第20話:リアルモードの激突と、死のピン(Ping of Death)
「アナログ回線なんて、今の日本にはもう1回線も残っちゃいないんだよ、ジョウさん」
オアシス幕張の管理室で、イザベラさんは電動車いすの横のブラウン管(CRT)モニターを睨みながら冷徹に言い放った。
「ピーヒョロ音でダイヤルアップする時代はとっくに終わったのさ。すべては光ファイバーのIP網に移行しているんだ」
通信スピーカーの向こうで、ネオHeavenのジョウさんが悔しげに歯噛みする音が聞こえる。
最新のメタバースは640KBの壁に弾かれ、古い固定電話回線はインフラごと存在しない。
しかし、ジョウさんの頭脳に宿る『Mojo』システムは、すぐさま次の算法を弾き出した。
「フッ……ならば、こちらも贅肉をすべて捨て、剥き出しの『生のIPパケット』でそのリアルモードを叩き潰すまでだ!」
ジョウさんがキーボードを叩いた瞬間、オアシス幕張のネットワークカードが、かつてない異常な明滅を始めた。
『警告、警、告……! 外部座標より、ネットワークの根本を揺るがす、最大サイズの生パケットが超高速で連射されています……! 処理が……追いつきません!』
管理AIの音声が恐怖でひっくり返る。
ジョウさんが仕掛けてきたのは、ネットワークの黎明期から存在する最も原始的で凶悪な攻撃――『死のピン(Ping of Death)』だった。
WEBブラウザも、暗号化プロトコルも使わない。ただ黒い画面から、IPネットワークの疎通を確認するためだけのpingコマンドを、規格上の最大サイズ(65500バイト)へと巨大化させ、Mojoの3万5000倍の処理速度でオアシス幕張へ向けて一秒間に数億発も連射してきたのだ。
「ぐっ……! 生のパケットの物量作戦かい!」
パー子姉さんがPythonのコンソール画面でトラフィックを遮断しようとするが、パケットの数が多すぎてバッファが瞬時に埋まっていく。
イザベラさんのブラウン管モニターにも、無数のパケット受信ログが滝のように流れ落ちる。
Reply from 192.000.1.1: bytes=65500...
Reply from 192.000.1.1: bytes=65500...
「ハハハ! 16ビットのMS-DOSよ、その細い640KBのメモリバッファで、この巨大なパケットの濁流を捌ききれるかな!?」
ジョウさんの冷徹な勝利の宣告が響く。
基本メモリが少なすぎるイザベラさんのMS-DOS環境では、この巨大なパケットを一つ受信するだけで、メモリ領域が瞬時にオーバーフローしてシステムが「完全にハングアップ(即死)」してしまう。
まさにリアルモードの防衛線が突破されかけた、その瞬間――。
「イザベラさん! 遮断のバッチファイル(.BAT)は私が裏で書き換えておいたわよ!」
管理室の隅で、タエコおばさんが「鉛筆書きのメモ」をイザベラさんの手元に叩きつけた。
そこには、かつて平成のギークたちが夜な夜なパケットの衝突を回避するために弄り回した、魔法の環境設定コードが書かれていた。
「フン……素晴らしいアナログのデータスタック(主婦のメモ)だね、タエコさん!」
イザベラさんはニヤリと微笑むと、メカニカルキーボードを凄まじい打鍵音で叩いた。
C:\> COPY CON AUTOEXEC.BAT
DEVICE=C:\DOS\HIMEM.SYS
DOS=HIGH,UMB
「ジョウさん。あんたはパケットのサイズを大きくすれば私が死ぬと思ったかい? 私はねぇ、プロトコルスタックのバッファを、コンフィグで最初から『コンベンショナルメモリの外(ハイメモリ領域)』へ例外処理(プロテクトモード退避)させているんだよ!」
イザベラさんが設定をリロードした瞬間、オアシス幕張のルーターに届いた65500バイトの巨大パケットは、イザベラさんの基本メモリに1バイトも触れることなく、すべてハイメモリの虚無へとそのまま素通り(ドロップ)させられた。
何億発撃ち込もうが、ダメージは完全にゼロ。
「ば、馬鹿な……! 我がMojoの放った死のパケットが、ただのテキスト設定(AUTOEXEC.BAT)の3行ごときに、すべて無効化されたというのか!?」
「贅肉のないシンプルなOSってのはね、防御の仕方も一瞬さ。さあ、今度はこっちの番だよジョウさん!」
イザベラさんが不敵に笑う。




