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歴史上初の女性騎士と、愛で結ばれた姫の物語  作者: 風見 咲良


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【第十四話】ルネサンス


十四 ルネサンス


 〜 ルカ side 〜

 

 部屋の窓から、雄大な平原を見る。


きれいに生え揃った草がどこまでも広がっている。夕陽があたり一面を染め上げ、まるでオレンジ色の泉のようだった。風が吹けば、湖面が揺れるように、風の足跡が見て取れるような。そんな広大な景色を見ながら、私は物思いに耽っていた。


 女王様を市場で見つけたあの日、私は城へと帰ることを拒んだ。女王様のお側からもう決して離れまいと、覚悟を決めたあの日から、私は他人にどう思われようと、自分の信念を貫くと、心に決めていたから。


「爺や、お願いがあります」


私の静かな声色で、すでに事を察したであろう爺やがゆっくりと頷いた。


「ルカ・エクセスは他国の地で身を投げて死んだ、と城に報告してくれませんか」


生涯を国家に捧げ、城で勤め上げた爺やに、そんな虚偽の報告をお願いするなど、こんなにも不名誉に当たることはない。だが、私はそれらを承知の上で、頭を下げた。


「姫さまと、非常によく似ておられる」


思いもよらず、笑いを含んだ明るい声色が私の頭上に届いた。


「顔をお上げください、ルカ様」


その優しい声に促されるまま、私がゆっくりと顔をあげると、そこにはイタズラを企てる少年のような表情をした爺やがいた。ワクワクと、若干の罪悪感が入り混じったような。


「この爺やは、城に忠誠を誓って仕えていたのではありません。私は姫さまに忠誠を誓い、生涯をかけてお仕えしていたのです」


遠くを見つめるような目をしながら、爺やが続ける。


「それに、もはや私は城から退職した身です。国家のためではなく、姫さまだけに仕えることを許された身であります。姫さまのために覚悟なさった、ルカさまのその立派な御英断。それらに私がお力添えできるのであれば、喜んでこの身を捧げましょう」


この人の愛の深さを、私は分かっていなかったのだと、痛感した。


 そこからは、爺やがうまく報告してくれたのだと思う。

私の遺体がないことも、崖から身を投げて死んだということであれば、合点がいく。


それに、謀者の容疑がかけられていた私だ。他国への遠征にて、自ら身を投げたなどと発表されれば、所詮は感情的になる女に過ぎなかったのだと、揶揄する者も出るだろう。


他にどんな架空の理由を並べても、城に帰らなかったという事実だけで、謀の容疑がかかっていた私を、国民は「やはり謀者だった」と憶測で決めつけるだろう。私はそれで構わない。


どんな噂を立てられようと、他人にどう評価されようと、私は私が成すことを知っている。

そして、私が最も愛する人も、それを知っている。


 いまの私は、それで十分に満たされていた。むしろそれ以外に、なにも手にしたいものなどなかった。


 不思議なものだ。

以前は人からどう見られるかを気にして、エクセスの称号に縋り付いていたのに。


自分と、自分が愛する人だけが、真実を知っていれば良い。

私はいつしか、そう考えるようになっていた。


コンコンコン。


物思いに耽っていた景色から、一気に部屋の扉へと意識が引き戻される。


「ルカ様。お食事のご用意ができました」


城にいた頃のように、爺やが扉の向こうで呼びかけてくれる。


「ありがとう、すぐ参ります」


そう返事をしながら、この家に女王様と二人で帰ってきた日にかけられた爺や言葉を思い出す。


「ルカ様。女王様の護衛を、ここでもどうかよろしく頼みましたぞ」


爺やからそう言われ、私もこの家で暮らすこととなった。


せっかく城での長年の任を解かれたのだから、少しは爺やにゆっくりしてほしいと思い、なにか私が手伝えることはないかと尋ねた。だが、爺やは「もはや、みな家族のようなものですから。無償の愛として受け取ってください」と言って、聞かなかった。


