【第九話】諜者(スパイ)の疑い
第九話 諜者の疑い
〜 ルカ side 〜
「女王様から、御発表が」
通常とは異なる号令と声色により、整列していた騎士団員たちの集中が高まるのが分かった。
壇上の女王様とエゴ王配が立ち上がり、いままで団長が立っていた位置まで進み出る。
エゴ王配が声を張り上げるため、大きく息を吸った。
「諸君。この度、我が国はさらなる発展と、新天地開拓のため、遠征を行う運びとなった」
それと同時に、騎士団みなが言葉には出さずとも、新たな展開に静かにざわめき立つ。
私は女王様を見つめ続けた。その真意と意図が知りたかった。
みなが固唾を飲んで、女王様の言葉を待つ。
それを分かっていると言わんばかりに、女王様がすぐさま口をひらく。
「いまの言葉通りですが、私から一点だけ付け加えます。戦争を始める訳では決してありません。我が国の現状を鑑みての英断です。不要な争いを事前に抑えるための遠征と言っても良いでしょう。隣国とのさらなる友好関係を築く、それがこの度の遠征の、最大にして最優先の目的です」
だから、安心してほしい、とそう語りかけるような優しい表情だ。
不安な表情を浮かべてざわめき立っていた騎士団員たちは、女王様の言葉を聞いて、みなが安堵のため息をつく。
そのとき、壇上の女王様と、目が合った。
女王様は、それが悟られぬよう、私からすぐに目を逸らす。
私は、それが女王様のお心遣いと知りながらも、胸が痛んだ。
どうしてこれほどまでに私の胸は痛むのか。
姫さまの側にいたい。
まだ女王様ではなかった貴女と交わしたように、他愛もない話しがしたい。
その手に、髪に触れたい。
それらが私の答えなのだと、やっとその瞬間に分かった。
引き続き、女王様から遠征に伴う騎士団を鼓舞するお言葉があり、そのままの流れで朝礼が締め括られようとしていた。ちょうどそのとき。
「誠に遺憾ではあるが、私から最後に一点。諸君たちに報告せねばならぬことがある」
エゴ王配がその流れに切り入れ込むかのように、口を開いた。
女王様の目が見開かれる。
続きの詳細は側近モンテの口から、と言うようにエゴ王配が一歩下がりながら手で彼に合図をする。その仕草を合図に、今度はエゴ王配の側に控えていたモンテで数歩前に進み出た。
「ルカ・エクセス」
開いたモンテの口から、ピンポイントで自分が名指しされ、心臓の音が自然と大きくなる。
壇上にいるエゴ王配の視線がこちらに向き、目が合う。
そのすぐ隣で戸惑った様子で瞳が細かく揺れ動いている女王様が視界に入った。
「そなたに諜者の疑いがかかっておる」
「っ⁉︎」
女王様がすぐさまモンテとエゴ王配へと鋭い視線をむける。
それを嗜めるように、気にせずモンテが話を半ば強引に続けた。
ついにきたか、と私は思った。
私は表情を一切変えることなく、壇上を見つめ続ける。
視界の端では、周囲の団員たちが私の横顔をチラリと見やり、表情を窺っている様子が感じ取れた。
「残念なことだが、幾つか証拠と取れるような行動も確認しておる」
国が主体となると、証拠などいくらでも作り上げられるのだろう。
もはやこれだけ大勢の前で発表されてしまっては、女王様一人がなにかを証言したとしても多勢に無勢だった。モンテの独壇場と化した演説が続けられる。
「だが、幸いなことに、まだ疑いの段階だ。この容疑が、どうか確定しないことを願っておる」
モンテ、お前は私に、なにがしたい?
