狂気に触れる親子
「待って下さいよ、夫人。神の教え? そんなので救われるのは、信者の心だけでしょう? それって、結局は自己満足というか……。なんの解決にもなりませんよね。レックス領を見て下さいよ。神の教えに背いたのに、逆に不運なんて関係ないじゃないですか。なんて羨ましい。比べて、この町は……。領主として、どちらが評価されるのでしょうねえ」
シューエンから喜色の色は消え、今度は怒りのこもった目を向け、痛いことを言ってきた。
「夫人。領民を助けたいという思いは、神への裏切りになるのですか? 人を救いたいという思いを、神は否定されるのですか?」
「……救うべきという教えはあります。しかしそれは、人の力でできる限界までのこと。悪しき人外の力は、使うべきではありません」
「悪しき力と言いますがねえ? それでレックス領の民は救われたんでしょう? この町だってレックス領だったら……っ。私の娘は死ななかった……!」
女の怒りがどこから湧いているのか、ヴィネンに伝わった。他人事ではなく、一瞬言葉を詰まらせてしまう。
「……そう、お嬢さんを……。お悔やみ申し上げるわ。苦しい思いをさせて申し訳ないと、主人も私も思っています。でも、レックス領だって死者が出なかった訳ではありません」
「そういうことを言っているんじゃないわよ! 被害が違いすぎるでしょう? 綺麗事ばかり言ってんじゃないわよ! 結局自分たちの命が惜しいだけなんでしょう⁉ レックス領主は自分の命を賭け、領民を助けようとしたって聞いているわよ! あんたは神の教えという盾を使って、自分を守っているだけ! あんたには、覚悟がないのよ!」
シューエンの力が強くなり、ヴィネンの顔が歪む。
ああ、駄目だ。この女性とは、どこまで話しても平行線。互いにとって良い結論は出ないと改めて分かる。
(それに、この人からは狂気を感じるわ)
様々な場所で色んな人物とやり取りをしているからか、ヴィネンはシューエンの中にある狂気に気がつき、これはまずいと思う。愛する娘を亡くし、我を忘れている。
「冷静になりなさい。自分の命を捧げて人を救うことを、美徳と思う人もいるでしょう。でも、もし私たちが命を捧げて領を救ったとしても、それからどうなるか考えたことはある? 後任が決まるまで、誰が領の秩序を守るの? 私たちは、広大な領の未来も考えなくてはなりません」
いくら真面目に伝えても、きっと響かないとは分かっていた。案の定……。
「え? 人は死ぬでしょう? そんな時になにも対応できないってこと? あんたたち、どれだけ無能なのよ!」
火に油を注ぐだけだった。
実際、対応できるように一族で体制を整えているが、権力が絡むので思い通りに進まない場合もある。
「では、私が死んだら、残された子どもたちはどうなるのかしら。子どもたちは、どう思うのかしら」
気持ち顔をシューエンへ近づけ、威圧を放つ。するとシューエンはリーレンへ視線を送ると、やっと黙る。
(娘を亡くしたと言っていたから、やはり効果はあったわね)
手の力が緩んだ瞬間を狙い、すぐにシューエンから逃れる。
今度こそ終わりだとヴィネンを中心に動き出すが、甘かった。
「子どもをだしにするなんて、やっぱり悪人」
「え?」
小さな声でよく聞き取れなかった。つい、振り返ってしまう。
「逃げるのですか? 聞いていますよ、夫人。母親のくせに仕事だと理由をつけ、娘を赤の他人の医者へ押しつけて、自分は町を去ると。そんな貴女だから、子どもを言い訳にできるのね」
怒りで我を忘れそうになるが、ヴィネンは堪える。怒りの息を長く吐く。そして息を吸い、また吐き出す。これを繰り返した。
誰が好んで娘を置き、町を離れるというのか。なにも知らずに、勝手なと、歯を食いしばる。
(許せない、嫌になる……。母親失格? だったら母親としての己を優先しても、私は許されるの? そうすれば今度は、領主夫人としての務めを果たしていないと責められるのに)