 私はルークの世話などを含め、自分の身の回りのことや女王様のお世話などを行い、さらには最も重要な女王様の護衛としての役目を果たそうと日々、鍛錬を怠らないよう気を引き締めて日々を過ごした。


 そんなある夜、四人で机を囲み、食事をとっていると、真正面に座った爺やが話し出した。


「明日、街へと買い出しに行って参ります」


以前は、未亡人の装いをした女王様が、街へと買い足しに行っていた。もちろん、真の目的は情報収集だったが。街や市場で買い物をするふりをして聞き耳を立て、なにか我が国にとって有益となる情報はないかを探っていらっしゃったのだ。


 だが、ルークに女王様を乗せた一件を目撃した街の者がいる可能性が拭いきれない手前、もはやそれすら出来なくなっていた。私たちのどちらかであっても、どうしても顔がさしてしまう。そのため、あの一件以降は、それを爺や夫婦たちがすることになっていた。


「ただ、二人とも、もうこの歳ですので、帰宅は翌日になるかと……」


街の市場で食糧を買い込み、さらには日帰りで街から帰ってこようとすると、足元の悪い道を永遠と馬車に乗り続けることになり、爺やたちの年齢では堪えるだろう。心配そうに見つめると、爺やが続ける。


「なぁに、数日前からちゃんと馬車を手配しておるので、ご心配は無用です。女王様のことも、ルカ様が側に居られれば、私たちも心から安心して行けますので」


私の心配を振り払うかのように、爺やが続けて言う。


「ちょうどここと街の中間地点にあたる広い荒野に、ポツンと一軒家がありますでしょう。その家の持ち主とは、私が城に支えていた時からの知り合いでして。あの辺り一帯の農地を管理しながら、ずっと城へと農作物を卸してくれていたのですが、昨今の悪天候でめっきり農作物がダメになってしまって、参っている様子だと聞きました」


「では、明日の晩はそこに泊まられるのですね」


それならまだ安心できると思い、穏やかな声が私の口から溢れ出た。


「はい。久しぶりに、色々と積もる話をもして参ります」


「どうか、私からもよろしくお伝えください」


爺やと女王様のそんな王宮的なやり取りを久しぶりに耳にして、まるで城にいた頃のような錯覚に陥る。


「女王様から直々にそんなお言葉を頂いただなんて知ると、農夫はさぞ恐縮されるでしょうな」


軽快な口調とともに、ハッハッハッと爺やが笑った。


こんなにも饒舌に話を続ける爺やを、私は初めて見たかもしれない。

この無防備とも言える状況で女王様をどうにか自分で守るため、ずっと気を張っていたのだろう。私が護衛としてここに居ることで、爺やが束の間の羽伸ばしが出来たらいいなと思った。


「ルカ様。女王様を頼みました」


「はい。もちろんです。この身に変えてもお守りいたします」


私の騎士団特有の敬礼に対して、爺やが深く頭を下げた。


◇◇◇


 爽やかな風が吹く朝だった。


穏やかな天候と雲一つない澄み渡った青空が眩しく、風にソヨソヨと気持ち良さげに揺れるこの葉たちは太陽の光を反射させて、景色はどこまでも透き通って見えた。


「それでは、行って参ります」


外で待機している御者に聞こえないよう、爺やが極めて静かな声で私たちに言う。婆やの手を取り、玄関の扉の鍵がガチャリと外側から閉められた音によって、家のなかに静寂が訪れる。


馬車へと向かうかすかな足音と、御者と短い言葉を交わす声が聞こえたと思ったら、次の瞬間にはもう重たい馬車を引きずる車輪の音が響き、その音は次第に遠くなって、再び静寂が訪れた。


