Ⅲ-EP.2 見失った温度
門を抜けた途端、空気が変わった。
両脇には壁のような建物がそびえ、見上げても、天辺が見えない。
「ここが、マーケットゼロ」
視界いっぱいに、獣族と人が流れていた。
肩が触れ、背中が押され、立ち止まる余地はない。
リフは気づけば、どんどん通りの奥へ運ばれていく。
押し出されるように進んだ先で、足元の感触が変わった。
敷石が広く開け、周囲の目が一点に集まっていた。
石畳の地面に、無数の檻が積まれている。
小さなものも、大きなものも、無造作に重ねられていた。
「えっ?!」
中には人間がいる。鎖をつけられた半獣人も獣も、皆、身を縮めたまま動かない。
檻の前に立つ獣族たちは、値踏みするように中を覗き込んでいた。
「……っ」
ふいに、背中に、針を当てられたみたいな感覚が走った。
誰かが、こちらを見ている。
リフは思わず足を止め、檻の並ぶ方へ顔を向けた。
積まれた檻のどれかから、じっとりした違和感がまとわりついてくる。
「おい、お前も売られたいのか?」
背後から、いきなり低い声が降ってきた。
リフは反射的に振り向いた。
湾曲した牙を持つ黒猪族が、平たく潰れた鼻先を上げ、低く喉を鳴らした。
「お前、ここが、何か分かってるのか?」
「えっ」
リフは一瞬、言葉に詰まる。
「奴隷市場を人間が一人でうろついてるなんて、誰かに目をつけられるぞ」
リフは目を伏せたまま一歩下がる。
「そのまま捕まって、売り飛ばされたいのか」
「す、すみません!」
リフは人の流れに身を押し込むようにして、その場を離れた。
刹那、人の波の向こうに、黒い外套が揺れた。
背丈。歩き方。
一瞬、胸の奥が激しく跳ねる。リフは、無意識に足を速めていた。肩にぶつかり、謝る声も言い終わらず進む。
「ゼル!!」
追いついた背中が、振り返る。
見知らぬ蝙蝠族だった。
(……違った)
リフは深く息を吐き、人通りの少ない通りへと外れていった。
喧騒と獣の匂いに、頭がぼんやり重くなる。
石段の手すりに指をかけてリフは息をついた。
通りの喧騒は遠く、胸の奥に残る重さだけが、ゆっくりと沈んでいく。
リフは膝を抱え、その間に額を埋めた。
(大丈夫)
言葉にしないまま、心の中で繰り返す。
(絶対に会える)
少し前までずっと隣にあったはずの気配を思い出す。
せっかく辿り着いた賑やかなマーケットゼロの中心で、自分だけが止まっている感覚だった。
ふと、足音が背後で止まった。
気づいた瞬間、視界の端に影が差した。
「なあ」
振り向くより早く、左右に動く気配。
立ち上がろうとして、前を塞がれた。
やけに長い手足をぶらつかせながら、半獣人の猿族三人に取り囲まれる。
リフは息を整えようとして、喉が鳴った。
「……なに」
言葉は、思ったよりか細く出た。
それが面白かったのか、猿族の一人が口角を上げる。
「なに、だってさ」
「怖がるな、ちょっと見せてほしいだけ」
「なにを……」
「キラキラしてたやつ、きれいだった」
リフは無意識に、コートを握りしめたまま一歩下がる。
石段の縁に、踵が当たり、逃げ道がないと、遅れて理解する。
「人間のくせに、あんなの持って歩くの良くない」
「落とすと、危ない」
言葉を言い終える前に、肩に衝撃が走った
猿族の一人が、リフの肩を強く掴む。
前にいた猿族が距離を詰め、横から、もう一人。
「盗ったりしない、ちょっと借りるだけ」
「抵抗ダメ、余計に痛い」
包囲が、完全に閉じた。
街の喧騒はすぐ近くにあるのに、ここだけ音が遠い。
「痛っ」
爪が、さらに深く食い込んだ。
直後、視界が急に暗くなる。
「ギャァァァァ」
頭上からいきなり落ちてきた影が、猿族の背を踏み抜き、悲鳴が跳ねた。
重たい衝撃とともに、派手なピンクの髪が、勢いよく揺れた。外套の裾が翻り、女は軽く着地する。
踏みつけられた猿族は、声も続かず石段に沈んだ。
女はまっすぐ、リフを指差した。
「お前!!」
一歩、近づく。
「やっと見つけた」
猿族の一匹がいやらしく口を歪めた。
「女も付いてきた。まとめてもらう」
言い切る前に、女の身体が反転した。
背面から放たれた蹴りが、猿族の顎を跳ね上げる。
グシャっと骨の潰れる音。
宙に浮いた猿族を、そのまま掴んで投げ捨てた。
石畳に叩きつけられ、猿族は動かなくなる。
女は何事もなかったように足を戻し、リフへ視線を戻す。
踏みつけられた猿族は、声も続かず石段に沈んだ。
女はまっすぐ、リフを指差した。
「お前!!」
一歩、近づく。
「やっと見つけた」
猿族の一匹がいやらしく口を歪めた。
「女も付いてきた。まとめてもらう」
言い切る前に、女の身体が反転した。
背面から放たれた蹴りが、猿族の顎を跳ね上げる。
グシャっと骨の潰れる音。
宙に浮いた猿族を、そのまま掴んで投げ捨てた。
石畳に叩きつけられ、猿族は動かなくなる。
女は何事もなかったように足を戻し、リフへ視線を戻す。
「あっ……」
──通行ゲートで、騒ぎを起こしていた女性。
記憶の端に引っかかったその姿が、重なる。
「お前から匂いがする」
ピンクの髪を指先で掬い上げ、女は邪魔そうに後ろへ払う。
「私の、大事な奴の匂い」