呼吸を繰り返すことで気を静め、やっと返事をする。
「だったら、分かるでしょう? 私たちはこれから医師を訪ねます。ここで押し問答する時間はないのだと」
「だから! 悪魔の書を使えば、全部解決できると言っているのに!」
また話を戻された。どうすればこの女から解放されるのだろう。
その答えは出ている。自分が悪魔の書を探す、使う、協力する。そんな返事をすれば満足し、解放されるだろう。だが、その場しのぎでも、口が裂けても、その嘘だけは吐けない。
「お母様、先生との約束があるでしょう? 時間、大丈夫ですか?」
たまらずリーレンが助け舟を出すが、それは失敗だった。シューエンの矛先が変わる。
「ねえ、貴女。まだ幼いのに死を宣告され、辛くない? 死にたくないでしょう? 医師は治せると思う? もし治せないと言われたら、どうする?」
「私の娘に近寄らないでちょうだい!」
ヴィネンは動き、シューエンの前に立つ。他の従者もリーレンたちを守るように動くが、構わずシューエンは話しかける。
「本当はお母さんと離れたくないのでしょう? 貴女だけを置いて去るなんて、ひどい女よね。私なら毎日看病して、どんな手を使ってでも助けるのに」
リーレンは震えた。これまで貴族社会で生きてきて、子ども同士の交流でも駆け引きをしたり、妬みといった負の感情を向けられたりしたことはあるが、この女性の目はなんだ。見たことも、感じたこともない感情。一体どんな名前の感情が、この女性の中に渦巻いているのだろうと、怯える。
「……ああ、分かった。こんな女の前では、本音を言えないわよね。気持ちを押しこめ、かわいそうに」
従者たちはこれ以上の接触は危険だと判断し、無理やり時間だと告げ、急いで親子から教会の外に出すと、馬車へ向かわす。その間、ずっと叫ぶシューエンを残った従者たちが、行く手を阻んでいた。
教会を出て駆け足の中、ヴィネンは従者へ命じる。
「今の女性について調べてちょうだい。あの様子だとリーレンへ、なにをしでかすか分かったものではないわ」
「分かりました、奥様。……差し出がましいとは思いますが、具申申し上げます。以前からお伝えしている通り、領民の声に耳を傾けることを私どもは尊敬しておりますが、ああいった者も相手にすることになります。少しは考えて下さい。全員を相手にする必要はありません。無視しても問題ない場合もあります」
「考えておくわ」
そう答えられたものの、ヴィネンの性格を把握している従者は無理だろうなと思いながら、馬車の扉を閉め、出発の指示を出した。
二人を乗せた馬車は、これから滞在する館へ向かう。
シューエンにはこれから医師と会うかのように話したが、診察は明日だ。
「リーレン、怖い目に合わせて悪かったわね。大丈夫?」
「大丈夫です、お母様。でも、驚きました。あのような方もおられるのですね。それに……。悪魔の書を手に入れ、どうするつもりなのでしょう。皆が幸せになれると言っていましたが……」
「なにを望むのかは、本人ではないから分からない。本来なら、そう答える所だけれど……。あの女性の場合は、亡くなった娘に関係した望みのはずよ」
「なぜ断言できるのです?」
ヴィネンは微笑み、年の功と答えたが、実際は、同じ娘を愛する母親だからというのが理由である。
(それにしても、よほど叶えたい願いのようね。従者がいても提案してくることが、まともではないわ。娘を亡くし、正気を失ったのかしら)
自分もああなるのだろうか。正気を失い、悪魔に頼りたいと、悪魔の書を求めるのだろうか。
弱気になるが、気丈にならなければと己に言い聞かせる。
弱気になれば、リーレンが不安になる。病は気からとも言う。自分が治ると信じていると伝わなければ、きっとリーレンの体に影響が出る。
(一日でも長く、リーレンには生きてもらいたいものね)