モンテの、片方の眉毛をピクリと上げた表情が鼻についた。
モンテが後ろに下がり、それと入れ替わるように、騎士団長が再び前に出る。
「……以上の理由により、ルカ・エクセスは国内監視下処分を命ずる。ひいては、この度の遠征には参加せず……」
騎士団長の表情からだけでは私情は窺い知ることができなかった。ただ前を向いて、国家からの命令に従う、ただどこまでも騎士団長らしい真っ当な責務のやり方だった。
つまり、私はこの国で諜者容疑者となり、遠征に参加することはおろか、監視下に置かれるということか。
おそらく、女王様の反応から判断すると、この発表を知らなかったのだろう。苦しそうな表情を浮かべた女王様が壇上に立っている。
女王様たちが遠征に出発するのは、一週間後とのことだった。
「ルカ・エクセス、『直ちに騎士団長室に来たれ』との命令が出ております」
朝礼が終わるや間もなく、同期の騎士団員が私の元へと駆け寄って、敬礼をしながらそう言う。
もはや容疑者となった私は、逃げ出さないようにと、両脇を二人の団員に掴まれて移動するという滑稽なものだった。
「おい。まだ、私は容疑の段階なんだろう。手を離してくれないか。歩きづらい」
私は、いつも同期に話すような声色で、両肩を動かしながらそう言う。
それに対して、表情を一切変えず視線も真正面から逸らさず、右側の脇を掴んでいた二人が答えた。
「団長による、命令ですので」
私は朝礼から内側で湧き上がり続けていた怒りをぶつけないよう気をつけながら、極めて静かに、だが鋭い視線で言う。
「離せ」
彼らが怯んだ雰囲気を感じ取って、私は腕を無理やり振り払う。それをも押さえつけて両脇を確保するようなことは、さすがにしてこなかった。
そのまま一緒に並んで廊下を進み、騎士団長室へと向かう。
到着すると、団長室の扉はすでに開いていた。敬礼をして私は言った。
「ルカ・エクセス。参りました」
執務机についていた団長が、チラリとこちらを見やり、手で部屋に入れと私に促す。
私をここまで連れてきた団員たちはそのまま部屋の外での見張り役となり、扉が閉められる。
団長が立ち上がり、向かい合わせに椅子が置かれた机へと移動し、向かい側に腰掛けろと手で促すので、私はその通り座った。
「……私の口から伝えるのが辛いが、先ほどの朝礼でのエゴ王配のお言葉通りだ。この度、遠征を行うコンカ国に情報を流しているのではないか、という容疑がかかっている」
「団長もご存知の通り、私はこの国で騎士になるために今日まで精進を重ねてきました。一体私になんの徳があって、この国を裏切る行為を私が行うなどとお考えになったのでしょうか」
言葉にしているとフツフツと内側から怒りが湧き上がってくる。私はそれを抑えるように力いっぱい拳を握り、声に出ないよう努めた。
団長はそれらから逃れるように、机に視線を落としながら答える。
「私の口からは、これ以上なにか追加で語ることは許されていない。本当に申し訳ない」
団長は頭を下げ、半ば祈るような形で私に謝った。この部屋には私たち二人しかいない。団長のそんな姿を見るのは初めてだった。
そこで、この人は私のことを一切疑っていないのだと分かった。だが同時に、国という絶対的な権力に従っている騎士団長として、エゴ王配の言葉は絶対なのだとも。
「……分かりました」
私は、いま話された内容に対してではなく、団長の気持ちを汲み取ったという意味を込めて、その言葉を放つ。
さぁこれで話は終わりだと言わんばかりに、団長は立ち上がり、部屋の扉を開け、待機していた騎士団員たちへと私を引き渡した。
その最後、団長が静かに私の背中を拳でポンと叩いた。
まるで、理不尽な仕打ちに屈するなと鼓舞するように。
実戦前や日々の訓練後などに、気合を入れてくれる、いつもの団長の仕草だった。
