猛る獣たち
――やられたな。
試合場の端まで転がされた俺は、青い覆面の下で焦りと苛立ちを押し殺す。
油断していたつもりはなかったのだが。覆面の構造上、接近されると見えない角度がある。それを、オサーンに気取られた。頭に強烈な打撃を受け、膝を落としたところで全体重を掛けた飛び蹴りを喰らった。頭のダメージは回復してきているが、臓腑が掻き回されたように痺れて動けん。
だが、おかしな話だ。飛び蹴りに入る前、オサーンはたっぷりと間を持たせて、俺と観客に次の技を予告してきた。実際に繰り出してきた飛び蹴りではなく、以前タイトが使った……そして俺が真似てグンサーンの顎を砕いた“しゃいにんぐうぃざーど”とかいう飛びつき式の横薙ぎ膝蹴りだ。
間合いも入りの姿勢も角度もそのままに駆け込んできたオサーンは、だが直前で自分の技に切り替えた。それさえも見せかけの陽動だったか、あくまでも我を貫くという意思表示のつもりか。
「立て、バロン!」
「いいぞ! そのまま、くたばってろ!」
観客席の声を聞きながら、オサーンはこちらを見てニヤニヤと笑っている。立てるはずがないと小馬鹿にしたような表情で。その実、観客たちを煽っているのだ。こちらの回復を待ちながら、戦いの場を温めておくために。
「……どこまでも、勉強熱心な男だ」
となれば、いつまでも無様な姿を見せているわけにはいかない。対戦者にも、観客たちにも。……認めるのは口惜しいが、目指すべき相手にもだ。
「「「バロン! バロン!」」」
「「「ビースト! ビースト!」」」
「「「「おおおおおおおおおおおぉッ‼」」」」
俺がゆっくりと立ち上がると、一気に歓声が高まる。地下闘技場に立ち込めた熱気が、質量を持ったように迫り、押し寄せてくる。
俺は左右の足を踏み締め、残った力と気力を確かめる。問題ない。最後まで、戦える。あのケダモノを、仕留めて見せる。
「曲芸で、オレは倒せねえ」
最後にトーンと跳躍した俺を見て、野獣が嗤う。怪鳥にして狩人の貴族を挑発する。さらには俺が演じている、覆面貴族としての在り様をだ。
そもそも貴族社会において、表裏を持たぬ者、虚実を理解せぬ者、清濁併せ呑むことの出来ぬ者は、無能でしかない。それを否定し、無私無欲であれ誠実であれと唱える愚直な貴族の多くは、我がインシルリク家のように没落するだけだ。
貴族には貴族の地獄がある。それを知ってもらおうとは思わん。
「マスク・ド・バロン、いざ参るッ!」
他者に作り上げられた虚像を演じつつ、いつしか身の内に“覆面貴族としての自分”を感じられるようになっていた。それは俺であり、俺ではない。清廉実直な貴族という理想であり夢想、そして没落した我がインシルリク家の愚かさの象徴であり虚像だ。
「キイイイッ、ァアァ!」
オサーンの攻撃は、またも突進から大振りの剛腕だ。こちらが退がるか受け止めるかで追撃を組み立てているのだろうが……
「「「おおおぉ……ッ⁉」」」
俺は地面に張り付くほどに伏せて、高速の水平回転蹴りを繰り出す。タイトは、“すいめんげり”とかいったか。全力で振り抜いた脚でオサーンの足首を刈ると、巨体が呆気なく宙に舞った。俺はそのまま回転を止めず、連続の蹴りで弾き飛ばしながら立ち上がる隙を与えない。
必死に距離を取ろうとする相手を執拗に追い詰め、跳ね起きようとするたびに手首や足首への回転蹴りで転がす。
「ガアアアァッ!」
オサーンは、対戦者から翻弄されるとすぐに激昂する。いまも逃げることを放棄して蹴りを受け止め、上空から叩き潰そうと跳ね上がった。わかりやすい男だ。
「ふッ」
逆立ちの回転蹴りで迎撃しながら立ち上がると、そのまま“宙返り蹴り”で顎を蹴り上げる。直撃はしなかったが、明らかに苛立っている。
低く構えてつかみ掛かってくるビーストの両手を、ふわりと飛び上がって躱す。ひねりを加えた飛翔で頭上を通り過ぎると、翼のごとく両腕を広げて優雅に直地して見せた。
「良いぞー!」
「「「バロン! バロン! バロン!」」」
オサーンに背を向けたまま両手を広げ、嵐のような拍手と歓声に応える。後ろでオサーンが怒りの唸り声を上げるのが聞こえた。感じられる気配からして演技ではなく、本気で屈辱に震えているようだ。
向き直った野獣は案の定、憤怒の表情で顔を真っ赤にしている。
「誰が、曲芸で倒せないと?」
俺はダンスでも申し込むかのように、気取った姿勢で手を差し伸べる。もちろん舞踏会など行ったこともないし、ダンスなど習うどころか見たこともない。
叫び声を上げながら向かってくるオサーンを迎え撃ちながら、頭のどこかで自分らしくない行動だと訝しむ。そう感じたのは初めてではない。思うがままに演じているうちに、自分が“エイダ・インシルリク”なのか、“マスク・ド・バロン”なのか、それとも馬鹿鳥エントなのか、わからなくなる。
どれであろうと、どうでもいい。きっと、どれでもあって、どれでもないのだ。
俺は血と汗を身にまとって、力の限りに戦い続ける。まばゆい光に包まれ、熱に浮かされたようになって。自分がなにを成そうとしているのか、どこに向かっているのかも、わからなくなる。わかっているのは、ひとつだけ。
俺が追い求めているものは、この光の先にあるということだけだ。
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