【第七話】結婚の申し入れ
第七話 結婚の申し入れ
〜 姫エルサ side 〜
「姫さま、結婚の申し入れが来ております」
ドキリと心臓が音を立てたようだった。
いままでにも幾度となく立ち向かってきた話だ。
今回も理由を考えて断ろうと考えながら、冷静さを保つ。
「隣国のエゴ王子からでございます」
ドクンと、今度は心臓が異なる音を立てた。ついにこの日が来てしまった、という感覚に近い。
私は表情を変えないように努めながら、爺やに尋ねる。
「急ですね。申し入れの理由はなんですか?」
爺やが答え答えづらそうに、それでも意を決して返事を口にする。
「両国にとって、良い関係を強固なものにするためと」
「それだけ?」
「あとは……エゴ王子が姫さまに好意があるとも、伺っております」
爺やの口から出た言葉に、私は思わず頭を抱える。好意。
ただの国にとっての形式上だけの結婚にであれば、最低限は耐えてみせようと覚悟をしていた。
ただ、個人的な感情をも向けられることには耐えられない。
まるで血の気が引いたように、私は立つ力が入らなくなる足元を必死に踏み締める。
「差し出がましいことを承知で申し上げますが、お返事は急がれたほうがいいかと」
爺やは恐縮した姿勢で、助言を付け足す。
私にも、この求婚が我が国にとってなにを意味するか痛いほど分かっているからこそ、今回こそは断ることは不可能に思えた。
我が国は、かつてないほどに困窮した状況にある。
ここ近年の雨が少なく日照りが続くという天候不順から収穫できる農作物が減り、それに伴って物価が上昇している。さらには、収穫物が少なくなり輸出できるものが限られているため、関連する職務すら減っており、働き手の給料も減少傾向にある。
働く場を失い、十分な食糧すらも確保できない国民が増えた。
もっとも働き盛りである若者ーーー体力的にも精神的にも盛んで力があるーーーが自分や家族の生活のためだと、やむを得ず盗難や逆奪を犯してしまう。
罪人が増えれば、それを収監して抑えるための役員たちの増員が必要となる。
それら役員たちにも当然ながら姉妹がおり、家族がおり、それら全員を生活させるのは国民から徴収した税金だ。
だが、国内生産が減少傾向ないま、その徴収できる税金も困窮している天候不順、物価高騰、財政難に加えて犯罪率の増加、また仕事の減少。
このままでは、どこかの国が攻め入って来ても立ち向かう力すらなく、侵略されるか奪い取られてしまうかの道を辿ってしまう。
そうなる前に、どうにか食い止めなければならない。
その策を私はずっと考えていた。
だが、どうにもできないと察する部分が大いにあり、最終的には隣国に助けを求めるしかないと、そう考えてもいた。
婚約を断れない状況を分かった上での申し込みだ。
姫という国を背負う立場で、国民の命を預かる責任を持ち、さらには未来のために紡いでいかなければならない国を考える。
私に残された答えなど、無いに等しい。
私個人の感情がどうであれ、心の底から、魂が叫ぶ感情にすら抗い、私は自分の責務をまっとうしなければならないのだ。答えに迷う隙間すらない。
ただ、少しだけ時間が欲しかった。
「分かりました。ただ少しだけ、時間をください」
静かに、爺やにそう告げる。
爺やは私の運命を憐れんで揺れる瞳を閉じて、なにも言わず、深くお辞儀をして部屋から静かに出ていった。
扉が閉まる音と同時に、私は机に突っ伏した。ただ、眠ってしまいたかった。
なにも考えなくていい、なにも感じなくていい世界へと逃げ込みたかった。
私だけが知る、私の気持ち。
私だけがちゃんと知っている、本当の私。
まるで生きたまま死ぬように、私は眠りの世界へと逃げ込んだ。
〜 ルカ side 〜
「姫さまが、御結婚されるそうだな」
ロイの口から出た言葉に、私は言葉を失った。
目を見開いたまま、表情を変えることができない。大きく早く脈打つ心臓の音だけが耳に響いている。
「知らなかったのか? さっきから城内で噂が立ってるぜ」
姫さまが、結婚?
