第17話:共生という名の拒絶反応
世界樹の再生計画は、第二段階へと移行した。
第一段階である栄養剤の点滴投与は、既に始まっている。俺が開発した生きた注射針が、世界樹の根に、黄金色の培養液を、二十四時間体制で供給し続けていた。そのおかげか、樹全体の魔力の流れは、わずかながら、しかし確実に力強さを取り戻しつつあった。
そして今日、俺たちは、計画の核心である「共生菌の導入」を実行に移す。
俺とミリは、世界樹の根元に立っていた。俺の手には、ガラス瓶の中で青白い光を放つ、特殊な菌糸の塊がある。これが、外部の森の土壌から採取・培養し、有害物質を完全に取り除いた上で、世界樹との共生に特化させた、新生代の土壌菌だ。
「本当に……これを……?」
ミリは、不安げに菌の塊を見つめている。彼女の目には、これがまだ、パンドラの箱のように見えているのだろう。
「ああ。これを、世界樹の根が最も密集している場所に、直接植え付ける」
「……わかりました。こちらです」
ミリは、覚悟を決めたように、俺を案内した。
彼女が示したのは、世界樹の数ある根の中でも、ひときわ太く、力強い生命力を感じさせる主根のすぐそばだった。彼女たちエルフが、代々、祈りを捧げてきた場所だという。
「ここに、我々の希望を託します」
ミリは、そう言うと、静かに祈りを捧げ始めた。
俺は、そんな彼女の感傷には付き合わず、早速、作業を開始した。
シェルに命じて、地面に慎重に穴を掘らせる。そして、剥き出しになった世界樹の根に、俺は自らの手で、青白い菌糸の塊を、そっと触れさせた。
その瞬間だった。
ゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!
これまでとは比較にならない、激しい振動が、聖域全体を襲った。
世界樹が、まるで激痛に襲われたかのように、その巨体を大きくしならせる。
ミリが、悲鳴を上げた。
「きゃあっ! これは……!? 世界樹様が、苦しんでいらっしゃる……!」
彼女が幹に手を触れると、その表情が絶望に染まる。
「だめ……! 拒絶しています! 世界樹様が、あなたの菌を、毒だと判断して、攻撃しています!」
俺のスキルによるモニタリングでも、それは明らかだった。
世界樹の体内で、防衛本能が働き、凄まじい魔力が、俺の植え付けた菌を排除しようと、その一点に集中している。まるで、人体が、体内に侵入したウイルスを、免疫細胞で攻撃するかのように。
「やはり、こうなったか」
だが、俺は、全く慌てていなかった。
むしろ、その反応の強さに、満足すらしていた。それは、世界樹に、まだ、それだけの生命力が残っている証拠でもあったからだ。
「ミリ! 今から言う通りにしろ!」
「で、でも!」
「これは、拒絶反応ではない! 新しいものを受け入れるための、必要な陣痛だ! この反応を、俺たちがコントロールする!」
俺は、懐から、もう一つのガラス瓶を取り出した。
中には、緑色に輝く、ゼリー状の物質が入っている。
「シェル! これを、さっきの場所にもう一度!」
シェルは、緑色の物質を器用にすくい取ると、再び、世界樹の根元へと運んだ。
それは、世界樹の免疫機能を、一時的に抑制する効果を持つ、特殊な粘菌だった。人間で言えば、臓器移植の際に使われる、免疫抑制剤だ。
「新しい共生関係を築くには、まず、互いの過剰な防衛本能を、抑える必要がある。これは、そのための薬だ!」
免疫抑制粘菌が、共生菌が植え付けられた場所に、塗りたくられる。
すると、あれほど激しかった世界樹の拒絶反応が、まるで嵐が過ぎ去るように、すうっと、静まっていった。
地面の揺れも、収まった。
「……おさまった……?」
ミリが、呆然と呟く。
「ああ。だが、まだだ」
俺は、目を閉じ、スキルに全神経を集中させる。
世界樹の免疫機能が、一時的に低下した今この瞬間。
青白い共生菌は、もはや攻撃されることなく、ゆっくりと、世界樹の根の細胞へとその菌糸を伸ばし始めていた。
それは、寄生ではない。
互いの細胞膜を融合させ、栄養と魔力を互いに交換し合うための、生命の握手だった。
数時間後。
俺たちは、固唾を飲んで、その様子を見守っていた。
やがて、俺の脳内に、菌糸ネットワークを通じて一つの情報が届いた。
―――共生、成功。
「……やったか」
俺は、安堵の息を漏らした。さすがに、これほどの精密な生態系コントロールは、骨が折れる。
その時だった。
ミリが、はっとしたように顔を上げた。彼女の視線は、世界樹の遥か上空の枝に向けられている。
「……あ……!」
俺も、その視線を追った。
そして、自分の目を疑った。
これまで、先端が茶色く枯れ始めていた、一本の若葉。
その先端に、ほんの、ほんのわずかだが、瑞々しい、鮮やかな緑色が蘇っていたのだ。
「……栄養の吸収率が、7%上昇した……」
俺のモニタリングデータが、その奇跡を、客観的な数値として示していた。
新しい共生菌が、早速、その役割を果たし始めているのだ。
「……世界樹様が……喜んでいらっしゃる……」
ミリの瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
それは、絶望の涙ではなかった。
冒涜的とも思える、異端な治療の果てに生まれた、小さな、しかし、確かな希望の光。
俺たちの、神を育てるという壮大な実験は、今、ようやく、その第一歩を踏み出したのだった。