 カーテンがかかった二階の窓の隙間から、辺りに誰の姿もないことを何度も確認し、静かに一息つく。


爺や夫妻が出かけた以上、この家には誰もいないことになっている。そのため、これから爺や夫婦が帰宅するまで、一切の物音を立てず、誰が訪れても対応してはならない。


「無事、発ちましたか」


カーテンの隙間から外の景色を確認していた私に、私のすぐ隣、床に座る女王様が私を見上げて囁くような声で聞いてくる。


「はい。無事に」


私も極力、小さな声で答えて、窓の外から姿が映らないよう、女王様のすぐ隣の床へと腰を下ろす。囁くような小さな声同士での会話は聞こえにくいため、自然と二人の距離が近づく。


 外からは絶対に見えない場所、二階の窓の真下に二人で肩を寄せて座る。

あらためて、こんな狭い空間に女王様と二人きりになった事実にあらためて意識が行き、私は緊張し初めていた。


どこまでも続きそうな静寂が、それをさらに助長して、私は心臓の音で自分の体が揺れるのを感じた。静かな部屋のなかで、私の心臓の音だけがやたらと音を立て、うるさい。


「……ルカ、ずっと言いたかったんだけど」


そんな静寂を破るかのように、女王様が私にだけ聞こえる静かな声で言う。


「……なんでしょう?」


女王様が床を見つめたまま、少し言いにくそうに、心なしか恥ずかしそうに話を続ける。


「今後、この辺りで息を潜めるにしても『女王様』なんて呼び名では、仮に誰かの耳に入ったときに警戒されやすいでしょう」


私は次にどんな言葉が飛び出してくるのだろうかと予想を巡らせながら、返事をする。


「……はい」


「だから……エルサと呼んでください」


心臓がまた大きな音を立てた。女王様ではなく、名前を呼び捨てに?


私の戸惑った様子を感じ取ったのだろう、女王様が続ける。


「これは命令です」


鋭い視線が横から私の瞳を覗き込んでいた。私は思わず、背筋を伸ばす。


「ふふっ、冗談よ」


女王様がすぐそばで笑う。


「……エルサ」


私は、勇気を振り絞ってそう言った。

すると、エルサが何かを噛み締めるように頷いた。


そして、ゆっくりとエルサの右手が、私の左手に触れた。

私はその右手を、自分の左手で大切に包み込んだ。


締め切った部屋がやけに暑く感じる。

二人の息遣いだけが、部屋の空気を動かしていた。


「ルカの透き通った声で真っ直ぐにそう呼ばれると、やっと自分の名前がこの世で意味を持った気がする」


触れ合った手に全意識がいってしまい、エルサの言葉への回答が思い付けず、照れ隠しとして少し論点がズレた回答が口からこぼれ落ちる。


「呼び捨てにするだなんて、慣れるのにまだまだ時間がかかりそうです」


「でも、ずっと、そう呼んで欲しかった。ルカにだけは」


そう言いながら、エルサの右手に力が入り、指を絡め合って握る形になる。

私はどんな表情をしたら良いのか分からず、目を見開いてエルサを見た。


 次第にエルサが、ゆっくりと私の左肩に頭を預けてくる。体温を含んだ柔らかな髪が私の頬に触れ、私は思わずその頭を右手で包み込み、ゆっくりと撫でた。


「不思議ね。窮屈な状況のはずなのに、なぜか解放されているように感じる」


エルサが言う。


 城では様々な思惑を持った人間が、いろんな話を持ちかけて押し寄せてくる。それらに翻弄されないよう、自分の軸をしっかりと持ち続けることがいかに心労が多いことであるか、エルサの言葉に私も思い返していた。


