのようなことをしでかす可能性は否定できない。
もしもルカが国外追放などされてしまえば、国民の目がある手前、また私の立場上、ルカ一人のことを守りきれなくなる可能性は大いに高い。
私は、ルカを守りたい。
大きく息を吸って、ゆっくりと吐いた。
「……分かりました。ただし、今後も共に国を作っていく協力相手です。エゴ王配には対等な立場を守っていただきたいと考えています。その旨だけは、今からエゴ王配に伝えに行きます」
爺やは恐縮した様子で、ゆっくりと頷いた。
「エゴ王配。エルサです、入ります」
新たに彼のものとなった部屋まで出向く。
扉にそう語りかけると、すぐさま部屋の内側から扉が開かれた。
数人の側近たちが扉付近に待機し、エゴ王配に最も近しい間柄だと聞く重役の姿が目に入る。なにやら、エゴ王配と話し込んでいた最中だったらしい様子だった。
私が部屋に一歩入るなり、大きな背中を向けていたエゴ王配が、こちらに振り返り私を出迎えた。
「これはこれは。そちらから直々に私を訪ねてくれるとは」
純粋に嬉しそうな様子を滲ませて出迎えるエゴ王配に、私は毅然とした態度で立ち向かう。
「ルカ・エクセスの件で伺いました」
その名を口にした瞬間、エゴ王配と今まで話していた重役の男から発せられる雰囲気が一瞬にして殺気立ったことに気がついた。
「あぁ、この国史上初の女性騎士ですね。話は伺っております。優れた実力の持ち主だとも」
エゴ王配は、嫌味のない口調でそう言った。その様子から、ルカを排除しようとしているのはエゴ王配ではないと感じ取る。
「ルカは私の専任護衛です。勝手に解任の命令をされては困ります」
私の顔をじっと見ていた重役が、口元に生やした髭を触りながら、明らかに好意的ではない様子で私に背を向け、部屋の奥に配置している窓へと進んでいく。窓の外を眺めるようにして腕を後ろに組んで立ち止まった。
エゴ王配は困ったような表情を浮かべている。
「どなたによる命令でしょうか」
私は遠ざかった重役の背中に届くよう、さらに語気を強めて言葉を投げた。
「いえ、解任などの命令は行なっておりません」
自分に対して放たれた言葉だと察したのだろう。背中を向けていた重役の男がそう言いながらこちらを向く。
「これは大変な失礼を。申し遅れました。私はエゴ王配の側近、モンテと申します」
モンテと名乗った男は、口髭を生やし、痩せ型でヒョロリと背の高い男だった。骨ばった手などからして、歳はおそらく二回りは上だろう。
「特例を除いて近づくな、という命令は、実質上の解任ではないのですか」
モンテは、まるで窓からの景色を堪能するのに忙しいと言うように言葉を返してこない。もったいぶった無言の時間が流れる。
「それに、ルカは……」
遮るようにして、モンテが話し始めた。
「いや、私の勘違いであれば良いのですが。なにか特別な事情があるのではないかと疑っておりまして」
鼓動が、わずかに早くなる。
「特別な事情、とは?」
感情の揺れ動きが悟られぬよう、極めて冷静に声のトーンを落ち着かせて答えた。
「エルサ女王様。貴女様に対して、です」
そう言いながら、モンテが私の表情を窺い知るように見つめてくる。こちらからは窓から差し込むげ御前の光が逆光となって彼の顔に影を差し、表情がうまく読み取れない。
「どんな事情があるとお考えでしょうか。ハッキリと言ってください」
私は冷めた目で言い返す。
「なにか、専任護衛だけではない、隠れた事情があるのではと感じ取ったのです」
「ルカは、我が国家に仕えるエクセスの称号を持つ騎士であり、さらには私を守る立場にいる者です。隠した事情など一切ありません」
「女性騎士でありながら、さらに優れた実力を持つ優秀な騎士であることは、隣国である我が国にも伝わるほどです。だからこそ、十分に監視しなければ、と思った次第です」
「失礼な! 勝手に私の専任護衛を監視するなど」
ルカを悪く言うモンテに対して、私は腹を荒げた。
