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第16話:神を育てるための処方箋

 聖域の崩壊を食い止めてから、数日が過ぎた。

 俺の魔力供給によって結界はかろうじて維持され、一種の平穏が訪れていた。しかしそれは、いつ途切れてもおかしくない、細い糸のような平穏だ。俺の魔力は無限ではない。常に一定量の魔力を結界の維持に割いているため、疲労は着実に蓄積していた。


 ミリは、俺の助手として献身的に働いた。食事の準備や、俺が指示した聖域内のサンプル採取など、その役目を健気に果たしている。俺の存在を恐れてはいるが、同時に、この聖域の運命が俺の双肩にかかっていることも理解しているのだろう。俺たちの間には、奇妙な共存関係が成立していた。


 問題は、肝心の患者である世界樹だ。

 腫瘍は摘出され、再生菌による傷口の修復も順調に進んでいる。だが、樹全体の生命力が、一向に回復の兆しを見せないのだ。まるで、大手術を終えた後、自力で回復する気力を失ってしまった患者のように、ただ眠り続けている。


「このままではジリ貧だな」

 俺は研究日誌にこれまでのデータをまとめながら呟いた。

 世界樹が自発的に回復を始めるのを待っていては、俺の魔力が尽きるのが先だ。もっと積極的に、外部から回復を促す治療が必要になる。


「次の治療計画(プラン)を立てるぞ、ミリ」

 俺の言葉に、ミリは緊張した面持ちで顔を上げた。彼女は、俺が何かを始めるときは、常に常識外れの何かが起こることを、既に学習していた。


「現状、この世界樹は深刻な栄養失調状態にある。そこで、まずは高濃度の栄養剤を直接投与する」

「栄養剤……ですか?」

「人間で言う、点滴のようなものだ。この聖域に自生する薬草や果実から、樹の成長に不可欠な成分だけを抽出し、超濃縮した培養液を作る。それを、俺が開発した特殊な菌類を介して、根から直接、樹の体内へと注入する」

 俺は、既に試作品が完成している、黄金色の液体が入ったビーカーを彼女に見せた。その菌は、世界樹の根を傷つけることなく細胞の隙間から侵入し、培養液を届けることができる、生きた注射針だ。


「……それで、世界樹様は、元気に?」

「それだけでは足りん」

 俺は首を横に振った。

「問題は、もっと根深い。この聖域の土壌そのものにある」

「土に……?」

「そうだ。この聖域の生態系は、清浄だが、あまりに単純すぎる。特に、植物が栄養を吸収するのを助ける、有益な土壌微生物……共生菌の類が、決定的に不足している。だから、世界樹は栄養失調に陥ったんだ」


 俺は、ミリの顔をまっすぐに見つめ、次の、そして最も重要な治療計画を告げた。

「そこで、外部の森から、俺が厳選した有益な共生菌を、この聖域に導入する」


 瞬間、ミリの顔から血の気が引いた。

「なっ……! そ、外の森の菌を、ここに……!? だめです! そんなことをしたら、この聖域が、汚染されてしまいます!」

 彼女が、声を荒らげて反対した。汚染された外部の森は、彼女たちエルフにとって、死と恐怖の象徴だ。そこのものを、神聖なこの土地に持ち込むなど、考えうる限り最悪の冒涜だった。


「汚染かね」

 俺は、鼻で笑った。

「ミリ、君たちが『清浄』と信じてきたその概念が、この聖域を、そして君たちの一族を、緩やかな死へと追いやったんだ。理解できないか?」

「……っ!」

「生命とは、混沌カオスだ。多様な生物が、時に争い、時に助け合い、複雑な関係性を築くことで、生態系全体の健全さは保たれる。病原菌もいなければ、それを食べる天敵もいない。そんな無菌室のような環境は、長期的には必ず破綻する。君たちが、その何よりの証拠だ」


 俺の言葉は、彼女が信じてきた世界のすべてを否定するものだった。だが、彼女に、有効な反論はできなかった。事実として、一族は滅び、世界樹は瀕死なのだ。


「僕が導入するのは、汚染物質ではない。俺のスキルで、有害な要素を完全に除去し、世界樹の助けとなる性質だけを強化した、有益な菌だ。これは、毒ではない。世界が忘れ去った、生命の多様性を取り戻すための『ワクチン』だ」

 俺は、そう断言した。

 ミリは、唇を噛み締め、俯いたまま動かない。彼女の中で、一族の教えと、目の前の現実が、激しくせめぎ合っているのだろう。


 数分間の、重い沈黙が流れた。

 やがて、彼女は、顔を上げた。その瞳には、まだ恐怖と葛藤の色が残っている。だが、それ以上に、何かを決意した者の、強い光が宿っていた。


「……わかりました」

 彼女は、絞り出すような声で言った。

「もう、私には……あなたを信じるしか、道はありませんから。やります。その……『わくちん』とやらを、世界樹様に」


「話が早くて助かる」

 俺は、満足げに頷いた。

「では、早速準備に取り掛かるぞ。最も効果的な接種ポイントを、君に選んでもらう」


 俺たちの、聖域そのものを「作り変える」という、最も冒涜的で、最も根源的な治療が、始まろうとしていた。

 それは、この閉じた楽園が、本当の意味で、再び世界の一部となるための、荒療治でもあった。

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