さすがに国内監視下に置かれると言っても、まだ容疑の段階である私はーーー誰の目にもエゴ王配による冤罪だと明らかであるからかーーー朝から晩まで騎士団員に見張られるわけではなかった。
先ほどまでの拘束から解放された私は、午前の訓練に合流しようと廊下を歩く。
すると、向かい側から爺やが歩いてきた。私の姿を見つけるなり、あっ、という表情に変わって近づいてくる。
「すぐさまお部屋に来てほしいと、女王様が」
いくつか証拠がある、とエゴ王配が言っていたことを思い出し、それについても詳細を尋ねるため、私は爺やと一緒に女王様のお部屋へと急いだ。
コンコンコン。
「どうぞ」
女王様の声を久しぶりに、間近で聞く。
部屋に通されると、エゴ王配とその側近モンテの姿も部屋にはあった。向かい合って配置されている二人掛けのソファに女王様とエゴ王配が並んで腰掛けている。女王様の部屋でそのお姿を目にすると、心が軋んだ。
向かい側ーーーモンテの隣ーーーに腰掛けるよう、女王様から手で促される。
私が椅子に座るなり、エゴ王配が口を開く。
「急に呼び出して、すまない」
意に反して、極めて穏やかな口調と声だった。
「さぞ、急な話で驚いたことだろうと思う。だが、この度の容疑について、二、三聞きたいことがある」
詳しいことは、モンテからといったようにエゴ王配がまたモンテに目配せをする。
隣に座った男の低い声が部屋に響く。
「まず一つ目。どうして頻繁に馬舎に出入りしているのか」
私は表情を一切変えず、対角線に座るエゴ王配を真っ直ぐに見続けた。それと同時に、心配そうな目で私の顔を見つめる女王様の視線を感じ取ってもいた。
「そして、二つ目。我が国の領地の末端にある泉への遠征記録が帳簿に記されていた。だが、騎士団長に尋ねると、命令はなかったとのことであった。とすれば、遠征理由はなにか」
二つ目の理由を話した瞬間、女王様の表情が揺らいだのが感じ取れる。
私はなに一つ表情も声色も変えずに答えた。
「まず、一つ目の理由について。私は入団時から特に可愛がって世話をしている馬がおります。その馬の世話をするため、頻繁に馬舎へと出入りしておりました」
「馬舎にいるのは、馬だけですか?」
モンテが追加で質問を投げかけてくる。
「いいえ。馬二頭とイーリスという退役騎士がおります」
イーリスという名を言った瞬間に、モンテの右眉がぴくりとわずかに上がった。
「あの馬舎の扉は、貴方とイーリスと申す者しか開けられないと聞きました。それは本当ですか?」
「はい。部外者の侵入を防ぐために」
「部外者が勝手に侵入しては、なにか困る事情が?」
モンテの質問に、なにか意味深な意図を感じ取ったが、事実を淡々と答える。
「私とイーリスが、大切にしている馬たちですので」
「イーリスという男は、そこに在中しているのですか?」
「いいえ、普段は騎士団が保有する馬たち全体の手入れを行っております」
「では、事前に日時を指し示して合流しているのですか?」
「私たちのどちらも昼休みをそこで過ごすことが多いため、自然と顔を合わせる機会があるのです」
緊迫した雰囲気のなかで、なぜか私のことを心配そうに見つめるエゴ王配と目を合わせたまま、モンテの言葉を聞く。
どうやら、イーリスと結託して謀者行為をしていると疑われているらしかった。
「では、イーリスという者と、ほとんど連日会っているという事実は認めますな?」
言い方を変えればそうなるが、私はその表現に怪訝な顔を示した。だが、事実は変わらないため、そう答える。
「はい」
その瞬間、モンテが嫌な笑みを浮かべたことを視線の端で見てとった。
「では、二つ目の……」
モンテが矢継ぎ早に話し始めた瞬間、私の正面に座っていた女王様が口を開く。
「二つ目の件に関しては、私が個人的に護衛をお願いしたものです」
モンテの表情がピクリと動く。
「遠征理由はなんでしょう? まだエクセスの称号すら手に入れていなかった騎士団員と二人きりで遠征に赴いたと?」