ただ形式的に頭を下げたモンテが、すかさず言う。
「無礼を承知で申し上げます。女王様はルカ・エクセスに対して少し盲目的と言いますか、過信している部分があるかと」
なにを言っているのだ。つい最近ここへやって来た者にルカのなにが分かる。
「そんなことはありません。私自身の目で、ルカ・エクセスは信頼できる人物であると判断を下したまでです」
モンテが一歩ずつ、ゆっくりとにじり寄るように距離を詰めてくる。
腹の底からフツフツと立ち込めてくる怒りを感じながら、それに立ち向かう。
「目は口ほどに物を言います。貴方様の、まるで恋する乙女のような、そんな過度な期待は人を盲信にさせます。いくらルカ・エクセスが優秀な騎士であっても、油断は大敵だと。客観的な視点からお伝えしたかったのです」
この男。いったいどこまで把握しているのか、まったく掴みどころがない。まだ我が国に来て数日。その観察眼だけは鋭い。
これ以上、言い合いを続ければ、必ず深い対立を生む。
国のため、国民のため、その溝をいまはまだ作りたくない。
そんなとき、エゴ王配が場にそぐわない、明るく素っ頓狂な声を出した。
「ほらっ。とりあえず、お茶を用意させよう。悪天候をも晴らす、素晴らしく良い紅茶葉を持ってきたんだ」
モンテがパッと不気味なほどに笑顔になって、エゴ王配と目を合わす。喋り合う二人を横目に、私はモンテの横顔を見やる。
モンテというこの男。
どうにか理由をこじつけて、私の側から優秀な人材を引き離したいという思惑なのだろう。それも私が悟られては困るであろう一番の理由を人質にして。
なんという卑怯なやり方。どうせ元々、互いの国にとって利益をもたらすと考えての政略結婚だ。この程度の思惑は想定内であったが、どうにかこの男には注意しなければならない。
エゴ王配も、家族代々でモンテの助言と共に生きて来たのであろう。先ほどからエゴ王配は、モンテの意見に口を挟まない。この人が我が夫。
私は二人に対して憐れみの目で見つめ返す。
「私たちが手を取り、協力し合えるのは、まだ先のようですね」
モンテは不敵に笑いながら、余裕の表情で答える。
「だが、もはや貴女はエゴ王子の妻です。これからは、たがいに妥協しながらであれど、手を取り合っていかなければいけません。この国のためにも、国民のためにも」
まるで大きな人質を掲げるかのような発言に、さらにはどこまでも利己的な発言に、私は気分が悪くなった。
なにも言わずに引き返すのは癪なので、キッパリと告げる。
「えぇ。すべてはこの国と国民のためです。その点ではまったく同じ心意気です。私には私の信念がある。そちらにはそちら側の信念がある。たがいに対等な立場だということをお忘れなきよう」
モンテは、まるで余裕を演出するかのように、なにも言わずゆっくりと頷いた。
その様子を私は確認して、踵を返す。
「あとで、淹れた紅茶を部屋に持って行かせるね」
エゴ王配があわてて、私の背中に向かってそう言った。
◇◇◇
自室の前に待機していた爺やに静かに告げる。
「ルカを、いますぐ呼んでください」
急足でルカを呼びに行った爺やの後ろ姿を見送って、自室へと入り、机に着く。
真正面の窓からの景色を見る。以前と変わらない景色なはずなのに、私の心は明らかに重たくなっていた。風に揺らぐ木々は、私の荒れた心を表しているかのようだった。
コンコンコン。
規則正しいリズムが扉に響く。その音で一気に心が軽くなる。
「入ってください」
私の声を合図に、扉が開かれた。
スラリとした長身に騎士団の制服が映えている。昨日は正装姿のルカを見ていたからか、騎士団の通常制服姿のルカがなぜか久しく感じる。
「参りました」
敬礼をして間口に立つルカを部屋へと招き入れる。爺やも一緒に入ってと手で促し、扉を閉めさせた。
「ルカ」
私の真剣な眼差しに応えるように、ルカが私の瞳をまっすぐに捉える。
「すでに分かっているとは思いますが、より一層気を引き締めてください」
