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この世界で、君だけが獣を王にした  作者: そよら
フェーズI 裏路地で、獣は奪う
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EP.3 地下核闘技場 咆哮窟

 地下へ続く石段を駆け降りると、湿った熱気と鉄の匂いが一気に肌へまとわりついた。


 喉の奥がひりつくような空気だった。 


 リフは思わず壁に手をつき、浅く息を吐く。

 フードを深くかぶったまま、乱れた呼吸を整えた。


「ここは?」


 顔を上げ、石壁に打ち付けられた古い刻印を読む。


「咆哮窟?」


 すぐ横で、低い声が答えた。


「獣族の地下格闘技場だ」


 先を歩く蝙蝠族は足を止めもせず、前を見たまま続ける。


「獣が血と金を賭ける場所。勝てば生き残るし、負ければ……まあ、そういう世界だ」


 淡々とした口調で答える。


 通路の向こうから重い足音が近づいてきた。

 目の前の蝙蝠族の獣人より二回りは大きい、半獣人の熊族の格闘士が、二人の前で足を止める。

 濃い体毛をまとった身体に、人の頭ほどもある大きな手を垂らしていた。


 じろりと視線を走らせ、鼻を鳴らす。


「おいゼル、そいつ人間か?」


 口の端を吊り上げ、面白いものでも見つけたように笑う。

 その視線が、リフへ向けられる。


 明るい茶褐色の髪。

 同じ色の瞳が伏せられ、白い肌が魔石灯の下で浮いて見える。

 細い肩、華奢な手足。

 鍛えられた獣族の身体と比べれば、あまりにも脆弱だった。

 熊族は、頭の先から足元まで、値踏みするように、じっくりと眺める。


「へぇ……」


 低く、含みのある声。


「細くて小さくて、簡単に捻り殺せそうだな」


 喉の奥で笑い、巨体を揺らす。

 リフは何も言わず、視線を落とした。


「関係ないだろ」  


「イキがんなよ、ゼル。すぐ試合が始まる。また逃げんじゃねぇぞ?」


 毛深く盛り上がった大きな背中は踵を返しかけ、思い出したように振り向く。


「ああ、そうそう」


 軽い調子で、熊族は言葉を投げる。


「出掛けに見たけどな、お前の荷物、今朝、家主が外に放り出してたぞ」


「ふざけんなよ!」


「ふざけてねぇよ、家賃滞納だって騒いでたな。

 まあ、負け続きじゃ、仕方ねぇか」


 熊族は愉快そうに笑い、何事もなかったように通路の奥へ消えていった。


 重い足音が遠ざかり、湿った空気の中に、短い静けさが戻る。


 リフは、ゆっくりと顔を上げた。


「さっきは、その……助かった。ありがとう」


「礼はいい」


 被せるように、ゼルはつぶやく。


「さっき、礼なら何でもするって言ったな」


 リフの肩が、わずかに強張る。


 その瞬間、咆哮窟の奥から、檻を引き上げる重い鎖の音が響いた。

 鉄が擦れる、腹の底に落ちるような音。


 試合前の合図。


「……始まる」


 ゼルはゆっくり息を吐き、視線を逸らす。


「試合が終わるまで、待っとけ」


 それだけを言い残し、皮膜の翼の後ろ姿は、暗い階段をさらに深く下りていった。



地下核闘技場へ続く通路を抜けると、リフの視界は一気に開けた。


 暗さを抜けた先に、目が眩むような光が飛び込んでくる。

 熱を孕んだ空気が肌にまとわりつき、耳を打つような歓声と怒号が、四方から押し寄せてきた。


 魔石灯が吊るされた檻の中、渦を巻くような歓声の中心で、ゼルと呼ばれたさっきの蝙蝠族は、片膝をついていた。


 息が荒い。

 肩が上下するたび、胸の奥から掠れた音が漏れる。


「これが、獣族の試合」


 リフは無意識に、入口の柵に指をかけていた。

 どう見ても劣勢の蝙蝠族から、視線が離せなかった。


 ゼルの正面に立つ対戦相手の熊族は、頭ひとつ分高い位置から見下ろしていた。

