シュールを襲う言葉
一日中、館を見張るように立っている女がいると、町中へ噂が広まった。
さらに夫人たちが祈りを捧げている教会へ入った、あの制止を無視した女性と同一人物だと気がついた者もおり、噂は加速する。
それを耳にした近所の者は、なぜ領主の使いがシューエンについて尋ねてきたのか、なんとなく理解した。だがそれについて、近所の者で話をすることはなかった。シューエンが娘を亡くしてから変わったことに、皆、気がついている。
きっと娘が亡くなったのは、領主のせいだと恨んでいるからだろうと、誤解している者が多かった。以前、そんな噂が流れたからだ。怒りの矛先が分からず、夫人へぶつけたに違いない。罰を受けなかっただけ、良かった。
今さら近所の者で、こんな答え合わせを誰もしなかった。
他の町の者にとって不思議なのは、明らかに館をじっと見る不審者がいるのに、門番たちが動かないことだった。
町の者は知らないが、ヴィネンがシューエンには近づかないよう、命令を出している。
門番たちはシューエンがいることを把握しており、伝達しあい、警戒はしている。だが、あからさまに気にしているように、凝視しない。いないモノとして扱っている。
異様なこの光景は、大人だけではなく子どもにも伝わる。それというのも、大人にとってシューエンは、明らかな不審者。気味が悪いので、子どもに被害が及ばないように、あの女性には近寄るなという忠告を告げる者が大勢出たのだ。
「お前の母ちゃん、おかしいんだってな」
にやにやと笑いながら、近所に住む三人組の男の子たちが、買い物をしようと家を出たシュールに話しかけてきた。
この三人は一緒につるみ、弱い者をいたぶる趣味があり、好いている者は少ない。そんな者たちを相手にすることはないと、シュールは無視をして、素通りしようとする。だが笑みを崩さない三人の内の一人が、彼女の背中に向け、さらに言葉を投げる。
「町中の噂になっているぞ。領主様の館を見張っている、怪しい奴だって」
知らなかったシュールは驚き、つい振り向いてしまう。その反応が三人を、愉快な気持ちにさせる。
「俺の友だち、母ちゃんに言われたってよ。お前の母ちゃん、頭がおかしいから、近づくなって」
「お前も頭、おかしいのか?」
「そうだよな。だって、俺らのこと無視するし。口がきけなくなったんじゃねえの?」
にやにやとした笑いを崩さず、三人は距離を詰めてくる。
普段なら無視をする。だが突然のことに、シュールの体は固まった。
なぜ母は、そんな奇行に走ったのだろう。分からない。妹が亡くなってから、母が分からない。
おかしいことを否定できたら、どんなに良かっただろう。しかし花束を踏みにじった光景を思い出し、シュールは反論できない。
黙っているシュールを、三人は囲む。さらに彼女を傷つける言葉を放ち続ける。
これ以上聞きたくないと、シュールは両手で耳を塞ぎ、その場に座りこむ。それでも容赦なく、頭上から悪口が降ってくる。目が潤んでくる中……。
「君たち、なにをしているの?」
柔らかいが、はきはきとした女性の声が聞こえてきた。
「その女の子に、なにか言っているようだけれど」
「お、オレたちは、別に……。その……。そいつの母ちゃんが、おかしいんだよ!」
「そ、そうだ! 町で今、噂になっているんだ! だから……っ」
三人は考え知らずではない。誰かをいたぶる時は、人のいない時、特に大人の目がない隙間を狙っている。そこへ突然見知らぬ女性が声をかけてきたのだから、焦る。
「それは、一人の女の子に対して、三人で囲い、悪口を言っても良い理由になるのかな?」
「う……」
たじろいだ三人は、一人が言った「もう、行こうぜ」を合図に、走り去る。やれやれと、女性は息を吐く。
「大丈夫?」
女性はしゃがみこみ、シュールと視線を合わせようとする。
腕で濡れた目をこすりながら、シュールは頷く。
(噂を聞いて心配になって来たけれど、正解だったわね。子どもたちにまで噂が広まっている。噂は尾ひれをつけ、広がる。下手をすれば、この子に悪意が向けられてしまう)
ライデンに噂は届いただろうか。一体なぜ、シューエンは館を見張っているのだろう。シェーンにもさっぱり分からないが、まずは一つずつ対処することにする。まずはシュールと知り合うことが、第一歩だろう。
「私はシェーン、お医者さんよ。お父さんに頼まれ、話を聞きに来たの。シュールちゃん。貴女から見たお母さんの様子を教えてくれないかしら」
「……お医者さん?」
「ええ。お母さんの様子が心配で、ライデンさん……。お父さんが私の病院を訪ねてきたの。本当はお母さんに会いたかったけれど、外出中のようだから。シュールちゃんから少しだけ、話を聞かせてくれないかしら」
「……ママ、治るの?」
昔の母に戻ってくれるのだろうか。医師を名乗る、この女性を頼っても良いのだろうか。
シュールは迷いながら、シェーンへ妹が亡くなってからの日々を話し始めた。
ところが一度話し始めると、止まらなくなる。本当は、誰かに聞いてもらいたかった。次から次へと、時系列がばらつきながらも、口の動きが止まらない。それシェーンは相槌を打ちながら、聞いてくれた。
一方、噂を聞いたライデンは急ぎ、家に戻った。まさかシューエンが教会に乗りこみ、今は夫人たちが滞在している館を見張っているとは思いもしなかった。妻の考えが分からない。一体なにが目的なのだ。謎も気になるが、とにかくシュールが心配だった。息を荒げ勢いよく玄関の戸を開け飛びこむ。シェーンの姿を見て驚いたが、同時に彼女が付き添ってくれていることに、安堵する。
「シュール……。なにもなかったか?」
「うん」
そう言いながら抱きついて顔を伏せたことから、なにかが起きたのだと分かる。不安な目をシェーンへ向けると、肯定するように頷かれる。
(遅かったか……)
「先生、今日はどうして……。いえ、ありがとうございます」
「少し気になる噂を聞いたもので……。ライデンさん、二人で話せますか」
シュールへ部屋に戻るように伝え、二人は話す。
席を外すように言われても、シュールは気になり、ドアの近くへ移動すると、聞き耳を立てる。
「奥様の目的は不明ですが、領主夫人、又はそのお嬢さんに執着しているのかもしれません。そうでなければ、説明が……」
他の会話は聞き流す程度だが、シェーンのその言葉が、鮮明にシュールの耳に残る。
特に『お嬢さんに執着している』という言葉が、衝撃すぎた。知った以上、確かめずにはいられない。そんな馬鹿なこと、起きて良いはずがない。
幸いにして二階のこの部屋には、外に生えている木の枝が近い。しかも枝は太く、頑丈。シュールは意を決すると、窓から木の枝に飛びついた。幸い落ちることなく、そのまま木の幹を下り、着地する。
(なんで? なんでママは、あたしを見てくれないの? 妹だけじゃないの? なんでママは、あたしを無視するの? あたしはどうでも良いの?)
顔も知らぬ領主の娘に執着しているかもしれない。そう思うだけで、シュールは混乱し、怒り、冷静でいられない。
死者だけではなく、赤の他人まで人の母親を奪うのか。そんなこと、許されるのか。もうこれ以上、誰も自分から母を奪わないでくれ。潤む目で走り出す。