窓から差し込んだ光が、ルカを照らし、瞳孔を引き締めさしているからか、いつもよりも凛々しく、覚悟を決めた者の瞳をしていた。
「はい」
心配そうな表情を浮かべる爺やが、ルカの隣ではより小さく見える。
「理不尽な理由で、貴方を引き摺り下ろそうとする人物に、最大限の注意を払ってください」
「はい」
凛とした声。透き通るような白い肌。天まで一直線に伸びたスラリとした長身。
「それと……、専任護衛としての責務は解任だと思ってください」
どこまでもまっすぐな瞳が、その言葉で初めて揺れ動いた。
「先ほどエゴ王配と、その側近であるモンテという男と話をしました。貴方にさらなる理不尽な疑惑を仕向けないよう、いまはその方が良いという結論に至った、私の判断です」
ルカが、なにかを言いたそうに拳を強く握っている。ルカが言葉を発する前に、私は言う。
「私は、貴方を守りたい」
ルカが、私にそう言ってくれたように、私もまっすぐな一目で捉えて、力強くそう告げた。
ルカはまだなにか言いたげな様子ではあったが、すぐに敬礼をし直して、私の瞳を捉える。
「身に余る、もったいなきお言葉。このルカ・エクセス、いつ何時でも女王様のために仕えます。それだけは決してお忘れにならないでくださいませ」
私の瞳の奥に隠したなにかを、きっちりと捉えて離さないルカの目。
同情するでもなく、哀れむわけでもなく、寄り添ってくれるような力強い目。
ルカは、自分の気持ち以上に、私の気持ちを優先してくれる。身を引くことが、私のためであれば、潔くそうする人なのだ。
背後の窓から差し込む光で、私の表情が逆光で見えにくいのが救いだった。私の視界が涙で揺れる。
私たちにとって、この場が実質上の別れだった。
専任護衛でなくなれば、日頃の生活上で会ったり、話したりする機会はほぼなくなる。
生きたまま、別れる。
同じ性別であるということだけで、こんなにも近く、こんなにも遠い。
涙がこぼれ落ちる前に、私の方から勢いよく背中を向けた。
それを合図にルカは部屋から出ていった。
パタン。
扉を閉めるときに吹き込んだ風が、まるで心の内側にある私の灯火に最後の一息をかけるように。
私はまた、自分の心の扉を閉じたのだ。そんな音がした。
〜 ルカ side 〜
女王様の専任護衛から事実上の解任となった。
その大きすぎる空白を埋めるべく、以前にも増して私は一心不乱に訓練に打ち込み始めた。
通常の訓練が終わった後も、夜遅くまで※水練場(※プールのようなもの)に足を運び、なにも考えられないほど肉体が疲労するまで体に鞭を打ち続ける。
その様子を心配したロイや他の団員たちが幾度か声をかけてくれたが、私の心には届かず、気持ちの整理をつけるのに時間を要した。
エゴ王配が来てからこの国は新体制となり、さらには彼から目障りに思われている私は、特定の責務につくこともなくなり、そんなふうに訓練に明け暮れて発散するしかない日々が続く。
一日に一度だけ、朝礼で目にする女王様は日に日にやつれていっている様子だった。その様子に居た堪れなくなるのと同時に、なにもすることができない自分の立場を恨んだ。
朝礼が終わり、午前の訓練を経て、昼休憩の時間になる。
騎士団の食堂で昼食をとる気持ちにもなれず、もはや日課となったルークとチェスの馬舎へと赴く。
いつものなれた手つきで馬舎の鍵を開錠し、中に入る。
「おつかれさん」
一緒に馬の世話をしているイーリスが、水の入ったバケツに布切れを浸しながら、こちらを見た。
「ルカ、最近ちゃんと寝れているのか。食事もちゃんと摂っていないんだろう」
正直に言うと、体力を極限まで使い切り、疲労で眠りに入らないと上手く寝付けなくなっていた。食欲もあまり沸かない。
「健全な精神は健全な肉体に宿る、ってな」
イーリスは退役騎士団員で、往年に戦闘で片目を潰してしまってからは、騎士団が保有する馬の世話にあたっている。騎士団現役時代は、私が記録を塗り替えるまで、最年少エクセス受賞者だったほど、実力のある騎士だったと聞いている。