「姫さま専任の護衛なんだから、真っ先に聞かされてたのかと」
「にしても、急だよなー」
能天気に頭の後ろで腕を組みながら話を続けるロイの声が遠い。
まるで自分の足元が崩れていくかのように、ふわふわと現実味のない感覚に襲われる。
まさか、姫さまにそんな前触れは一切なかった。
私は聞かされれいなかったこと、いつから話が進んでいたかということ、本当にそうなのかという疑心などが一気に内側で巻き起こる。
「ごめん、ちょっと」
隣を歩いていたロイにそれとだけ声をかけて、私は踵を返して走る。
その背中にロイが大きな声で言葉をかけてきたが、私の頭には届かなかった。
姫さまのお部屋の前に着く。
階段を駆け上がり、裏庭や廊下を走って来たため、息が上がり、心臓が全身を揺らしている。
軽く深呼吸して息を整えてから、三回ノックする。
指が痛くなるほど大きな音を響かせたが、部屋から返答はない。
すると、部屋の反対側、向かいの扉から爺やが出てきて、私の隣に来る。
「おそらく、眠っていらっしゃるのだと思います」
同情するような悲しい声色だった。
「結婚の話は、本当ですか」
落ち着いた口調を心がけないと、つい大声になりそうだった。自分の息はまだ上がっていた。
「噂は風より早い。ほんの、つい先ほどの話です」
「相手は、だれなのですか」
爺やは私を見上げて、目を合わせた。その視線から、姫さま本人から聞いた方がいいと言われているような気がした。
「急な話かとお思いでしょう。ただ、以前から幾度となくあった話なのです。我が国に国力がある限りは、姫さまも強気に断っていらっしゃったのですが、今回ばかりは厳しい状況かもしれん」
最後はまるで、自分に言い聞かせるように爺やは足元に目線を落として、力なく言った。
「ルカさま、どうか姫さまを支えて差し上げてください。これは個人的な祈りに近い願いです。あの人にはもう、貴方さましかおられないのですから」
私は、その言葉がなにを表すのか、必死に考えを巡らせたが、冷静に考えられないほど頭に血が上っていた。
爺やはそっと静かに姫さまの部屋の扉を開けて、向かいの自分の控え室へと戻っていった。
本来であれば、姫さまの返答なく部屋になど入ってはいけない。
だから、爺やは風がそっと扉を押し開けてしまったと言わんばかりに、さりげなく扉を開けた。
私は爺やの行動に促されるように、静かに姫さまのお部屋へと入った。
〜 姫エルサ side 〜
夢を見ていた。
楽しい夢。
自分には縛るものが一切なく、光のなかを軽く明るい気持ちで自由に駆け巡る夢。
足の裏に芝生のチクチクとした感触がする。裸足になって、どこまでも駆けてゆく。
私を縛るものはないのだ。
この世は生きるにふさわしい楽しい場所なのだ。
私はなににでもなれるし、どんなこともできる。
どんな夢を描こう、どんな人を愛そう。
私には愛する人たちがたくさんいる。
そして、私を愛してくれる人がちゃんといる。
そんな気持ちに包まれて、私は光のなかを駆け巡る。
でも、だんだんと雲行きが怪しくなる。
重たい雲が流れてきて、いままでの気持ちを、まるで無かったかのように吹き飛ばす湿気を帯びた暴風が吹く。私は、どこへ行けばいいのか分からなくなる。
振り返っても、だれもそばにいない。だれに助けを求めればいい、どこに向かえばいい。
手を伸ばしても空を掴むばかりで、なにかをしっかりと掴んだはずだった手のひらを見てもなにもない。
足元を見ると、険しい崖の上にいる。あと一歩踏み出して仕舞えば、この恐怖も不安もすべて終わるだろうか。いや、きっと永遠に続いてしまうのだろう。
そんな直感のような考えがよぎったとき、私はなんとか足元の芝生を両足の指で掴むように、しっかりと踏み締めた。そして、空を見上げた。
「っ、さま」
遠くから、声が聞こえる。
透き通った声。大好きな声。聞くと安心して、なんでもできるような気がしてくる声。