「ねぇ、ルカ」


エルサの声が、私の左耳のすぐそばで生まれる。


「もし、生まれ変わったら、なにになりたい?」


質問の意図が分からず、表情を伺おうと顔を覗き込む。間近で目が合う。おたがいの息遣いすらも部屋に響く静寂のなかで、五感の神経が研ぎ澄まされる。


「人間、ですかね」


プッ、とエルサが吹き出して、すぐに口元を手で抑える。音を立てないよう必死に笑いを堪えているからか、目尻には涙が浮かび始めている。


「ちがう、もっとこう、次は男性に生まれてみたいとか、そんなこと」


笑いを含んだ声でそう言うので、私もおかしくなって、笑いを堪える。お互いに息が整ったタイミングで、静かに私は言う。


「……以前は、ずっとそんなことばかり考えてました。もしも男性に生まれていたら、とか。もしも王族に生まれていたら、とか」


エルサが相槌の意味を込めて、ゆっくりと頷く。


「でも、不思議ですね。いまは一切そんなことを考えなくなりました。特に、貴女が亡くなったと聞いてからは」


エルサの瞳が揺れたのを視線の端で感じ取った。私は、話を続ける。


「もちろん、肉体がある以上、騎士団に在籍してからは男性の方が筋力や体格も、やはり女性より優れていると実感することばかりでした。悔しさを覚えたことも一度では足りません。でも、もし私が女性でなければ、貴女と出会わなかったかもしれない」


エルサの親指が私の手の甲を優しく撫でるのを感じながら、私は話を続ける。


「もし出会っていても、いまこの瞬間に、こんな会話を交わすこともなかったかもしれない。そう考えると、私は『私に生まれて良かった』と、そう思います。どうしても認められなかった自分自身のことを、ずっと認められるようになったというか。女性に生まれたからこそ、こうしてエルサに出会えた」


真っ直ぐに捉えたエルサの瞳が、溢れんばかりの涙で揺れ動いている。


「嬉しい。ルカの口から、そんな言葉を聞けたことが、なによりも私は嬉しい」


こんな時間がずっと続けばいいと願った。こうして、自分でも知らなかった自分を知っていって、そんな自分を貴女にも知ってほしいと願って、それ以上に貴女のことをもっと知りたいと願う瞬間が。


「エルサは、もし生まれ変わったら、なにになりたいのですか?」


まだ名前で呼ぶのに慣れないためか、ぎこちない聞き方になってしまった。少しの間があってから、口が開かれる。


「……平民かな」


「ただの、平民ですか?」


「うん。物心がつく頃から、私はずっと城の窓から街を見ていた。生まれてからずっと、私は不自由で、窮屈で、そして退屈だった。なんでも手にしているようで、実際にはなにもない。人々は私を羨んだけど、私は人々を羨んだ。思い切り、街を駆け回りたかった。活気のある市場を行き交う大人も、自由に草原を駆け回る子どもたちも、すべてが羨ましかった。なんて自由なんだろうって」


そう言いながら、エルサが苦しそうに笑う。


「そんなこと、絶対に言えるわけがないけれど。ひとたび私が言って仕舞えば、国民から非難の嵐に遭うでしょうね。これほどまでに生活が苦しくなっているなか、すべてを与えられている者がなにを言うかと」


私はなにも言えなかった。どれも、エルサに出会う前に私が思っていたようなこと、そのままだったから。エルサが続ける。


「でも、やはり『正しい』姿で居続けることは、苦痛を伴う。なぜなら、自分を曲げて、魂の叫びに歯向かうことだから。女王としての立場であれば、そんな責任は当然だろうと人々は言う。でも、私だって一人の女の子であり、一人の女性。そう口々に言う人の人生が一度きりであるように、私にとっても人生は一度きり。私は精一杯生きているけれど、どんな生き方が、人として果たして『正しい』のかは、いまだになにも分からない」