「イーリス、私はどうしたらいいんだろう」
私はイーリスの近くにあった使わないバケツを裏返して、そこに座った。
おっ、待ってましたと言わんばかりにイーリスが目を見開く。
「やっと、口を開いたな。ルカが自ら言い出すまでは、辛抱強く待っていようと思っていたんだ」
そう言われると、急に照れくさくなって、あえてぶっきらぼうな態度をとってしまう。
それに気がついたイーリスが静かに、作業を再開しながら、何気なく尋ねてくる。
「ルカは、どうしたいんだ」
どうしたいと尋ねられても。実質上、専任護衛から解任され、さらには女王様に近づけないようにされている今では、私の意思など関係なく、どうにも身動きが取れない。
「私は、自分がどうしたいかではなく、どうすればいいのかが知りたい」
イーリスが、まるでなにかを分かったような顔で頷く。
「若いなぁ」
私はカチンときて、イーリスにそのまま溜めていた感情をぶつける。
「真剣に聞いているのに!」
「ルカ。俺の片目がどうして失われたか、知ってるか」
イーリスが自分の潰れた左目を指差しながら、こちらに向き直って聞いてくる。
「昔の戦闘で、敵に斬られたって言ってたよね」
そうだと頷きながら、イーリスが遠い目になる。
「実は、俺にも大切に想う人がいた。もうずっと前の話だけれど。それこそ当時の私は、今のルカぐらいの年齢だった」
そう言って、イーリスは昔の話を詳細に語り始めた……。
カァン!
金属同士が触れ合う、鈍いのに鋭い音。そんな耳に突き刺さるような高い音が、鼓膜の奥で響いて耳にザーッという雑音を引き起こしている。
俺は剣から伝わってくる振動とそれを振り回し続けていた重さとで、手の感覚はもはや無くなっていた。自由に身動きか取りずらいほど、体のあちこちの傷が痛む。
やっとの思いで、人一人が隠れられるほどの岩陰に身を潜め、どうにか深く息をする。
「イーリス、無事か!」
すでに薄暗くなってきた森のなかで、私の同期、騎士のシニストラが私の名前を呼びながら駆け寄ってきて、俺を抱き起こした。
「なんとか。生きてる。シニストラは、大丈夫か?」
俺は声を発するたびに走る全身の痛みに耐えながら、シニストラの顔を撫でた。
「あぁ、俺はなんともない。足が少し痛むが、走れないほどじゃない」
こんな状況でも、笑いながら俺のことを真っ先に気をかけてくれるシニストラ。
俺は、シニストラのことが好きだった。心から、愛していた。
「この戦闘が終わったら、街に出てイッチバンのご馳走を食べようぜ。葡萄酒を浴びるほど飲んで、お前と二人で酔い潰れよう」
シニストラに抱き抱えられながら、俺たちは二人で間近に向き合って、笑い合った。
戦場での、束の間の至福の瞬間だった。
「いたぞ!」
すぐ近くに叫ぶ敵の声がした。シニストラはそれと同時に、俺のことをキツく抱きしめた。考えるよりも先に体を反射的に動かして、自らの身を捧げて、敵兵からの攻撃から俺を守ろうとした。
シニストラの体温を感じる風に全身が包まれたと思った次の瞬間、私の左目に鋭い痛みが走った。
咄嗟の事で、なにが起こったのか訳が分からず、また、シニストラが覆い被さっていたため、俺はなにも身動きができなかった。でも、そのおかげで、俺は生き延びたのだと時間が経ってから追いついた思考で理解した。
敵兵は、シニストラが一人きりで岩陰に身を潜めて隠れていた思い込んだのだろう。現にそのぐらい、シニストラは俺のことを抱きしめて包み込んでいた。
敵兵はシニストラの身体から剣を刺し抜いて、すぐさま次の標的、つまりは俺たちの別の仲間を探しに走っていった。重たい革靴の足音がどんどんと遠くなり、俺はやっと状況を理解し始めた。
シニストラの心臓を貫いた剣先が、俺の左目にも到達していたのだと。
全身から力が抜け、先ほどより数十倍もの重さを感じるシニストラを俺は力の限り抱き締め返した。