私はその声を頼りに、振り返る。なんとか、強く生きねばと。
「姫さま」
目を開けると、真隣に座ったルカが私を心配そうに見つめていた。
机に突っ伏した私を横から覗き込むように。
両肩に微かな重みと暖かさを感じて手を伸ばすと、ルカのマントがかけられている。
私はマントがずり落ちてしまわないよう掴みながら、上体を起こす。
「大丈夫ですか。うなされているご様子で」
どれだけ深い眠りに落ちて夢を見ても、目が覚めた現実は変わらない。
私はエゴ王子と結婚するのだ。
国のために。姫という責務に従い、この国を守るために。
そんなの当たり前のことだと、言われるだろう。
私個人の感情と、数えきれないほどの国民、そして遥か遠い歴史を持つ国のため。
天秤にかけても、それを覆すことなど常識にはなく、姫としてすべてを与えられてきたのだから、と。
すべて、とは。
私にはずっと、すべてなどなかった。
私には一つだけ大切なものがあれば、それで良かった。
そんな胸の内を知るのは、この私だけ。
この孤独を知るのは、私だけなのだ。
無理やり眠りの世界に逃げ込んだからか、それとも変な体勢で寝ていたからか、頭が重く痛い。
再び眠りの世界に逃げ込みたい気持ちを抱いたまま、ルカの肩に頭を乗せる。
驚いた様子もなく、ルカはただ私を受け入れてくれた。
今度は私の左肩にルカの手が乗せられる。細くて長い指。
華奢で綺麗な手。
私は思わず、その手に自分の右手を重ねる。
触れた感覚から、ルカの透き通るほど白くて血管が走る、滑らかな手の甲が脳裏に浮かぶ。
「……疲れたでしょう」
ルカがこれ以上ないほど静かに、そう言った。
その瞬間、まるで待ち侘びた合図だったかのように、私の目から涙がこぼれ落ちた。
いままで我慢して溜め込んできた感情が溢れ出すように、情けないほどに涙が止まらなくなる。
ルカが、静かにただ頷いているのが振動で伝わってくる。
私は深く一度だけ頷くので精一杯だった。言葉を返せないほど、嗚咽が喉を痛め、胸が苦しくなり、肩が震えた。
そうだ、私はずっと誰かにそう言ってほしかったのだ。そう言って寄り添ってくれる誰かをずっと待っていた。
ルカの右手が私の頭をゆっくりと撫でる。
二人の体温が溶け合うようにして混ざり、体が半分ずつ融合したような、そんな感覚になる。
私たちは、しばらくそのままだった。
私は泣きたいだけ泣いたし、ルカはただそれを受け入れてくれた。
私はそれで十分だと思った。それで満足なのだと自分に言い聞かせて、また知らぬまに眠りに落ちた。
まだ薄い朝日にわずかに照らされた室内に目を覚ますと、いつの間にかベッドに寝ており、布団もかけられていた。
左手にあたたかい感触があり、視線を向けると、ベットの脇の椅子に腰掛けたルカが私の手を握っていた。
それがいま私たちができる最上級の愛情表現なのだと、私の気持ちは満たされた。
朝日が昇り切ったら、私は正式に結婚に応じなければならない。
望まない結婚。国のため、国民のため、自分の心に背く。それが姫としての責務だから。
私のさだめとも運命とも呼べるもの。
ただ、私の専任の護衛としてでも、ルカが側にいてくれさえすれば、それだけで乗り越えられていけるような気がした。貴方がいてくれれば、私はなんだってできる。
それぐらい、私は救われていた。そして、なによりもルカを愛していた。
〜 ルカ side 〜
まだ夜と朝という境界線が曖昧なころ。
手がかすかに揺れ動いた気がして目を覚ますと、姫さまがこちらを見ていた。慌てて起き上がろうとすると、静かに手で制された。
「まだ。明日まで少しだけ時間がある」
私は姫さまがいう言葉の意味が掴みきれず、起きたばかりの朧げな目を向ける。
「貴方と私、二人きりだったらいいのに」
加えてかけられた言葉に、私の目が一気に見開く。
