II-EP.FINAL 贖いの途中
「束の間の出会いだったな」
ナトカは戸口に立ったまま、
「気をつけて」と続け、小さな布袋をリフに手渡した。
袋の中には、薄紙でひとつずつ丁寧に包まれたコアレットが、いくつも詰められている。
「ありがとう。こんなにたくさん」
「あと、これも持って行け」
そう言って、ナトカはリフの好きそうな、白のもこもこのフードがついた厚手のコートを、肩にそっとかけてくれた。
「俺が仕立てた。これからどんどん寒くなる。人間は獣族ほど寒さに強くないだろ」
「すごい!なんでも出来るんだね」
リフは心底うれしそうに笑う。
その素直な笑顔に、ナトカは数年前までいた、ルーメン研究施設の終身奴隷たちのことを思う。
研究所では、実験体は資源であり、物だった。
治療も、試薬も、成功率も、記録の数字でしかなかった。
何度も繰り返し命を失わせてきた。
実験の成果こそが全てだった。
その罪が消えることはない。
償えるとも思わない。
それでも今、目の前で嬉しそうに笑うリフを見ていると、せめてもの、帳尻合わせくらいにはなるかもしれないと思えてくる。
「ゼル。お前の分もできてる」
短くそう告げて、いくつかのカプセルが入った小瓶を差し出す。
「即席だ。日常生活に支障が出ない程度には効く」
「感謝する」
低い声で、それだけ告げる。
ナトカのほうは見ないまま。
「礼なんて言われると思わなかったぞ」
軽く笑ったナトカに、ゼルは視線を逸らしたまま、
握手を求めるように手を差し出した。
「世話になった」
無愛想な物言いに、ナトカは一瞬だけ嬉しそうに目を細め、その手をしっかり握り返す。
そのまま、ナトカはその手を離さず、ゼルの耳元へわずかに身を寄せる。
「このまま一緒に旅を続けるなら、」
声を落とす。
「逃げるだけじゃ足りない」
ゼルの肩が、ほんの一瞬だけ強張った。
「そいつは他の誰かみたいに、ただ隣にいられる存在じゃない」
ナトカはそれ以上、言葉を重ねなかった。
ゼルは何も返さず、ただ短く息を詰めた。
ナトカは手を離し、一歩引く。
(自覚は、ないだろうな)
視界から消えれば探す。
声が聞こえなければ気配を追う。
それを好意だと認めないまま、当然のように隣に置いている。
(甘えてるとも知らずに)
リフの正体を告げれば、2人は今はまだ壊れる距離だと、ナトカは分かっていた。
「良い旅をな」
ゼルは一度だけ頷き、リフのほうへ歩き出した。
森の外れで、リフが大きく手を振る。
揺れるコートのボアを、ナトカは最後まで見送った。
ゼルは振り返らなかった。
リフの隣を歩きながら、前だけを見て進んでいく。
やがて、ふたりの気配は、完全に森に溶けて消えた。
*
翌朝。
ナトカは家の前に立ち、迷いなく火を放った。
乾いた木が音を立て、炎が一気に広がる。
吊るしていた薬草も、調合台も、研究の痕跡も、
すべてが赤に呑まれていった。
迷いはなかった。
鳳凰属のアーヴェント卿──
名を聞くだけで、研究者たちが口を閉ざす男。
命をどう扱っているのかを、わざわざ確かめる無粋な者はいない。
二年──
リフはそれだけの時間、逃げ続けている。
あの男が、それをこのまま放っておくはずがない
獣族と違い、人間の気配は薄い。
普通なら追えない。
だが、神獣ならば、微かな痕跡でも辿ってくる。
ここに留まれば、いずれ嗅ぎつけられる。
リフのためにも、自分のためにも、それは避けなければならなかった。
炎が屋根を舐め、崩れ落ちる音が深い森に響く。
「間違ってなかったか」
研究施設を離れ、自然の素材だけで組み上げた代替ルーメン。
神獣と思われるゼルが、歩けるだけの力を取り戻した。
「続けるだけだ」
決意を込めた呟きは、誰に向けたものでもなかった。
森の奥へ歩き出しながら、ナトカは次の場所を思い描く。
次に調べる薬草。
次に作る配合。
そして、いつか、また、あのふたりと交わる日が来ることを願って。
灰の舞う空を一度だけ振り返り、ナトカは森の奥へと姿を消した。
II章完結しました。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
次の章では様々な獣人が出て、
2人の関係も更に進みます。
引き続き読んでいただけると、とても嬉しいです。