内容は明らかに女王様当てであるのに、モンテは私に視線を移して、そう言う。
「急きょ、確認しておきたいことがあったので、私がルカに護衛をお願いしたのです」
「確認したいこと、とは?」
モンテが女王様の方へ顔をやって尋ねる。エゴ王配は落ち着かない様子で、全員の顔を追いかけている。
「エクセスの称号を欲しがる理由と、私の専任護衛として任命する適任な人物かどうかを確認するためです」
モンテはアゴ髭を撫でながら、ほほう、といった表情をする。
「では、その翌日にエクセスの称号を与えられ、さらには専任護衛にもなっていたことから、その女王様による個人的な試験に合格したということですな?」
女王様がその言い方に対して、呆れたように嫌悪の表情を浮かべた。
「そんな言い方はやめてください。私は、ルカがどんな人物なのか、それを自分の目で確かめたかっただけです」
ルカ、という名を呼ぶときにわずかに声色が和らぎ、声調が高くなった。それに気がついたのは、私だけではなく、モンテとエゴ王配も同じだったようだ。
その名が女王様の口から発さられる度に、エゴ王配の表情に若干の曇りが現れるのを私は見た。
それらには気づいていないであろう、女王様が話を続ける。
「それに、領地の末端である泉を久しぶりに確認しておきたかった。それだけです」
モンテが身を乗り出して、女王様に尋ねる。
「なにか気になる点があったのですか? 泉で」
女王様が幼きころから、あの泉を憩いの場として、とても大切な場としていることを私は知っている。だが、エゴ王配は知らない。おそらく、教えたくないのだろうとも。
「説明し難いですが、女王としての勘のようなものでしょうか」
やはり、女王様は私に話してくださったような、あの泉に対する話をエゴ王配たちにはしなかった。
おそらく、エゴ王配もその一種の壁のような拒絶を感じったのだろう。居心地の悪さからか、大きく座り直す。
モンテが髭を触りながら、続ける。
「女の勘、というやつですかな。女同士にしか、分からないことも、さぞお有りなのでしょう」
女。女同士。
意味ありげにそれらの言葉をあえて使い、さらには意味深な視線を私と女王様によこすモンテに対して、私は鋭い視線を送った。自然と、膝の上で軽く握っていた拳に力が入る。
緊迫した空気をまるで楽しむかのように十分な余韻を残した後、モンテが口を開いた。
「分かりました。お尋ねしたかったことは以上です。朝礼でも申した通り、現段階ではまだ容疑の段階ですから」
その言葉を合図にするかのように、エゴ王配が勢いよく立ち上がる。まるで、緊迫した雰囲気はもう十分だと嫌い、これ以上の争いを避けるかのように。
「さっ、一週間後に差し迫った遠征の打ち合わせをしなくては。必要な物資を整えるのに日数もあまりなく忙しい」
そうだろう、と言わんばかりに女王様とモンテにエゴ王配が目配せをする。
「私が扉まで送ろう」
そのエゴ王配の言葉を合図に、モンテも立ち上がる。私は一呼吸してから、勢いよく立ち上がった。いつでも決闘を受けて立ってやると現さんばかりに、私は自分よりも少し小さなモンテと見つめ合う。その様子を見ていた女王様も立ち上がった。
私はエゴ王配に促されるように、部屋の扉へと向かう。
モンテは大きな体をしたエゴ王配の影に隠れており、こちらからは姿が隠れて一切見えない。私が一瞬の気の昂りから一撃見舞ってやれば、おそらくモンテは気絶するだろう。そんな殺気だった私に怖気付いたのか、王配の背後に身を隠すとは卑怯な。
そんなことを思ってると、私の真後ろにピッタリと女王様が近寄った。
その瞬間、左の掌になにかチクっとした感触を感じた。
私は一切身動きせず、掌にあたった感触をそのまま手のひらのなかへと握り込み、すかさず袖のなかへとそれを入れ込む。
扉が開かれ、私だけが廊下へと立つ。三人と私一人で向かい合う形となる。