「この世界に。なんのしがらみもなく、拒むものも、後ろ指を差すものもおらず。自由に、私たちだけが存在していて、自由に暮らすの」
望まない結婚を明日に控えた姫さまから、言葉が止まることなくこぼれ落ちる。私はどう答えたらいいだろうかと思いながら、ただ姫さまを見つめていた。
「私、ルカが好き」
真っ直ぐに見つめられながら、そう言われたとき、私の心が叫んだ。
雄叫びのように、歓喜に打ち震え、この世に生まれてきて良かったと叫ぶ魂の声を聞いた。
「貴女がこの世で一番好き。愛している」
姫さまが私の目を見つめたまま、続ける。
私は繋いだままの、手に力を込める。
「私も、心から敬愛しています」
私の立場では、そう答える、その言葉が精一杯だった。
それ以上を言葉にしてしまうと、許されたなくなってしまう。
朧げに誤魔化していたものが、しっかりと輪郭を持って存在してしまうから。
姫さまも、分かっている、というように静かに優しく頷いた。
ただ、その表情は苦しそうで、その瞳はどこか諦めるような寂しい目をしていた。
まるで、月の光を反射させた泉の水面のようだと思ったとき、その水面が揺れ動いて、大きな雫がこぼれ落ちた。その雫がまた泉の水面に波紋を作って広がるように、どこまでも揺れ動いていた。
私はとっさに起き上がって、力の限り姫さまを抱きしめた。
私の胸に顔を埋めて、肩を振るわせながら声を押し殺して静かに泣く貴女を、私は両腕で包み込んだ。
姫さまの柔らかく温かい髪の毛が私の鼻を包み込む。
私の胸元には、姫さまが流した涙でできた大きな水面が広がっていた。
私たちはどちらともなく立ち上がり、すぐそこに来る明日への準備をするかのように、部屋の扉へと進んだ。明日からは、今日までのようにはいられない。
姫さまにとって一番近い者が変わるのだ。それも、確固たる関係となって。
姫さまが部屋の扉を開き、私は廊下に出た。
まだ朝日が届ききっていない、静かな廊下。
まるで、世界に私たちしか存在しないかと錯覚してしまうほどの、静かな朝だった。
「おやすみなさい」
間近で見る姫さまの目元は赤く、辺りの暗さも相まって輪郭はぼやけていた。
「おやすみなさい。姫さま」
踵を返そうと右足を一歩引いて背を向けたとき、姫さまから呼びかけられた。
「ルカ」
私は反射的に姫さまの方へと振り向く。
姫さまの顔にぶつかると思った瞬間だった。
唇に、自分とは異なる柔らかな体温が触れた。
二人の唇が重なり合った。
私は驚いて目を見開く。
すると、間近に目を閉じて祈るような表情をした貴女が視界を占めていた。
パタン。
すぐさま扉は閉じられた。
かすかに顔に風を感じた。
扉を閉める際に、入れ替わりで起こった風。
いままで目の前にいたのに、もう人影はどこにもなく、静まり返った廊下には私しかいない。
まるで、隙間風のように、どこからともなく姿を消していった。
私に花を咲かせた風が、またどこかへと吹き抜けていってしまった。
私は振り向いた体勢のまま固まっていた。
いま起こったことを思い出そうとするものの、まだ思い出にしてしまいたくなくて、私は足早に自室へと向かった。
明日からは一番近い場所にはいられなくなる。だが、いま起こったことは誰よりも近いことを示す、そんな行為だった。
約束。
私たちの、密かな約束。
この世界で、たった二人だけが知ってれば良い、約束。
私は、また湿った自分の胸元を手のひらで包んだ。それが私たちの秘密であり、約束だった。
姫さまの隣の自室で、私は眠れない頭で考える。
少し前までは、変化のない毎日だと思っていた。朝礼に出席する朝も、訓練に明け暮れる昼も、ただ身体を休める夜も。なにも変わらない、ただのつまらない日常だと。
でも、いまは違う。
たとえ同じような毎日の繰り返しでも、たしかに意味があり、なによりもありがたく、幸福なことなのだと。