魂の叫びには向かい、自分を曲げ続けること。それらの言葉が頭から離れなかった。


「だから、いまも、こうして迷っている」


エルサが私の瞳を覗き込む。その瞳が、私の目と唇を行ったり来たりする。


「迷っている、とは?」


「ルカ。貴女に、愛していると伝えたこと」


私は、エルサの唇に、自分のそれを押し当てた。


私の想いが余すことなく、ちゃんとすべて伝わるようにと願いを込めながら、優しく。


「貴女が信じる『正しさ』を示せばいいのではないでしょうか」


再び離れた顔に、驚いた表情を浮かばせたエルサを見ながら、私は続ける。


「エルサ、よく聞いてください。私は、この心に抱く感情が、間違っているとは到底思えません。なぜなら、貴女を想うとき、なによりも尊く、清らかな気持ちになるからです」


エルサが答えを求めるように、私の瞳を見続けている。


「貴女が亡くなったと聞かされたとき、私はもう生きていけないとすら思いました」


エルサの表情が、苦しいものに変わる。


「でも、生きていかねばならないとも思いました。貴女が私に残してくださったものを、この世で生き続けさせるために。ただ、そんな綺麗ごとを考えても、後悔ばかりが頭を埋め尽くしました」


まるで喉の奥が締め付けられるような感覚になり、声が震え始めた。必死に堪えながら、私は続ける。


「なぜ、きちんと伝えなかったのだろうかと。どうして自分を突き動かす魂の声に、背を向け続けたのか。この命は一度きりなのに、せっかく貴女と巡り会えた今世を、どうして意味あるものにしなかったのか、と。何度も、何度も思いました」


エルサが、まるで同じ気持ちに浸るかのように、何度もゆっくりと頷く。


「そして、そのとき私は自分の心に誓ったのです。もし、もう一度生まれ変わることがあれば、そのときは絶対に、自分の魂の声には背かないと」


私はエルサの両肩を掴んだ。体ごと真っ正面から向き合う形になる。


「エルサ。私たちはあの日、たがいに一度、死んだのです」


瞳をまっすぐに見つめ合う。


「貴女が死んだ者として生きる決心をしたその日、私がそれを聞いたあの日」


堪えきれず、ついに私の瞳から、涙がこぼれ落ちる。


「もう会えないのだと打ちひしがれた。だけれど、こうしてまた生きて貴女に会えた。私に、いや『私たち』には、生きながらにもう一度生まれ変わるというチャンスが巡ってきた。だから、私はもう決して迷いません」


エルサの瞳にも、湧き出た涙が泉のように揺れ動いている。それを見ながら、私は言う。


「私は、貴女を愛しています。エルサ」


その言葉にエルサが目を瞑った瞬間、両目から一雫ずつ大きな涙が流れた。


エルサの頬を伝うそれらを、私は指で拭う。


「心から、愛しています」


泣き声を押し殺しながら、エルサが答える。


「ルカ。私も、愛しています。心から」


その言葉とともに開かれたエルサの目は、以前よりもずっと澄み渡り、窓の隙間から差し込んだ光に反射して、どこまでも輝いていた。


私たちは、時間すらも忘れるほど、力の限りに抱き合った。


◇◇◇


「ルカ、背中を拭いてくれる?」


いつもは婆やに流してもらっているの、お城にいるときはメイドたちがしてくれていたから、自分でするのは落ち着かなくて。照れ隠しのためか、やたらと矢継ぎ早に言うエルサに従って、私は水が入った桶に布切れを浸す。


 二人で泣きながらひとしきり抱き合った後、陽が暮れてきたのを合図に、私たちは食事を摂り、一日の終わりの儀式でもある入浴をしようとしていた。入浴と言っても、今日は火を炊くことができないため、水に浸した布で体を拭き取るだけなのだが。


 自分以外の裸体を目にするのは、久しい。


騎士団でも唯一の女性であるという理由から、いつも個室の浴場を一人きりで使用していた。


エルサに呼ばれて、背中を目にした瞬間に『陶器のような肌』とはよく言ったものだなと思った。自分よりも華奢で白く透明な肌をした背中が目の前にあった。


 たっぷりと水を染み込ませた布で、傷つけないよう優しく擦る。

自分とは異なる、豊かな長い髪の扱いに戸惑いながらも、私の表情が窺い知られない背中で良かったと思った。私がカチコチに緊張している様子を、エルサに悟られずに済むことに安堵していたのだ。


