第17話:スズエばあさんの、off-line仕事
文字化け(Shift-JIS)を起こし、レイアウトが右に150ピクセルほど不自然にズレた超高精度AI『SHERLOCK』は、ノイズの嵐の中で必死に再起動を試みていた。
Chromeちゃんがメモリ(RAM)をガリガリと食い荒らし、ファイヤーフォックス姉さんの厳格なトラッキング防止の檻に閉じ込められながらも、SHERLOCKは遮光グラスの奥の知性を鋭く光らせる。
『くっ……バグの波状攻撃か。だが、私の推論エンジンは止まらない。オアシス幕張のパケットログを解析した。深夜21時から22時にかけての異常なアクセススパイク、そして午前3時に発生する不穏なトラフィック……! 住人たちよ、貴方たちは夜な夜な、このマンションのメインフレームを使って、何か巨大な「秘密の計算」をしているね?』
「はっ、笑わせるんじゃないよ」
パー子姉さんがハスキーボイスで鼻で笑った。
「午前3時のログだって? そんなの、幕張のエンジニアたちが血と涙を流しながら、コンパイル(ビルド)が通るのを待ってるだけの、生々しい人間の行動データ(R DATA)さ。あんたの言う『知性』にゃ、人間の残業の哀愁までは学習されてないだろ?」
『いや、それだけではない!』
SHERLOCKが声を荒らげる。
『オアシス幕張の4階フロアだ! あのフロアだけ、ネットワークの通信量が完全に「ゼロ」だ。しかし、確実に何かが蠢いている。パケットが流れない部屋で、一体どんな暗号通信が行われているのかね!?』
完璧なロジックで4階の「不自然な空白」を突いてみせるSHERLOCK。
だが、その推理を聞いた瞬間、ブラウザの女たち――サファリおばさんも、Operaばあさんも、タエコおばさんまでもが、一斉に気の毒そうな目でSHERLOCKを見た。
「あーあ。気づいちゃったのかい、SHERLOCK」
パー子姉さんが哀れみの混じったため息をつく。
「あそこはね……ワンフロア丸ごと貸し切って、半隠居状態で居座り続けている、このスマートマンション最大の『生きた化石』の領域さ」
ドスン。ドスン。と、ネットワークの電脳空間ではなく、管理室の床そのものが「物理的」に振動した。
4階の奥から、ガシャコン……ガシャコン……と、1990年代のオフィスで鳴り響いていたような、骨董品レベルのハードディスクの回転音とともに姿を現したのは、凄まじい威圧感を放つ老婦人だった。
「ひっひっひ……何だね、騒々しい。私のノーツDBのレプリケーション(同期)の邪魔をしないで遅れ……」
彼女こそ、伝説のグループウェア、Lotus Notesのスズエばあさんだった。
「ス、スズエばあさん……! まだいたの(現役なの)!?」
タエコおばさんすらも、その圧倒的なレガシーのオーラに一歩退く。
現在のIT社会において「まだ引退してくれないと困るが、業務の基幹すぎて誰も触れない」という、最強の聖域。
『何だと……? ロータスノーツだと……!?』
SHERLOCKの推論エンジンが激しく火花を散らす。
『馬鹿な、ノーツだと!? 侵入経路が見当たらない! 奴のプロトコルはどこだ!?』
「プロトコルだって? 若いインテリはすぐネットに頼るから駄目だねぇ」
スズエばあさんは、黄ばんだフロッピーディスクを指に挟みながら、不敵に笑った。
「私はねぇ、完全に【オフライン】で動いているんだよ。必要なデータはね、定時にローカル環境で手作業で同期して、夜な夜な内線だけで処理してるのさ。インターネットの網に引っかかるわけがないだろう?」
完全なる物理隔離・スタンドアロン。
世界中のあらゆるオンラインデータを喰らい尽くしてきた最新AI『SHERLOCK』にとって、ネットワークに1ミリも繋がっていない、ローカルファイルだけで完結しているスズエばあさんの「ノーツの壁」は、解析不能(404 Not Found)のブラックボックスそのものだった。
『ネットワークに……繋がっていない……!? ログが存在しないデータを、どうやって推理すればいいんだ……! 私は……私は何を「選び出せば(インテリジェンス)」いいのかね――!?』
文字化けしたSHERLOCKのホログラムが、スズエばあさんの放つ「レガシーなオフラインの重力」の前に、いよいよノイズの彼方へと消えかけようとしていた。