瞳から溢れ出る熱いものは、もはや血か涙か分からなかった。
いまこの瞬間に自分は死んでいたかも知れないという恐怖と、生き残った安堵と、この先への不安。
そして、愛する者を自分のせいで失ったという、取り返しのつかない深い傷。
それらすべてを、私はこれから抱いて生きていかなければならない。
この世で一番に心から愛するシニストラ無しで、この先まだ何年か、もしくは何十年かを生きていかねばならない。昨日までは永遠に続けと願っていた平和な日々が、もはや果てしなく遠く感じる人生の旅路に姿を変えた。
あたり一帯は暗さがより一層濃くなり、鈴虫やフクロウの鳴き声がさんざめいていた。
シニストラを刺した敵兵の顔でも覚えていれば、その人物を憎み、復讐を心に決め、それを残りの生涯の指針ともできただろうか。ただ、視界はシニエストラで覆い尽くされており、相手の顔すら見えなかった。
誰かを憎むことすら許されず、愛した人は自分の腕のなかで息絶えた。
相手の顔すら見せてくれなかったのは、シニエストラが残した最後の愛だったのだろうか。
そんなことを考えながら、私はいまだに体を動かすことが出来なかった。押しつぶされそうなほど重たくなったシニストラの肉体を全身で感じながら、戦争とは、なんと愚かな行為かと憎んだ。
視界の端が少しずつ明るさを帯びていき、夜が明けてくるころ。
私は痛む全身を軋ませながら、やっと大きな体のシニストラを動かして起き上がる。
膝をつきながら立ち上がり、岩陰から滑らすようにズルズルとシニエストラの肉体を運び出し、せめてもと地面の窪みに落とした。
どんな苦情の表情で固まっているのかと思案しながら、やっとの思いでシニエストラの顔を見た。
だが、そこにはまるで眠っているかのようなシニエストラの安らかな顔がある。
胸の上で両手を組ませ、体勢を直して自らの手で少しずつ土をかけて埋めた。
もう顔しか土から出ていないとき、自分の胸元に刺していたエクセスの紋章を取り、それに口付けをしてから置いた。顔に土をかける最後に私は、こう言ったんだ。
「ありがとう、シニエストラ」
自分の親指に口付けをして、そして、シニストラの唇にそれを触れさせた。
「生まれ変わったら、また出会おう」
そう呟いて、思わず俺は自分の唇をシニエストラのそれに押し付けて。
「ずっと、愛している」
俺の吐息がかかるほど近く、いま触れた冷たい唇が少しだけ緩んだような気がした。
それが、俺たちの約束。
そのまま、その場で自分の命が尽きていくのをただ待ち、シニストラの体と共に土に還ることだってできた。
でも、シニストラが守って生かしてくれたこの命を、俺は無駄にしたくないと。
シニストラが見られなかった明日を、この瞬間を。
これからの先すべてを、残されたこの右目で見続けようと。
その信念だけが俺を突き動かし、半ば雪崩落ちるようにして森を抜け、なんとか自力で騎士団のビバークへと戻った。手当されている間も、戦闘は続いており、負傷した者は多く戦地から帰還しなかった者はもっと多かっただろう。
それから間も無く、戦争が終わった。
だが、戦争が終わっても、シニストラは還ってこない。
俺は、ひどく後悔した。
どうして生きている間に、もっと想いを伝えなかったのかと。
次に生まれ変わったときに会えるかどうかなんて、分からない。
生まれ変われるのかどうかすら、俺たちは知らない。
だから、ずっと想う。
この世で出会えたのなら、この世で精一杯愛すれば良かったと。
でも、シニストラはやはり還らない。
だから、俺はこの世を精一杯生き抜こうと。
それが、いまの俺に残されたこの世で唯一の、彼と一緒に生きることができる道だから。
「だから、ルカ」
イーリスの右目がしっかりと私のことを捉えている。
「どうすればいいかという正解を探すのではなく、自分がどうしたいかを大切にしろ」
私は知らなかった。
