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不安からの尾行

 漂い霧散する紫煙(しえん)を眺めながら、人間に化けたその悪魔は思う。


(やれやれ、運は向かなかったらしい。興味を向けることに成功はできたがね)



◇◇◇◇◇



 露店を離れながらシューエンは、悪魔の書がどこにあるのかと考える。


(書と呼ばれているくらいだから、本なのかしら。それとも巻物? 一枚の用紙? 本を取り扱う店に置いてあるの? でも悪魔の書を売っていますなんて店、一度も見たことがないわ)


 一体レックス領主は、どこで悪魔の書を入手したのだろう。貴族や金持ちには、なにか特別な入手ルートがあるのだろうか。そうだとすれば、平民の自分に入手は難しいのではないか。


(いえ、諦めるのは早いわ。どこかの村や町の人が使ったという言い伝えがあるから、平民でも入手できるはず。探せばきっと、どこかにあるはず)


 だがシューエンには入手以外にも、気がかりなことがあった。

 入手できても、文字が読めるかという点だ。文字の読み書きが苦手なので、不安が捨てられない。

 これはシューエンが子どもの頃、不真面目だったからという問題ではない。

 この国では学校へ通うことは義務化されておらず、地方や貧しい者たちは学校へ通わないことが珍しくない。この辺りでも長期に渡り教育を受けるのは、一握りの者のみ。


 さらにこの数年、不運の年の影響により、子どもを学校へ通わす家は減った。通学させるお金を払うより、目の前の食料を買うと優先させる家が増えたのだ。

 もちろん学があれば将来、役立つことがあると分かっているが、先立つモノがないから仕方がないと、大人たちは諦めている。


 各地に点在する教会によっては無償(むしょう)の好意から、誰にでも初歩的の計算や文字の読み書きを教えている。特に有名なのが、王都の教会にいるアインである。彼は望めばそれ以上の教育に、手を貸してくれると評判だ。

 金を受け取り、教鞭(きょうべん)を振るう者たちにとって、アインは目障りな存在だった。だが彼の支持者は多く、下手に攻撃できなかった。攻撃すれば、逆に自分の評判が悪くなり首を絞めることになると分かっているからだ。さらにこの数年は生徒数が減少し、アインを憎く思う以前に、転職する者が増えた。客のいない商売など、いつまでもしがみつくことはできない。


 現在はそんな状況だが、シューエンの実家は裕福ではなかった。人並の生活を送れていたが、両親は女には最低限の知識さえあれば良いという考えもあり、早く働き、嫁いでほしいと、それをシューエンに強要もした。

 さらにシューエン自身、周囲と比べて学びの覚えが人より悪かったので、余計に最低限だけ習うと無駄金は払えないと学校を辞めさせられた。

 これまで困ったことはないが、今になり亡くなった両親を恨む。


(もっと学校へ通わせてくれていたら……。悪魔の書を見つけた時、文字が読めるか心配することもなかったのに)


 しかし完全に文字が読めないことはない。全文読めることを祈りつつ、シューエンの悪魔の書探しは始まった。

 本来ならそろそろ、シュールについて学校へ通わせるか決めるべきだが、その悩みすらシューエンの中には浮かばない。今の彼女にとって娘は、亡くなった子しかいないようになっていた。



◇◇◇◇◇



 ライデンにとって理由は分からないが、妻の様子に変化が起きたことを、好意的に捉えていた。

 年数はかかったが、やっと気持ちの整理がついたのだろう。だがその予想は、すぐに誤りだと気がついた。

 毎日外出しているのに、なにも買わない。ただの散歩でもないことは、日増しに苛立ちを隠せない様子から察した。

 なにかぶつぶつ呟くことも増え、そんな時の目が尋常ではない。悪化しているのではないか。このまま放っておけば、取り返しがつかなくなるのではないかと感じ、シュールが寝たのを見届けると話がしたいと言い、妻と向かい合うことに決める。


「最近よく外出しているようだが……。なにかあったのか?」

「………………」


 ライデンは腹を決めたが、シューエンは着席をしてくれたものの、返事をしない。


「誰かと会っているのか? 新しい友人ができたとか」


 不倫を疑っている訳ではないが、これにも反応はなかった。

 短いこのやり取りから、なにかを隠していると確信した。それも人に打ち明けられない、嫌な部類だと。

 それがなにか知りたくても会話は続かず、一方的にシューエンが「もう寝るわ」と言うなり席を立ち、会話は終了した。夫婦の交流を持てないと、改めて突きつけられ、ライデンは重い息を吐く。

 それでも放っておけないと、不安が拭えないライデンは仕事を休み、こっそりシューエンを尾行することにした。


 なにが目的かは分からないが、露店や様々な店に行っては、品揃えを真剣に眺めている。なにかを探しているのだろうか。お目当ての品は見つからないらしく、店を離れるたび、落胆(らくたん)している。

 立ち寄った店の共通点は、本を取り扱っているという点で、ますます妻の行動が分からない。

 シューエンは読書家ではない。たまに娘たちへ絵本の読み聞かせはしていたが、その絵本も人からもらったもので、シューエンが購入したものではない。妻が自ら本を買う姿を、どうしても想像できない。それなのになぜ。疑問は悪い方ばかり想像させ、ますますライデンを不安にさせる。


「なにかお探しですか?」


 ある露店で店員がそう話しかけ、ライデンはしめたと耳をすます。

 悪魔の書を探していると言えないシューエンは、うろたえた。本来機転を効かせるべきだが娘を亡くして以来、人との付き合いや会話が減り、どう接すれば良いのか分からない。なにかを答えなければと焦り、言葉をつっかえながら答える。


「ほ、本を……。えっと、あの、え、絵本……。そう、絵本! 娘に……」

「お子さん用ですか? 絵本はあちらの下段に置いてありますよ」


 教えると店員は別の客に呼ばれたので離れた。それでも怪しまれないようにシューエンは、仕方なくしゃがみこむと絵本の背表紙を眺める。

 その流れを見ていたライデンは、なんだ、自分の不安は杞憂(きゆう)だったのかと安心した。


(そうか。なんだかんだいっても、シュールの誕生日を覚えていたのか。絵本は幼稚な気もするが、まあ良いか。なんだ、全部俺の考えすぎだったのか。不安になりすぎたな)


 たまさかシュールの誕生日が近かったこともあり、シューエンが指す娘というのがシュールだとライデンは疑うことなく、尾行を止めた。


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