狂気とライデンの焦り
一方でシューエンもまた、領主親子について噂していた女性たちの会話を耳にしていた。
一体皆、どこで情報を仕入れてくるのだろう。不思議に思いつつ、領主なんかよりも、誰かが悪魔の書を持っていたと話してくれないかと思っていると……。
「でも奥様は仕事があるからと、長くても一週間くらいしか滞在しないそうよ」
「一週間で治るなら、不治の病とは言わないわよね。まさか、娘を医者に押しつけて逃げるのかしら。それでも母親なの? 良い領主だと思っていたのに、残念だわ」
真偽不明な噂だが、シューエンは信じられないと怒りを抱く。
(この人たちの言う通りだわ。それでも母親なの? 娘を見捨てるなんて許せない、信じられない。母親なら仕事より、娘を優先させなさいよ。最低な奴)
そんな相手に敬意を払う必要はあるか。いや、ない。こんな領主が治めているから、いつまでも苦しい生活を強いられているに違いない。
「人の苦労も知らない、世間知らずが……」
すっかり夫人は悪人だと疑わないその瞬間、閃いた。
(そうだわ。そんな非道な奴なら、悪魔の書について知っているかもしれない)
なぜこの町に信心深い者が多いのか。その理由を怒りにより忘れたシューエンは、チャンスだと思った。
人として最低でも構わない。接触する価値はある。医師を頼るくらいだ。相手だって、娘を助けたい気持ちが少しはあるのだろう。つまり、自分と同じく悪魔の書を探し求めているのかもしれない。それなら悪魔の書について知っているかもしれない。
(娘を助けるのなら、悪魔にだって魂を売れる。そうでしょう? きっと夫人なら、悪魔の書について知っているはずよ)
思いこみにより、シューエンは狂気の域に達していた。内に狂気を抱え、領主親子の到着を待つことに決める。
◇◇◇◇◇
到着前日、シュールは誕生日を迎えた。今年は久しぶりに、堂々と祝ってやろうと決めたライデンは早引けすると、花屋へ寄って小さいが可愛らしい花束を注文した。それから奮発して、お菓子も買う。
(少し高かったが、年に一度のお楽しみだ。懐は痛かったが、俺が酒を控えれば良いんだ。シュールも喜ぶぞ)
妻が選んだ贈り物は絵本。だから被らない品を選んだ。帰宅するのに、足が軽いのは久しぶりだった。
「ただいま」
ところが明るい声を出しドアを開けると、いつものようにシュールが台所に立っていた、妻はというと窓の外を眺めているだけで、ライデンは戸惑った。想像していたのと違う様子だが、自分の帰りを待っていたかもしれないと思い、着替えずシュールへ近づく。
「シュール、交代だ。なにしろ今日はお前の誕生日だからな。父さんに祝わせてくれ」
声をかければ振り返った娘が、すぐ花束に気がついた。どこか照れたように、嬉しそうにはにかみながら顔を赤らめる。それを見て、ライデンの心も温かくなる。
「この花束はプレゼントだ。あと……」
「ありがとう、パ……」
柔らかい空気を割くように、花束を奪ったのはシューエンだった。突然のことに、一瞬なにが起きたのか二人は理解できなかった。
「なによ、これは」
「え?」
目を吊り上げ、怒りを隠そうとしない妻の様子にライデンは困惑しつつも答える。
「なにもどうも、今日はシュールの誕生日じゃないか。贈り物をすることが、おかしなことか? 君だってプレゼントを用意しているだろう?」
先ほどから一転し、怯えたように顔を青くして俯くシュールの肩に、ライデンは大丈夫だと伝えるように、片手を乗せる。
娘を亡くして以来、何度もあったから分かっている。こんな目と口調の時のシューエンには、逆らうと逆上して余計面倒なことになると。だが今日はシュールの誕生日で、プレゼントの絵本を探していたではないか。だからライデンも反論したのだが……。
「あの子は直接花束を受け取れないのよ⁉」
愕然とする。
絵本を探していたのに、妻は一体なにを言っているのだろう。これでは昨年までと同じではないか。今年はやっとこれまで色々我慢させていたシュールを祝ってやれると思っていたのに。勘違いだったのか? だったら、妻は誰へのナニを探していたのだ? 頭の中で疑問が尽きない。
「あんたも喜ぶなんて、酷い姉ね。妹は今も一人、暗く冷たい土の中にいるのよ? そんなあの子の気持ちも考えず、よく受け取ろうとしたわね」
「ご、ごめんなさ、い……」
反射的に口から謝罪の言葉は出たが、一体自分はなぜ謝っているのか分からない思いもあった。ただこの状態の母親に逆らうのは得策ではないと、分かっている。反射的に、嵐が過ぎるのを待つように、刺激しないことを我慢して選んだに過ぎず、反省からの謝罪ではない。
混乱している二人を気にすることなく、シューエンは罵倒し続けた。さらに花束を床に叩きつけると踏みつけ、無残にも足を動かして潰す。シューエンにとって花束も二人も、亡くなった娘を裏切っており、許せるものではなかった。怒りで我を忘れ、感情を制御できないまま、ただ衝動的に可憐な花束へ苛立ちをぶつけ続けた。
それから自分は亡くなった娘の代弁者だと、しばらく罵倒し続けたが、二人はただ黙って聞いているだけだった。
すっかり怯え肩を落としたシュールへ、妻の目を盗み、お菓子を贈る。だが受け取ったシュールの笑顔は弱々しく、このままでは駄目だとライデンを思わせた。このままでは、シュールまで壊れてしまうと。
(恥とか言っていられない。一日でも早くどうにかしなければ、俺の家が滅茶苦茶になる)




