【第二十一話】復讐の終止符
二十一 復讐の終止符
〜 ルカ side 〜
降り注ぐ太陽の光のもとに、舞い踊る軽やかな少女の足取り。
その姿はまるで天使にも似ており、茶色い髪の毛は風を可視化したかのように豊かに揺れている。
全身を包み込む白いワンピースは、まるでこの世に降り立った生を喜ぶかのように、風を十分にはらんで、いまにも舞い上がりそうだった。
その姿は、この泉で幼き頃に見た、エルサにそっくりだった。
私は夢を見ているのだろうか。
もしかして、もうこれは死後の世界なのだろうか。
全身の痛みと出血で朦朧とする頭で、そんなことを考えた。
「っ、ルカ様!?」
私の姿を見た少女の声で、一気に現実へと引き戻される。
「やっぱり! その赤い髪は、ルカ様ですね!」
少女が一目散に私のところへと駆け寄ってくる。
足元に転がる小さな岩や、足裏を刺す草木など気にすることなく、軽やかに飛ぶように。
「っ、大丈夫ですか? お怪我をなさっている」
私たちのもとへと駆けてくる少女が、走りながら声をかけてくる。
ロイに視線で合図して、少女に心配させないように声をかけてもらう。
「ルカなら大丈夫だ! 心配するな! 訓練がちょっとハードだったもんでね」
ロイがわざとらしく明るい口調で少女に向かって、そう言った。
そんな下手くそな言い訳で大丈夫かと思ったが、少女は特に気にするでもなく、さらに私たち近づいてきた。
すぐそこ手で触れられる距離まで来ると、その服装も髪型も、醸し出す雰囲気までもがエルサを彷彿とさせるほど、よく似ていた。
「ルカ様! 私、女王様みたいに見えますか?」
まるで私の心を見透かしたように、少女がそう言うので私は大きく目を見開いた。
「実は、私ルカ様とお会いするの二回目なんです」
少女は照れを含んだ表情を浮かべながら、澄んだ瞳で私のことを見上げて言う。
「女王様の婚礼の日に、祖母にパレードへと連れて行ってもらったんです」
婚礼パレードの日を思い出す。
あの日、私もエルサも、祝福を表す純白の正装に身を包んでいた。
複雑な心境がうごめく日だったと、思い返した今でもそう思う。
「そのとき、生まれて初めて、この目で見た女王様がね、本当に綺麗で厳かで。こんな人がこの世に存在するんだって思いました」
少女が目を輝かしながら、あの日を思い出してそう言うので、私は微笑みながら頷いた。
「どこまでも清らかな佇まいで、強くて優しい眼差しだった!」
はしゃいだ声でそう言う少女の目を真っ直ぐに見つめ返して、私も言葉を返す。
「うん。私も騎士団で初めて姫さまを見たとき、そう思ったよ」
さっきまで声を出すのがやっとだったのに、少女の前に立つと、こんなにも力強く振る舞えている自分に驚く。
少女がさらに一段と目を輝かせて、私に言った。
「そのときに、私、女王様みたいな人になりたい! って強く思ったんです」
もしいま隣にエルサがいて、その言葉を聞いたら、どんな反応をしただろう。
まるで無垢な少女のように頬を赤らめて照れただろうか。
それとも、女王らしく「ありがとう」なんて慈悲に満ちた厳かな口調で、少女の頭を撫でただろうか。
そんなことを考えて、すでに思い出のなかでしかエルサに会えない現実に、私の胸は張り裂けそうになる。
「それでね、もう一つ気が付いたことがあって……」
少女が言いにくそうに、頬を少し赤らめて下を向いたので、どうしたのかと追うように私は顔を覗き込む。
「その女王様の見据える先を辿ると、ルカ様がいた」
婚礼の日、エルサを乗せた馬車を先導するのは私だった。
白馬に跨り、複雑な心境のまま任務をまっとうしていたあの日を思い出す。
「女王様の瞳は、どこか悲しげなのに、満ち足りたような複雑な眼差しだった」
いまとなると、あの日のエルサの心境を想像しただけで、胸が苦しくなる。
国のため、国民のため最善を尽くす女王としての姿。
少女の顔を見ながらも、あの日の光景が私の頭に映像として浮かび上がる。
「それで、なんだかね、その目がね……」
また少女が言いにくそうにして、その顔はよく見ると、少し赤い。
「恋する女の眼差しだったの」
思わず「えっ」と声が出る。
一気にいまここへと意識が戻る。
目の前の少女から出た言葉に驚き、思わずロイの反応までもを窺い見る。
「私も女の子だから、それぐらい私にだって分かる!」
なぜか頷いて微笑むロイの隣で、私の顔はどんどんと熱を帯びていく。
赤くなってはいないかと、手の甲で自分の頬を撫でる。