「我々のこの度の遠征の成功を、君も願っていてくれ」
エゴ王配が隣に立つ女王様の肩に手を置いて、そう言った。女王様はすかさずスッと肩を動かして、その手から逃れていた。
「ルカ・エクセスはいつ何時も国家に忠誠を誓います」
視線を上げて敬礼をする。
バタン。
扉が閉められた。
敬礼をしていた手をゆっくりと下げ、深く呼吸をする。私は踵を返して、訓練場へと足早に向かう。
廊下に誰も歩いていないことを確認しながら、その道中で袖口から、先ほどチクリと感触のしたものを見る。それは、なにやら小さく折り畳まれた紙だった。
証拠品にならぬよう、宛名も差出人の名前もない手紙。
此ヲ貴殿ニ(これを、あなたに)
仮ニ必要何起バ用レ(もし必要になれば、使ってください)
此旅終バ(この遠征が終われば、)
我信ズル道導ウ(私は自分の信じる道を行きます)
常ニ心共ニ(常に、心は一緒)
読了、燃願(読み終わったら、燃やしてください)
遠い昔に自然消滅したと言われる言語で書かれた短い手紙だ。
これらの読解が出来る者は非常に少なく、我が国にも数えるほどしか存在しない。女王様を始め、学のある優秀な騎士か言語学者ぐらいだろう。
私はそれらの言葉と文面をしっかりと目に心に焼き付けた。指先の感触から、もう一枚紙が添えられていることに気が付く。
国発行の国境通行許可書だ。
この度の遠征先であるコンカ国へ通づる関門の通行許可書。
女王様のサインも入っており、しっかりと効力を持つ状態に仕上がっている。
私は、襟を正す仕草とともに、それを胸元へと大切に仕舞い込んだ。
女王様から頂いた、生まれて初めての手紙を大切に保管しておきたい衝動を抑えて、手紙のみを再び袖口に仕舞う。訓練に向かう道中にある焼却炉の前を通過するとき、それを宙に放った。一瞬にしてそれは小さな炎に包まれて、ポウと音を立て瞬く間に火花となって消えた。
その様子は、まるで小さな命が、運命を全うした渾身の光を撒き散らして、生を燃やし切ったようだった。
〜 女王エルサ side 〜
我が国の現状は非常に厳しい。
国民の怒りや不安は爆発寸前となり、さらには婚約の発表が、我が国が窮地に追いやられているという現状を周辺国に知らしめるようなものともなっていた。
「ずっと結婚を断り続けていたエルサ様が⁉︎」
「祝賀ムードで誤魔化されているが、隣国の王子に頼らなければならないほどの状況ってことだろう」
「豪華な婚礼なんぞ挙げている場合か! まずは俺ら国民の生活をどうにかしろってんだ!」
そんな数々の国民の声が、ジワジワ城にも聞こえ始めてきていた。ついに、ここまで。
我が国には現在、余力がない。このまま隣国に攻め入れられでもすれば、対抗できずに、あっけなく侵略されてしまうだろう。そうなる前に、どうにか抑えなければ。そう考えた末に出した答えが、この度の遠征だった。
そんな国家の一大事に、またもやエゴ王配の側近であるモンテは私情を挟んできた。
「ルカ・エクセスは遠征には参加できません、よろしいでしょうか?」
わざわざ私に尋ねるところが、いやらしいと思う。
「この頃の彼女には、不審な動きが特に多くありまして」
彼女。私はその言葉でルカの姿を脳裏に思い出す。
護衛を解任されてから、久しく言葉を交わしていない。朝礼で姿を盗み見て窺い知るだけだった。元気なのか。声が聞きたいと思った。
「構いません。むしろ、私が不在になる間、城を任せられるのはルカぐらいです」
モンテは、ほほうといった表情をわざとらしく浮かべる。
「相変わらず、よほどの信頼なのですね。此度の遠征先であるコンカ国に通ずる諜者ではないかという疑いがあるのに」
ルカに対する疑心を露わにするモンテに、私は尋ねた。
「では、逆にお尋ねしますが、ルカに一体なんの徳があるのです。諜者に情報を流すことで得られる徳は?」
片眉だけを挙げて、待っていましたと言わんばかりにモンテが話を始める。