「婆やと全然、違う」


フフッ、と笑いながらエルサが言う。


「いつも婆やは、ゴシゴシと力いっぱい拭くものだから」


目の前に広がった白い背中に、少しでも力を入れて擦ろうものなら、赤く変化してしまう。それを目の当たりにして、私はより一層力の加減を調整して、丁寧に擦っているところだった。


「まるで、ルカの優しい繊細さが伝わってくるよう」


そんなふうに言われて、私の緊張はさらに高まってしまったが、エルサが喜んでいるようだったので私も嬉しくなった。


 乾いた布で優しく拭きあげていると、今度はエルサが、私がやる番だと意気込んで、その布を掴み取り、こちらに向き直った。私は反射的に視線をグッと上げ、目の前に広がるエルサの裸体を見ないようにする。


「恥ずかしいの?」


意地悪な意図を込めた声色で、エルサがそう言うので。私はエルサの目を覚悟を決めて見る。

先ほど私から半ば奪い取るようにした布で胸元は隠れていることを確認して、私は言う。


「私は、自分で出来ますから」


そう断ったにも関わらず、エルサは一切聞かない。好奇心に満ち溢れたような目で、私を見つめている。こうなった以上、もはや「命令です」との一言が出れば、どっちみち私は従わなければならないだろう。私は観念し、仕方なく上半身だけ服を脱いだ。


 騎士団の制服や行動服、さらには甲冑に身を包むときさながら、私はいつも胸をサラシのようにぐるぐると包帯で当てて固定しているので、完全に裸になったわけではない。私にとっては、それが唯一の救いだった。まだ恥ずかしいのだ。


向き合ったエルサの視線が、すぐさま私の腹部に移る。


「お腹のキズ、痕が残ってしまっている」悲しい表情を浮かべ、ポツリとそう言う。


騎士団の実戦で負傷したキズ。エルサが手当てしてくれたキズ。私にとってはすでに勲章のような意味を持つキズ。


「こんなの、騎士にとっては軽傷です」


私は自分で傷をさすりながら、軽い口調で返す。


エルサがその手を制して、指先で静かに触れて傷跡をそっと辿る。


自分とは異なる温度の柔らかい肌が触れ、やがて体温が交わって、相手と自分の境目が曖昧になっていく。

ゆっくりと撫でるようにさすられて、くすぐったさに思わず力が入る。


腹筋の割れ目に沿うように、エルサがくすぐってくるので、私は思わず笑う。


「っ、やめてください! くすぐったいです!」


大きな声を立ててはいけないため、囁くような声の大きさで慌てて言う。


軽い笑い声とともに、フワリと、まるで柔らかく暖かい風に全身が包み込まれるような感覚になる。

向き合っていた裸のエルサが、私のことを包み込むように抱き締めてきた。


泣いているのか、それとも恥ずかしさから顔を隠しているのか、その表情は窺い知れない。


知られたくないのだろうと思い、私は静かに両腕で抱き締め返す。

手のひらで触れた、エルサの茶色く柔らかい髪を優しく撫でながら、言葉を待つ。


「もう二度と逢えないと思っていたのに。いまこうしているのが奇跡みたい」


エルサの声が耳元に響く。それは耳を澄ませていないと聞き取れないほど、小さく震えた声だった。


「……私も同じ気持ちです」


たしかに温かな体温を持つ小さな頭を右手で包み込み、左手でしっかりと背中を抱き寄せた。


二人の柔らかい素肌がピッタリと吸い付きあい、体温が溶けて交わっていく。

二人の心と体が、やがて一人に融合していくような、そんな感覚に全身が包まれる。


私は、この気持ちが少しでも伝われと願いながら、力の限りエルサを抱き締めた。

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