イーリスとはもう長い付き合いだったが、まったくそんな話は聞いたことがなかった。
「自分がしたいことを知るためには、十二分に自分と対話しなければ、炙り出せない」
自分がしたいこと。それは、いったいなんだろうと自分にあらめて問う。
「自分との対話?」
「そうだ、自分はなにが好きでなにが嫌いか。なにに歓喜して、いつ涙するのか。絶対に譲れないもの、絶対に許せないこと。それら一つ一つを知るためには、いろんな感情を自分で観察して、自分の過去や現在を振り返る。そして、一つずつ消化していく。これには非常に忍耐力が必要とされる」
イーリスにいま言われた言葉を反芻する。
「幸いにも、いまルカには時間があるだろう」
女王様の護衛にあたっていた時間がスッポリと抜け落ち、それを埋めるように訓練に励んでいた。むしろなにも考えなくて良いように、逃げるように。
「ルカの場合は特に、側から見ていても、入団から忙しなく走り抜けてきたような日々だっただろう。君はまだ若い。自分の人生でなにがしたいのか、なにがしたくないのか。それらを考えるために、少しは羽を伸ばせ。いろんな縛りから、ひとまずは解放されろ」
イーリスがお説教でもなく、説得するわけでもなく、まるで過去の自分に語りかけるような口調で、私に告げる。
「うん。ありがとう」
イーリスは、眩しいものを見るように右目を細めて、ルークとチェスの世話へと取り掛かる。
その横顔を盗み見ると、左目から一筋の涙が流れて光っていた。
会話を締めくくるようにして、イーリスが立ち上がり、ゆっくりと両腕を広げた。
私は、なんだか照れ臭くてただ少し体をイーリスへと傾けるだけだった。包み込まれるようにイーリスの両腕が私の背中へと周り、私もそれに応じる。
退役後もトレーニングは欠かしていないのだろう、硬い大きな背中に太い腕を感じる。それでもイーリスはしなやかに優しく、私の背中をポンポンと二、三度叩いた。私を励ますように。
ゴツゴツと筋肉と骨で硬いイーリスの肩口で、私はシニストラのことを考えた。おそらく、シニストラに対しては、もっと情熱的に力一杯抱きしめていたのだろうなと、そのとき思った。
私はイーリスにお礼を告げ、馬舎を出る。
シニエストラとイーリスのことを考えては、涙が目に溢れた。
あたりはもうすっかり薄暗くなっており、私の全身を爽やかな風が吹き抜けた。乾いた風が心地良い。
裏庭を歩いて抜けながら、私は自分の心が少し軽くなっていることに気がつく。気持ちが軽くなった分、頭に余白ができたような感覚になり、違う形で女王様を支えられないかと考えを巡らせ始めた。
女王様が一人になりたいときに使用する部屋の窓の前を通りながら、そう思う。
◇◇◇
朝礼で、バルコニーにいる女王様を見上げる。
この前、馬舎でイーリスが語ってくれた話の内容を思い返す。
自分の希望、自分が望むもの。それは一体なんだろう、と。
いままでは周りの期待に応えるため、周りからの羨望の眼差しを得るためなど、自分以外の視点で物事を判断してきたからか、自分の本心が掴みきれずにいる。
女王様に対する感情にも、いまだにはっきりと答えを出してしまうのが怖い自分がいた。
私は、女王様を愛している。
その気持ちに、忠誠心を超えた感情があることには最初から自分でも気が付いてはいた。
たが、自分の立場で、さらには同じ性別で生まれた私には、いったいどうすることが出来るのだろうかと、そんな思いで立ち止まらせていたから。
イーリスが語っていたように、自分の本心に従いたいと想う一方で、現実的な考えがそれらを妨げる。だから、いまのように身を引けと命令されたら、それで良いような気もしていた。
だが、私はそんなことをして後悔しないのだろうか。
イーリスが語ったように、もっと想いを伝えれば良かったと、自分の心に従えば良かったと、後悔しないのだろうかとも。
そんなことを考えていたら、騎士団長より重大な発表があるとの号令が耳に飛び込んできた。