そんな私のことなんて気にも留めず、少女が一人でキャッキャッと、恋の話題でどんどんと盛り上がっていく。
「そのときに、あぁ女王様はルカ様を愛しているんだなって」
ロイが真隣にいる状況で、照れる気持ちから、私はどう反応して良いか分からない。
そのまま「あはは」とぎこちない笑いを浮かべるしか出来ない、そんな自分の不器用さに心のなかで苦笑する。
「あぁ、誰の目に見ても女王様はルカにゾッコンだったよ」
「えっ」
ロイがそう言うので、思わず真横のロイの顔を見る。
「いつだって、そういうところに疎いよな、ルカは」
知れていたのか、という思いと、知りながらも、ずっと密かに見守ってくれていたロイの心遣いをいま初めて私は知った。
「女王様のルカを見つめる目の熱いことったら。俺から見える景色を、ルカにも見せてやりたいぐらいだったぜ」
「ロイ……」
「ルカが側についてから、女王様の瞳が変わられたんだ」
ロイは少女に話すと言うよりも、明らかに私に向かって言い聞かせるように語った。
「ルカが側についてから、女王様はより強く、より揺るがない、真のある優しさで国の未来を語られるようになった」
ロイの口調が、どんどんと真剣なものへと変わった。
私たちのことを見上げて話を聞いていた少女が、今度はもの悲しげな声で言う。
「でも、自分が本当に愛する人ではなく、いつだって国のため、私たちのために決断して生き続ける女王様が、可哀想にも思った」
その言葉に私も静かに頷いた。
そして、それに気がついてくれている人がたしかに存在していることに、安堵した。
エルサ。
伝わってほしい人には、ちゃんと伝わっていたよ。
ちゃんと知っていてくれた。
今度は、少女が笑って言う。
「ただ、……あんなにも慈悲に満ちた瞳で、相手を見つめる女王様のお姿を目の当たりにしたら、ね。私もいつか、そんな人に出会えたら良いなって」
マセた自分に自覚があるのか、少女はわざとニカッと子どもらしく笑って話題を終わらせようとした。
エルサ。
肉体を持つ限り私たちには限度があるけれど、こうやって私たちの尊い意志はちゃんと受け継がれて、いつまでも生き続けるのだ。
「ルカ様も、もし私が大人になったら相手にしてくださる?」
そう言って少女は思い切り背伸びをして、私の頬に軽くキスをした。
咄嗟の出来事に、私は豆鉄砲を喰らった鳩のようになる。
女は、強い。
そして、こわい。
「さてと、そろそろお家に帰らなきゃ」
そう少女が言ったときだった。
茂みの向こうに、複数人が近づいてくる気配がした。
次第にかすかな足音が聞こえ、遠くで木の枝が不自然に揺れるのを見た。
すかさず私は、小さな声で呼びかける。
「ロイ」
少女を見ていたロイが、私の声に反応してこちらを見る。
「あぁ」
私の鋭い視線の先を辿って、気配の方に気がついたようだった。
「この子を家まで送ってあげてくれないか」
私の声からただことではない緊迫感を感じ取ったのか、ロイも辺りを見回して、気配の先を見た。
「でも、お前の身が……!」
少女に事態を悟られぬよう、私は声を落ち着けて返す。
「私なら、大丈夫。心配するな」
心配そうな目をするロイに、私は胸のポケットに仕舞い込んでいたエクセスの勲章を手に握る。
「ロイ、お願いがある」
私は、それをロイに手渡す。
「城に帰ったら、これをイーリスに渡してくれないか」
「ルカ……!」
「そして、伝えてほしい。『ルカは死ぬために生きたのではない、生きるために生き抜いた』のだと」
こうやって話している間にも、気配は一歩ずつ近づいてきている。
ロイが悔しそうな顔をしながら、エクセスの紋章を握りしめる。
「この子には、まだ人生の、生きる喜びだけを知っていてほしいから」
なんのことか分からず、きょとんと私たちを見上げている少女に目をやってから、ロイにそう言う。
ロイは、エクセスの紋章ごと握りしめた拳を自分の額に押し当て、ギュッと目を閉じた。
それはまるで、なにかを覚悟するような仕草だった。
「……分かった」
ロイが一度大きく息を吸ったかと思うと、静かに答えた。
「ルカとの約束、俺は絶対に忘れない」
目を開いたロイの瞳は、真っ赤に充血していた。
「ありがとう、ロイ」
私たちは軽く包容を交わして、騎士団の敬礼をし合った。
いつだって、そうやって切磋琢磨して数々の試練を共に乗り越えてきた。
大切な同期。
私の赤い髪と、正反対のように青い髪を持った騎士。
ロイ。
私は最後に、少女の右手を取り、甲に口付けをして言った。
「君の未来に、光溢れんことを」
それはある種の、私がこの世に残したい祈りだった。
