【第二十二話】光となった二人
二十二 光となった二人
〜 ルカ side 〜
貴女がいるから、私は飛べる。
私がいるから、貴女は燃える。
二人で、より高くより遠く。
……これは夢だろうか?
いや、違う。
あの日、エルサと石畳に隣同士に座りながら街を見下ろしながら、交わした会話だ。
私たちが高く舞い上がれば舞い上がるほど、下から見上げる人たちからは、小さく見えてしまう。時間の流れとともに、そのうちに見えなくなってしまう。すると、人は忘れてしまう。
そんなもの。すべて。
私たちが風になろうと、炎に燃えようと、上昇気流になろうとも、人々はすぐに忘れ去ってしまう。
「ルカ、私ひとつ気が付いたことがある」
「なんですか? エルサ」
「私たち、人として宙に還るだけだってこと」
私はその意味を理解しようと、エルサをさらに見つめる。
「人として、ですか」
エルサは遠い目をしている。簡単には答えの出そうにない物事を考えるときに、よくする目。
「変ね。百年後には立場や称号に関わらず、誰もが骨になっていて、人として宙に還るだけなのに。肉体を持つって大変だった。でも、肉体があったから味わえたことばかりだった。いま、この瞬間、ここに存在している感覚。貴女と触れ合った肌。それらすべてが私の記憶として、経験として宙に持って帰る。それらすべてに意味があった。私が私に生まれたからこそ、こうして貴女に巡り会えた」
エルサが私の手を握る。
二人の互いの手の感触が、同時に花開く。
たしかに、生きている温もりを感じる。
しっかりと、血の巡りを感じる。
エルサが私の手の甲を撫でながら、指を絡み合わせて言う。
「こんなにも透き通るほど白く、艶やかで滑らかな手。こうやって、スラリと細長い指をたがいに絡められる」
私は、そんな言葉に思わず笑う。
「なんだか、あえて言葉にすると少しいやらしいですね」
「そう? 貴女と体を重ねたときに吸い付き合う素肌の……」
「やめてください」素早く鋭い言葉とは裏腹に、少し俯いた私の顔が熱を持った。
「私たちが生きた証は、ちゃんと残るでしょうか」
私は真剣な声色で、俯いたまま一人呟くようにそう言う。
そんな私に、エルサがすかさずに言う。
「私たちがいたから、いま、この国がある」
その言葉に私は何か大切なことを思い出したように、ハッとエルサの顔を見る。
こちらを向いたエルサとまっすぐ目が合う。
目が合ったまま、エルサが付け加える。
「私たち二人が、守ったのよ。この国を」
私は笑う。
風が吹き抜けて、爽やかに私たちの髪を靡かせた。
髪の毛のその一本一本が、サラサラと宙に舞う。
日を浴びた木の葉が揺れて光が反射する。それらすべてが、まるでこの世の生を祝福するかのようだ。
そんな風の心地よさを全身で私は感じていると、エルサがさらに言う。
「これからも、人々は、私たちのことを裏切り者だとか、謀者だとか、口々に言うでしょう」
それらの言葉に対して、私もエルサの表情も感情も一切曇らない。
「でも、私たちは、二人で成し遂げたことすべてをちゃんと知っている。そして、天も知っている。それがすべて」
エルサがすべて言い終わると、私を見ながら明るく笑った。
その軽い笑い声が、風に乗って街の方へと吹き抜けていく。
「やっと、自由になれた気がする」
エルサが私の右肩にもたれかかって、安らいだ声で言う。
「はい」
エルサの髪を愛おしく撫でながら、私は答える。
いま言っておかないと、と思った。
だから、私はすぐに口にする。
「エルサ。心から愛しています」
エルサの、図書部屋で出会った日に魅了された、あの瞳が、すぐそこにある。
その瞳が、しっかりと私を捉えている。
そして、エルサの口が開かれる。
「ありがとう、ルカ。私も、心から愛してる」
エルサの透き通った心地の良い声が、すぐ側で私の鼓膜を震わせる。
どちらからともなく、それを合図に二人の距離が縮まり、一つに溶け合う。
しっかりと手を握り合って、二人で確かめ合う。
眼下に広がる街を、そのもっと遠くにある平原を、愛おしく二人肩を並べて見つめる。
高く舞い上がり、地上からは姿が目立って見えるとき。
人々は下から「あれはなんだ」と指をさす。
「あれは鳥だ」「いや、あれは戦艦だ」「なにを言う、あれは星に違いない」
そこから、あれは人だった、鳥だった、石だったと後世に伝えられていく。
真実は誰も口にできないまま、自分の考えだけを伝えようとする。
そうして真実は曲げられていく。
私たちだけが、私たちを知っている。
悲しいけれど、寂しいけれど、それで十分。
