表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この世界で、君だけが獣を王にした  作者: そよら
フェーズI 裏路地で、獣は奪う
7/34

EP.7 名前のない感情【⭐︎挿絵】

 朝の露店通りは、すでに熱気を帯びていた。

 鉄鍋の焦げる音、獣族の怒鳴り声、干した果実を並べる子獣の笑い声。

 広い通りに立ち並ぶ露店の天幕が風に煽られ、赤や黄の布が陽を受けて揺れている。


 ゼルの足は、幾つかの雑貨売りの露店の前で止まった。


「人間用のルーメン、置いてるか?」


 無言で顔を上げたのは、黒斑の混血虎族だった。

 ゼルの顔を一瞥するなり、鼻を鳴らす。


「蝙蝠族が人間用のルーメン?うちじゃ扱わねぇよ」


「そうか」


 返事を待たずに離れる。


 次の露店では、干からびた蛇族の老婆が声を潜めて笑った。


「人間用のルーメンだってさ。んなもん、今どきどこも仕入れちゃいないよ。儲かんないからね」


 ゼルは無言で背を向けた。

 苛立ちが滲む足取りのまま、通りを抜ける。

 背後でまだ笑い声が続いていた。


 さらに数軒、同じようなあしらいが続いた。


「あー、人間用のルーメン?青い看板の露店にあったな。南通りの角だ。あそこの店主は変わり者でな何でも揃えてやがる」


 ゼルは何も言わずに頷き、肩をひとつだけ揺らすと歩き出した。


 角を曲がった先、青く塗られた看板が目に入った。

 露店の主は痩せたヤマネ族の若者で、木箱の中の商品を整理している最中だった。


「人間用のルーメンか?あるぜ、ひとつ銅貨三枚な、幾つ欲しいんだ」


 ゼルは懐から銀貨を取り出して台の上に置いた。

 店主は錠剤の入った瓶を棚から下ろしながら、不意に片手で棚の上を指差した。


「なあ、ついでにコレはいらないのか?」


 ゼルが目を向けると、そこには無造作に積まれた小さな灰色のブロックが並んでいた。


「……何だ、それ」


「コアレット。人間の食い物だろ。お前、飼ってるのに知らねぇのか。あいつら、それしか食えねぇだろ」


「飼ってねぇよ」


「じゃあ、そういう趣味か。ああ、いるんだよな、具合がいいって言う変態野郎が」


 店主の薄笑いを見て、ゼルは無意識に机を叩いた。


「いいから、黙ってよこせ」


 店主は肩をすくめ、商品を袋に詰める。


「幾らだ」


「セットで買うなら銀貨一枚で十ずつ、どうだ」


 ゼルは黙って頷き、銀貨を押し出した。

 粗末な紙袋に包まれたそれを掴み、振り返ることもなく歩き出した。


「物好きもいるもんだ」


 背後で、店主のぼやき声がかすかに聞こえた。 


 *


 長屋に戻ると小さな影は、出かけた時と同じ場所で同じように横たわっていた。


 ゼルはたった今買ってきた袋を床に置き、しゃがみ込む。


「おい、生きてるか」


 呟きに、返る声はない。


 革袋の水を少し器に注ぎ、買ってきた錠剤のルーメンを取り出す。

 人間用の錠剤を指先で割って、水の中に落とすと、白い粒がゆっくりと溶けはじめた。


「……口、開けろ」


 ゼルは額に手をあて、喉元を撫でる。

 微かな反射を頼りに、もう一度、器を口元に押し当てた。


 少しだけ、喉が動いた。


 ゼルは慎重に、時間をかけて薬を流し込んでいく。

 何度か繰り返すうち、リフの呼吸にほんの僅かな変化が見えた。


「くたばんなよ」


 空になった器を傍らに置き、ゼルは背中を壁に預けて座り込んだ。


 ふと目に入った、灰色の硬い塊──コアレットをひとつ袋から取り出し、指先で弄んでから枕元に静かに置く。


「肉より、こっちなのかよ」


 つぶやくように零して、ゼルは深く息をついた。



 リフが目を覚ましたのは昼を少し過ぎたころだった。

 幌の薄布の隙間から差し込む光が、床に細い線を引いている。


 喉の奥が乾いて、舌が貼りついていた。

 腕を動かそうとしたが、すぐには思ったようにはいかない。

 それでも、少しずつ身を起こす。

 布の感触。硬い床の冷たさ。

 まだ、生きている。


「……ぅ、うぅ」


 かすれた声で呟く。

 ここは……長屋の、いつもの狭い部屋。

 記憶が、途中で途切れている。


 ふらつく足で幌の布をくぐると、薄く明るい空が、視界にじわりとにじんだ。


 その先に、背中に大きな皮膜の翼を背負った長身の蝙蝠族──ゼルがいた。


 光を受けたその横顔が、形の良すぎる線を描いていた。


 昨夜、自分を抱き上げた腕の感触が、ふいに蘇る。

 あのときの体温がまだ胸の奥に残っている気がして、喉の奥がひどく乾いた。


 ゼルは手のひらでなにかを弄んでいたが、リフの気配に気づくと、そちらへ顔を向けた。


「遅ぇんだよ、起きるのが」


「……なんで」


「さぁな」


 ゼルは指先で弄んでいたコアレットを指先でつまみ上げた。


「なぁ、人間ってのは、こんなものしか食えねぇのか?」


 リフは少しだけ目を伏せてから、首を縦に振る。


「人間は、効率よく使うために、それひとつで一日もつようにされてる。俺も、同じように処置されてる」


「へぇ」


 ゼルは手の中のコアレットを、そのまま口に放り込んだ。


「不味ぃ」


 数度咀嚼してから、眉をしかめる。


「ここは、ろくでもねぇ世界だな」


 ゼルは小さく鼻で笑った。


「それでも、自由があるだけマシかな」


「この生活が、自由か?」


 ゼルは、口の中のコアレットを噛み砕いてから、ぼそりと呟いた。


「俺の国には、人間なんていなかった。だから、よく分からねぇ」


「分からなくても、いいと思う」


「知らなきゃ、せっかくの肉、無駄にするだろ」


 リフは、少しだけ瞬きしてから、空を仰ぐようにして目を細めた。


「ありがとう」


 二人の間に、少しの沈黙が落ちた。

 風が幌の端を揺らし、陽の光がすこし角度を変えた。


「国を追い出されて、行き場もねぇし、食い物もねぇし、金も、なくなった」


 ゼルは眉をひそめて、リフを見返した。


「しばらくここに住むけど、いいよな」


 思わず零したその声に、リフが噴き出しそうに笑った。


「無言で押しかけといて、今さら」


 ゼルは上着の内ポケットから小さなタブレットケースを取り出し、リフに向けて軽く投げ渡した。


 放物線を描いてリフの膝の上に落ちたのは、見慣れた錠剤ケース。空だったはずのそれ。

 蓋をスライドさせると、中には整然と並んだ小さな錠剤のルーメンとコアレット。


 リフの目が大きく開かれる。

 指先でそれを撫で、ゆっくりと目の前の蝙蝠族を見上げた。


 縮まった距離の分、なぜか落ち着かなかった。

 抱き上げられていたときよりも、ずっと近い気がした。


「あの、これ」


 壁にもたれたまま、ゼルは「別に、」と少しだけ目を伏せた。


 照れ隠しでもなんでもなく、本当にそれしか言えなかった。名前のない感情が、胸のどこかをゆっくりとかすめていった。

《ゼル&リフ》

挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