その言葉を発する私を、まっすぐに憧れる目で見つめる少女の瞳は力強かった。
陽の光を反射してキラキラと輝く純粋な瞳。
その瞳が私に思い出を、また引き出した。
城の図書室で、初めて間近に見たエルサの瞳。
どこまでも力強く優しく、純粋な瞳。
エルサ。
エルサ。
……エルサ。
少女と一緒に泉から歩いて出ていくロイの背中を見送り、ロイと少女の幸せを願った。
これからこの国を支える二人が幸せであると言うことは、ひいては国が平和で豊かであるということだから。
たとえロイと一緒に城を目指したとしても、満身創痍のこの体では、途中で事切れてしまうだろう。
ロイもそう思ったからこそ、私を置いていってくれた。
最後まで、私の生き方を尊重してくれたのだ。
私は、自分に剣を向けてくる輩に立ち向かう。
最後の最後まで、国を守ることしか頭になかった。
目の前の国民を、未来を生きる若者の命を守ることしか頭になかった。
なぜなら、それはエルサを守ることでもあったから。
私は一度目をギュッと瞑り、覚悟を決め、気配の方へと立ち向かう。
茂みから、ゾロゾロと男たちが姿を現す。
「お前か! 父ちゃんを邪魔した奴は!」
先頭には、まだ背も大きくない、幼さをその顔に十分に残した少年が立っていた。
私の姿を見つけるなり、全速力で駆け出してきた。
先ほどから、視界に靄がかかったように、見える範囲が狭まってきている。
太陽の光が反射して、少年の手元がキラリと光る。
短剣。
私に向かって一直線に駆け寄ってくる少年に対して、私はしゃがみ、全身で受け止めるように抱く。
その瞬間、少年が胸元に飛び込んできた衝撃と共に、腹部に鋭い痛みが走る。
ザクリと短剣が私の腹部に浅く刺さっていた。
じわじわと鈍い痛みが広がっていく。
「いいか、少年。よく聞くんだ」
私は、動揺している少年を全身で優しく抱きしめたまま、言う。
「敵の言うことなんて、聞くもんか!」
私は、短剣を握る少年の手に、自分のそれを重ねた。
まだ柔らかく、しっとりとした少年の手は小刻みに震えている。
少年は、いま自分が起こした、取り返しのつかない現実に対する恐怖心を振り払おうと、私の耳元で叫ぶ。
「離せ!」
少年が力一杯、私の体を突っぱねようとする。私はそれを両腕に力を入れて抑える。
「よく聞いて」
私は少年の耳に囁くように語りかける。
「君の復讐はここで終わる。いや、終わらせなければならない」
抱き合った体勢で、私は静かに少年の耳にそう告げる。
「うるさい! 黙れ! なにも聞かないぞ!」
少年の声が鼻にかかり、いまにも泣き出そうな声になる。まるで、転んだときに泣くのを精一杯我慢するかのような、そんな幼さに私は胸が熱くなった。
君の未来は、明るいものでないといけないんだ。
「この言葉の意味を、残りの人生で考えてみてほしい」
「聞かないってば!」
もはや駄々をこねる小さな子と化した少年の小さな頭を、手でそっと包み込む。
「私は死ぬ。君は生きる。どちらも同じこと」
少年が私を力一杯、突き放した。私の両腕には、もう力が入らない。
体を離し、間近で目に映った少年の表情には、畏怖のようなものが浮かんでいた。
少年が私の体から離れたのと同時に、集団の先頭に立って様子を見ていた男が剣を振りかざす。
私はすかさず、別の男の懐から剣を抜き取り、それに立ち向かった。
火事場の馬鹿力、最後の盛り返しだろうか。なんとか立ち上がる。
剣同士が激しくぶつかり合い、甲高い金属音があたりに響く。
腹部に短剣を刺したまま、私は立ち上がる。
剣を持った右手を宙に高く上げる。
その男の頭を目掛けて切り付けようとしたきだった。
「ルカ!」
ロイの声だ。
その声に安堵し、私は笑った。
ロイの方を見ながら、全身から力が抜けて膝から崩れ落ちる瞬間だった。
その瞬間には、もうすでに四方八方から男たちの剣が私の体を貫いていた。
「騎士団の援軍を連れて助けに来た!」
あぁ、これで、あとは大丈夫だ。
我が国を任せたぞ。
ロイ。
私は剣を握り右手を高く挙げた格好のまま、真後ろへと倒れていく。
まるで、すべてがまるでコマ送りのようにスロー再生で遅くなったかのような、不思議な感覚だった。
地面に背中から触れて叩きつけられる衝撃を思ったとき、なにかに優しく包まれる感触があった。
ジャボン!
水の感触が全身に広がる。
どうやら私は、真後ろにあった泉のなかへと沈んだようだ。
エルサの肉体が眠る、同じ泉に。
最後に仰ぎ見た空は、どこまでも高く、青かった。