きっと、それが、すべて。
夢を見ている感覚に陥りながら、私の肉体は右手に持った剣に導かれるようにして、泉の底へとゆっくり身が沈んでゆく。
まるで、眠りにつく直前のように。意識がユラユラとまどろむ。
身を刺すように傷へと染みるはずの冷たい水が、なぜか人肌のように暖かく包み込んでくれる。
出血と痛みで意識が朦朧としているからなのか、それとも。
淡い光が差し込む水中で静かに目を閉じる。
瞳の裏は真っ暗なはずなのに、まぶたの裏には暖かい光が広がっていた。柔らかい卵色のような、優しい色。それを感じているうちに、心身が安堵感に包まれる。
これは、朧げな私の夢なのか、それとも。
やっと重力から解放された肉体がほぐれてゆく。
私の身体から流れる血が、まるで水槽に入れた絵の具のように泉に溶けてゆく。その螺旋を描くようにして出来上がった筋は、私がこの世を生き抜いた軌跡だ。どのような道筋を辿ってゆくのか、まったく予想をすることもできず、不規則に流れてゆく。
最後になったとき、やっと後から振り返られる。自分だけの旅路。
私にしか歩むことのできなかった道。
どんなに平凡な日々も、穏やかな毎日も、激しい日々も。
楽しいも、嬉しいも、悲しいも、寂しいも、愛するも。
どれもこれもが、私にしか経験できなかった。
水のなかで息ができない苦しさよりも、安堵が全身を駆け巡る。
やっと、また逢える貴女に。ちゃんと私は、お迎えに参りました。
エルサ。
水に風が溶け込んでいく。いつしかイーリスが語っていた言葉。
「自分で自分を認めるにはなぁ、とことん自分の気持ちに従って、光に向かって命を燃やすしかない。自分が信じる道を進んで、それで失敗や成功を繰り返して、苦いも甘いもを味わって。『あぁ〜、疲れたけど楽しかった、なんとか生き抜いたぞ!』って、晴々しく自分にしか出来なかった経験を抱えて、宙に還ることだよ。そのときにはもう、俺たちに姿や形なんて関係ない。ただ単に、人として宙に還るだけさ」
みんな、同じことを言うと思っていたが、不思議といまなら分かる気がした。
「貴方の花を抱いて、私は今日、風になります」
エルサがそう言う。私は戸惑って、意味を問う。
「……どういう意味でしょうか」
……また別の夢だ。いや、走馬灯とも言うべきか。
私が経験した場面が、まるでもう一度体験しているかのように、脳内で映像が巻き起こる。
「さぁ、私にも分からない。でも、キチンとルカに伝えておこうと思って」
「私の花は、エルサが咲かせてくれたのです。ひたすらに過去を生きていた私に気づかせ、俯いていた顔を引き上げて下さったのはエルサ、貴女です。だから私は貴女に感謝をしている。心から」
エルサが眼下に広がる、遠い景色を見つめる。
「以前、ルカは『花が咲いたと思ったら、またすぐに散ってしまう。その繰り返しに意味はあるのでしょうか』と私に言った。こうして、いま思う」
エルサが、私の手に自分のそれを重ねる。
その感触が、私の手に蘇る。
ドキッと心臓が高鳴る。
エルサが喋り続ける。
「生きる意味だなんて大袈裟なものでなくてもいい。だけど、せっかく自分で『私』として、この世を選んで生まれてきたのだから、どうせなら楽しまなくちゃって」
私は自分が答えた言葉たちを、自分で聞く。
「いまなら、その通りだと断言できる気がします。でも、以前の私には言葉で紡ぐのは簡単でも、実際には難しいと思い込んでいました」
エルサが答えた言葉たちを、私はしっかりと聞く。
「もちろん。私も同じ。もし簡単に成せるのであれば、生まれてきた意味がない。どこまでも、自分で探すしかない。なぜなら、それは自分にしか見つけられないから。いまならそれらすべてが分かる気がする」
まっすぐそう語るエルサの顔が神々しい。
陽の傾き具合から、私は時間が差し迫っていることを思い出す。
「ルカ。私は、行かなくてはいけない。それが私の使命だから。私が選んだ運命だから」
「エルサ。私も、行かなくてはいけません。それが私の使命ですから」
私はエルサの手をしっかりと握りなおして、力強く言う。
「私が選んだ運命。エルサをどこまでも守り、愛し抜くこと」
二人で遠くまで広がる景色を見つめながら、まるで誓いのようにそう言う。
「ルカ。私は貴女と約束がしたい」
エルサがこちらをまっすぐに見つめる。
「なんでしょう」
私もその瞳に応えるように向き直る。
「また必ず逢いましょう。これは私たちの約束」
差し出されたエルサの小指に、私は自分の小指をしっかりと絡める。
「分かりました、約束です。必ず逢いましょう」