「ご存知ないのですか。彼女が頻繁に出入りしている馬舎の主人、イーリスとの関係を」
イーリス。前回その名が出たとき、ルカと一緒に馬舎を管理している唯一の者なのだと泉で聞いたことを思い出した。
「イーリスと結託して、謀者として情報を流しているとでも?」
フッフッフッ、と不適な笑みをこぼして、モンテがワザとらしく笑う。
「その様子ですと、本当にご存知ないようですね。それか、ご自身の気分を害するものは知りたくないと、目を逸らしておられるのですか」
モンテのこのような態度はこのごろ特に目に余る。あまりにもバカにした態度に、私は声を荒げる。
「いい加減になさい! なにが言いたいのです!」
「恋仲ですよ」
は? という言葉が口から思わずこぼれた。
心臓が激しく音を立てる。
「ルカとイーリスが、人目につかない馬舎で愛を深める密会を行っていると、もはや城中が知る噂です」
服の上からでも鼓動が分かるのではないかと思うほど、心臓が嫌な音を立てる。
「そんな下世話な噂、私は信じません」
モンテが、相変わらず憐れみを浮かべたような目で、私の周りを歩きながら言う。
「ついこの前、馬舎から涙を浮かべた彼女が出てきたとの目撃情報もあります」
それがなにを意味するのかは分かりませんが、とちょうど私の真後ろに立ち、肩越しにそう言う。
私はルカを信じている。
「ここ最近の彼女に対する不当な扱いに、誰だって人知れず頼りたくなり、涙ぐらい流すでしょう」
私は体が大きく揺れそうになるのを堪え、もはや冷やかとも取れる冷静な声で言う。
「あの二人しか入る方法を知らない例の秘密の馬舎で二人きり。わざわざ人目につかない場所を選び、そこで熱い抱擁を交わしている二人が目撃されている」
相変わらず私の周りを歩きながら、モンテが続ける。まるで囁くような嫌な口調により、自分の耳元で囁かれているような感覚に陥る。
「泣き言があるときに真っ先に頼る人、駆け寄って抱き合いながら泣きつく相手がイーリスなのだと。それだけで彼女たちが恋仲であると人々が信じるには十分でしょう。そして、その愛の絆を持って共犯となり、我が国すらも裏切り、貴女様をも欺くほどの力を持つと」
「私は断じて信じません。そんな話」
私はルカを信じている。
あの日、交わした瞳や言葉を信じている。
でも、最近の貴女には会えてない。なにを考え、思っているのか、私は知り得ない。それは事実だった。
「最も信頼して心を許していた相手に、実は裏切られていた、なんて誰もが信じたくないものです」
ウンウンと頷きながら、モンテがこちらを煽り続ける。そんなモンテを牽制するよう語気を強めて言う。
「とにかく、ルカが情報を流したという確固たる証拠は一つもありません。恋仲であろうとなかろうと、証拠がない以上、私はルカを信じ続けます」
フム、といった表情で顎髭を触っていたモンテが、付け加える。
「いつでも『正しい』姿を国民に示す女王様には無念なお話かもしれませんが、人間は情の生き物です。普通の人間は、どんな合理的で正しい理由よりも、個人的な色恋には抗えないものですぞ」
普通の人間。それを聞いて私は思う。私だって、普通の一人の人間だ。激情に心を乱すこともあれば、他人からの言動に傷つき、心のままに叫びたいときだってある。
「その話はここまでにしましょう。たしかな答えの出ない疑いを永遠と話すのを私は好みません。もうじき、遠征についての会議の時間です。それまで一休憩したいと考えますので、ひとまず、お引き取り願えますか」
はい、と妙に素直な返事をして扉へと向かったモンテだったが、扉を閉める際に一言付け加えた。
「そのうち、もはや覆すことのできない証拠が出てこないことを願っております」
扉が閉ざされる直前に目にした、モンテの不適な笑みに鳥肌が立つ。
一人きりになった部屋で机に座り、両手を祈るように組み、頭を乗せる。