毛に覆われた分厚い胸と、丸太みたいな腕を揺らしながら、突き出た口元に余裕の笑みを浮かべている。

リフの目には、人の形をした獣にしか見えなかった。


半獣人の熊族と並べば、ゼルの姿は拍子抜けするほど人に近い。それでも、その奥に宿る気配だけが、人のものではなかった。


 ゼルは立ち上がろうとした。

 足に力を込め、わずかに前へ踏み出す。


 だが、その動きはどこか遅い。

 一拍、ほんのわずかな間が生まれた。

 その隙を逃さず、熊族の拳が、容赦なく叩き込まれた。

 ゼルの身体が大きく揺れ、そのまま前のめりに崩れ落ちる。


「……っ」


 声にならない息が漏れ、檻の床に手をついたまま、動かなくなった。


「勝者、熊族ドンフル!」

「敗者、蝙蝠族ゼル!」


 やがて、鈍い鐘の音が鳴り響いた。


「何やってんだ蝙蝠!」

「またかよ!」

「金返せ!」


 嘲る声、怒鳴る声、笑い声。

 それらが一斉に降り注ぐ。


「おい。あいつ、本当に蝙蝠か?」


 近くの狼族が小さく耳を動かしながら答える。


「さあな。俺も変な違和感をずっと感じてんだよアイツには」

「クソ弱いのに、なんか引っかかるんだよな」

「その違和感に毎回賭け続けてて、今日も負けだよ、クソッ!!」


 短い囁きは、すぐ周囲の罵声に飲まれて消えた。


 口端から血を滴らせながら、ゼルはゆっくりと立ち上がる。

 片手で檻の鉄をつかみ、荒い呼吸を吐いた。


 勝利を手にした濃い毛並みの大きな背中は、すでに出口へ向かって歩き出していた。

 観客席へ向かって手を上げ、短く吠える。


 背中の被膜の翼を重たく引きずりながら、ゼルは言葉も発せずその背に続いた。


 リフは慌てて観客席を駆け下り、後を追った。


 格闘技場の通路の突き当たりには、格闘士たちの詰所がある。

 木製の机の奥では、片耳の潰れた会計係の山猫族が肘をついて待ち構えていた。


「はいはい、おつかれさん」


 勝者の熊族には革袋に入った銀貨と、小瓶が数本まとめて渡される。


 瓶の中を満たす青灰色の液体──ルーメン。

 一日でも欠かせば、獣人は理性を失う。


 熊族はにやつきながら、銀貨の入った革袋と、ルーメンの入った小瓶を鷲掴み、ゼルの背を一度、軽く叩く。


「おいおい、次はちゃんと立てよ、ゼル」


 ゼルの唇は一文字に結ばれたまま動かない。

 視線だけが相手を捉えている。


「さてさて、次は、あんたの分だな、」


 山猫族は帳面をめくり、ゼルの名前を探す。


「ゼル、蝙蝠族……敗北、四連敗目。ふむふむ、また今日も賞金はナシだな」


 淡々とした様子で、山猫族は棚から小瓶を取り出した。


「ほら、身体がもたんだろ。薬代はまたツケにしといてやる」


 ゼルが無言でそれを手にすると、山猫族は次の格闘士の名前を呼んだ。


 フードを深く被り、物陰から一部始終を見ていたリフは、ふいに、ゼルと視線があった。


「おまえ、まだいたのか」


 リフは一瞬、言葉に詰まったが、すぐに首を縦に振った。


「待てろって、言われたから」  


 ゼルは短く息を吐き、視線を逸らす。


「負け試合なんか見るなよ」


 通路の奥で、次の試合を告げる鐘が響いた。


「さっき、」


 ゼルは視線を外したまま、続けた。


「礼なら、何でもするって言ったな」


 リフの肩が、静かに強張る。

 ゼルは言葉を選ぶように口を開いた。


「寝る場所がない」


「……え?」


 思わず、間の抜けた声が出る。


(それだけ?)


 もっとひどい言葉を覚悟していた。

 一瞬ぽかんとし、肩の力が抜ける。


「住むところなら、ある。すごく狭いけど」


「寝られれば、何でもいい」


 通路に、靴音が二つ重なる。

 二人はそのまま、長屋通りへ向かって歩き出した。



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