指を絡めたまま、すぐそこにある互いの額同士をくっつける。
目を閉じる。体温が交わる。
「どれだけ時が経とうと、何度生まれ変わろうと、ルカ、ちゃんと覚えておいてね。忘れてしまったら思い出して」
「決して、私は忘れません。エルサ、必ず、いつの時代でも貴女を探して逢いにゆきます」
エルサが思わずフッと吹き出す。
「まぁ、頼もしいこと。もうお城や馬舎で待つのは嫌だから、ちゃんと早く迎えにきてね。約束」
エルサの吐息を頬に感じながら、いま感じている温もりを私は決して忘れないだろうと思った。
私が経験したこと。私たちが交わした言葉。抱いた感情。
それらすべて、私は決して忘れない。
私が私でなければ歩めなかった道たちを。
「はい。約束です」
エルサが額を少し離して、私の目を覗き込んでくる。
「次は、もっと長い時間、もっと一緒に色んな経験をしましょうね」
私もそれに応えるように、エルサの瞳を覗き込む。
その瞳に宿る、たしかな光が私は大好きだ。
「はい。姿形が変わろうと、魂はきっと覚えていますから」
私たちは、希望を語り合った唇を重ね合わせる。
柔らかく、しっとりとした唇の感触。
心がドキドキと高鳴る感覚。
「では、行きましょう。ルカ」
決意を表すように、信念を曲げることのないように、私たちはギュッとお互いの手を握り合った。
「はい。参りましょう。エルサと、どこまでも共に」
本当は、私は言ってしまいたくなかった。
それらの言葉を交わすとき、すべては終わってしまうと思ったから。
約束は、終止符のように思えたから。
でも、貴女がくれた言葉を思い出していた。
「別れるから、また出逢える」
そうだ、花は散ってしまう。
でも、それはまた咲くために。
本当にそうなのだろうか、と以前は疑っていた。
でも、いま私はエルサ、貴女のことを心から信じている。
だから、貴女の私にくれた言葉を信じている。
私たちは、きっと、また逢える。
心からそう思ったとき、柔らかい光のなかで私に向かって両手を広げる貴女の姿を見た。
エルサ!
私はその胸に飛び込もうと、急ぐ。
身体を動かそうとするが、もう指先一本ですら、一ミリも私の肉体はもう動かない。
エルサ!
私の声にならない心の叫びが、自分の耳にこだまする。
たがいの名前も身分もまだ知らず、この泉で、ただ互いの姿を目にした幼きころ。姫として、図書部屋にしゃがんでいた貴女。二人で風になってルークとチェスとともに駆け抜けた、泉までの道。
そこで見た、まるで光の化身のような貴女。
エクセスの授賞式の際に、壇上から見た真っ直ぐに差し込んだ朝陽。
婚礼のときの真っ白な正装に身を包んだ寂しげ表女をしていた貴女。
透き通るような柔らかな素肌。
なめらかな唇。王女としての厳かな姿。
バルコニーに佇む貴女。
私の前で見せた無邪気な少女のような姿。思い出の時系列が、互い違いに行ったり来たり。
でも、ちゃんとすべて私は覚えている。
覚えています。こうして思い返せば、私はいつでも貴女のことを見ていた。
私が見た景色の中心には、いつだって貴女の姿がある。そんなふうに思い返していると、いままでに見たことのない厳かな貴女がそこにいる。微笑みを湛えながら、私のことを待っている。
泉に沈んで行くのと同じ速度で、ゆっくりと貴女に近づいていく。
眩しい光のなかに、エルサがいる。
あぁ、神々しい。
そうか、そうなのか。良かった。
もう手が触れられそうな、すぐそこまで近づいたとき、私は思わず騎士団の敬礼をした。
こんなときでも、かつての習慣が出てしまう。
「フフッ。ルカらしい。こっちでも、相変わらず真面目なのね」
両手を広げた貴女に、私は包み込むように抱きしめられる。
「エルサ」
二人のすべてが光に包まれる。
「さぁ、お役目、お疲れさま」
いま、こんなにも泣きたい気持ちなのに、涙を流すということがもう出来ない。そうか、私はついに肉体を離れたようだ。私がこの世界で最後に流した涙は、泉に溶け込んだのだろう。
「愛しています」
どちらの声すらも分からない、その言葉が放たれたとき。その瞬間、泉は光で溢れた。一筋の光が神々と国を照らした。その光を目にした人々が、口々に伝え合った。
やがて、それは世代を超えて語り継がれた。
親から子へ、子から孫へ。
後世の代々に受け継がれる内に伝説となり、やがて神話となった。
命をかけて国を愛で守った、二人の物語。
女王と騎士の愛の物語。
女神とエクセスの神話。
その神話が人々の心を救い、いまでもなお照らす光の道標となっている。
その二人の光に包まれ守られた国では、多くの人々が生を輝かしている。




