ヴィネン、邂逅する
翌日、昨晩についてシュールたちに微塵とも罪悪感を抱かず、ただ町を歩いていたシューエンの耳に、やっと領主夫人たちが到着したという話が届いた。
「先に教会へ行ったそうだ。神頼みってやつかね」
教会という単語を聞くなり、急いで足を動かす。
幸いにして位置は遠くないが、到着して足を止めた時、肩が大きく上下に動き続ける。
すでに教会を囲むように、人垣が出来ている。
教会近くには、確かに見たことのないほど豪華な馬車を中心に、数台の馬車が停まっている。領主という貴族の金持ちなら、あの馬車でも当然に見え、噂は事実だったのだと喜んだシューエンは。敷地内に入ろうとする。
「退いて、通して」
余命僅かの娘とは誰だ、噂は本当かと、興味から集まり遠巻きに眺めていた野次馬が多く、なかなか進まない。誰も貴族がいる教会内へ入ろうとしないので、動こうとすらしない。
(邪魔、邪魔、邪魔! こいつら皆、邪魔よ!)
仕方なく強い力で人に体当たりを繰り返し、やっと人の垣根をかき分け敷地内へ出る。そのまま教会へ向かうシューエンに、大勢が驚いた。
「おい、あんた。今、教会には貴族様がいるよ。邪魔しちゃあ、どんな目に合うか分からんぞ」
親切な誰かが声をかけるが、無視してシューエンは教会の扉を開けると中に消えた。
「耳が聞こえないのかしら」
「怒りを買わなきゃ良いけどな」
皆の会話が聞こえることなく、シューエンは教会へ入ると祭殿へ向かう通路を、まるで花嫁のように真ん中を歩く。祈りを捧げ、背中を見せる女性に向け、一歩、一歩、また一歩と足を動かして進む。
ヴィネンたちの従者たちは、シューエンが教会に入ってきた時点から警戒していた。
ヴィネンは何者にも、教会への立ち入りを禁止している訳ではない。だが、貴族がいる場へ平気に入りこむ、度胸のある平民は少ない。なにしろ権力者、身分が上の本来会えないはずの人物から、万が一不興を買ってしまえば、どうなることか分かったものではない。だから大抵、躊躇する者ばかりだ。
もし一般の信者が訪れたら、彼らの邪魔をしないようにヴィネンから命令されていたが、一般常識から起こりえないと思っていた。
(教会へ来たにしては、妙な雰囲気を持つ女だ。神聖な場に似合わない笑みを浮かべているし。何者だ? 不運の年から、貴族や領主へ恨みを持つ者が増えたから、警戒を怠ってはならない)
剣の柄を握る従者たちを気にすることなく、迷いなくヴィネンの背後に立つと、シューエンは口を開く。
「領主夫人」
目を開け、ゆっくりと顔を上げ振り向いたヴィネンの視界に、初めてシューエンの姿が入る。恰好から町の住人だと見当はついた。薄い安物の生地の服に、使いこまれた靴。一目で富裕層ではないと分かる。
信者の邪魔をするなと命令はしたが、まさか教会での祈りを中断されるとは思わなかった。随分と無作法な者がいるものだと思うが、領民を無視できない。
「なにか私に用事でも?」
「ええ、レックス領に関係しています」
その返事に内心うんざりし、またかと思う。
どこよりも早く復興し、不運の年なんてなかったかのように、豊かなレックス領へ移住したいと望む領民が増えているのだ。
不運の年の影響が残る土地で苦しい生活を送るより、豊かな土地へ移りたいと思うのは自然なこと。しかし、自分たちの至らなさを突きつけられ、いつまでも慣れない。
だが次のシューエンの放った言葉は、想像もしていないものだった。
「レックス領で使われた悪魔の書は今、どこにありますか? 夫人がお持ちではありませんか? 悪魔の書はどうやったら、手に入れられます? レックス当主と同じ貴族なら、ご存知ですよね?」
笑みを浮かべ、両手を組み、期待するような眼差し。期待している姿にぞっとしつつ、これなら移住したいと相談された方がましだと、初めて思う。
従者たちもあまりの内容に唖然とする。まさか教会という神聖な場で、神を冒涜する者が現れるとは、誰が想像できただろうか。
敬虔な信者であるヴィネンは、馬鹿らしいと冷たく言う。
「祈りを遮られてまで話しかけてくるので、一体どんな内容だと思えば……。私が知るはずがないでしょう。同じ貴族とはいえ、我がホウネル一族は、神の教えに背くモノに興味を持ちません。ですから、書を持っていませんし、入手方法も知りません。行きましょう、リーレン」
急いでシューエンと離れるべきだと判断し、長椅子に寝そべっていた娘へ告げれば従者の一人が動き、彼女を抱きかかえる。そのままシューエンを無視して教会を去ろうと動き出したが……。
「本当に知らないのですか? 独り占めしようとしていません? 娘を助けたくないのですか?」
足が止まる。
もちろん助けたい。助けたいから無茶をして、この町を訪れている。一度息を吐き、口を開く。
「貴女は悪魔の書を使えば、娘が助かると言いたいのね」
瞬間、シューエンの顔が喜色に染まる。
なぜ、この女がリーレンについて知っているのか。きっと医師を訪ねる噂が広まっているのだろうと、見当はついた。だがヴィネンのそんな気持ちに構わず、喜々としてシューエンは言葉を放つ。
「ええ、ええ、その通りです。悪魔の書を上手く使えば犯罪者はこの世から消え、望みは叶えられるし、皆が幸せになります。だから、協力しませんか?」
ヴィネンは自分と向かい合う女の正気を疑った。
この女にとって教会で崇められるのは神ではなく、悪魔の書なのだろうか。言いようのない不快感に襲われ、これ以上会話を続ける気になれない。
夫も同じようなことを言ったが、本気ではなかった。自分もすがりたい気はある。これが神に通じる書なら、なんとしてでも入手しようと躍起になっただろう。だが、道を外す気はない。例え目の前に置かれても、手を伸ばさないと決めている。この頑固な性格が、悪魔たちにとって厄介と思われていると、本人は知らない。
「先ほども言ったでしょう? 我が一族は神の教えに背かないと」
今度こそ、この女との話は終わりだ。シューエンの横を通ろうとした時、急に腕を掴まれた。同時に従者たちも動き、剣の先をシューエンに向けるが、動じず、笑みを浮かべたまま。その様子に、多くの者がぞっとする。