ここ最近、心をかき乱されるような出来事が続いており、このまま逃避したくなる。誰かに助けを求めたいけれど、もはや誰に手を伸ばして良いのか、誰を信頼して良いのかも考えられない。
ルカ。貴女の心の内は一体。
ふと、机の脇にある本棚に目をやる。
ここ最近、本を読んでいない。
そんな息つく暇もなく、ずっと走り続けてきたような日々をあらためて振り返る。
そういえば、初めてルカに会ったのは、図書部屋だった。
この国が豊かになった暁には、身分や年齢に関わらず、国民が好きなだけ本が読めるように国立図書館を設立すると、あの時の私は輝く未来を想像しては、そう意気込んでいたのに。
いまや財政が困難となり、国全体が窮地に立っているこの現状。
私がこんな弱気ではいけない。
そう思い直して、椅子から立ち上がる。
ルカが誰と恋仲であろうと、もはや私には関係のないことだ。
「正しい」姿を国民に示すべき存在の、女王である私が、ルカと結ばれる未来など望んではいけないのだ。
はたと気がつく。私はルカの気持ちを、あまり知らないということに。
本当の気持ちを知ってしまうのが怖くて、ハッキリと自分の気持ちや、ルカの気持ちをも確認することが怖いのだ。
もしそれを確固たる輪郭を持たせて仕舞えば、もう逃げられない。
もしくは、私はまた孤独に生きることになる。
ルカが、私を愛しているかどうか。
それを知って仕舞えば、そこですべてが終わるだろう。
私が、女性しか愛せないという事実にも。
この心のうちに宿った灯火が、自然と消えるのをまた待つ日々が続くのだ。永遠に、それの繰り返し。
そうだ、そうやっていままでも生きてきた。周りに悟られぬよう、自分でも気づかぬよう。誤魔化して、時が過ぎ去るのをただ待つ。そうして自分の魂が望むものが風化し、心からの叫び声が枯れていくのを、ただ眺めるのだ。
そうやって、私は生きてきた。
ずっと。
誰にも話さず。
自分しか本当の自分を知らない世界を生きてきた。
誰にも言わず、誰にも話さず。ずっと声を潜めて、秘めて。
窓の外を見ながら、そんな言葉たちを頭に浮かばせて眺めていた。
風に流れる雲を見ながら、それでもやはりと、心に浮かぶ感情が頭のなかでこだまする。
私は、いまルカのことを愛している。
もしこの度の遠征で、私の身に危険が及び、もしも命を落とすような事態になれば。そんなことを考え始め、少し無鉄砲な思考が顔を出す。
私がルカにできる唯一のこととは。
ハッ、そうだ。
私は再び机に向かい、引き出しから書類を取り出し、それにサインする。
もし、私になにかが起こり、力が及ばなくなった際にルカだけは自由の身になれるよう願いを込めながら羽ペンでしたためる。
私は、手紙とともに小さく折り畳んだそれをソッと袖口に忍ばせた。
◇◇◇
遠征の朝になった。
大勢の騎士団員たちを引き連れていることもあり、大袈裟なほどの大所帯で城を出る。国民たちが見守り、花道のようになった人だかりをかき分けながら、馬車が進んでいく。
石畳で道が悪い以上に、続く大雨の影響で地面はぬかるんでいる。そのため、見込みよりも多くの時間を要すると思われた。余分な食料を携えて、遠征先のコンカ国へと向かう。
城の敷地から出る架け橋を渡り切ったとき、馬車の窓から城を見た。私が生まれ育った城を。
城の外側、よく二人で座って街を見下ろしたバルコニーの上に、一人の人影があることに気がつく。
ルカだ。
一直線にこちらを見据えて、敬礼をしている。
その表情は遠すぎて窺い知れないが、背筋が伸びたその姿は、まるで天にも届く強い信念を彷彿とさせた。
バルコニーに立つルカを含め、私は城を目に焼き付けた。
いままでにも幾度となく遠征を行ってきたのに、どうしてだろう。
なぜか、今回は目と心に焼き付けようと強く思ったのだ。
私が自分の城を見るのは、それが最後になるだなんて、だれも予測しなかった。




