不安になるラコル
翌日、ラコルは二人が滞在している館を訪れた。
町で賓客を宿泊させるための建物で、滅多に使用されることはないが、毎日のように手入れはされている。ただ、毎日ではない。
そんな館を覗いていたシューエンは、あの老人は誰だろうと考える。朝から見張っているが、様々な人が出入りしており、把握が難しい。黒いカバンを持ち、背筋を伸ばし。雰囲気から名のある人なのかと狙いをつける。
(出入りしている人を知れば、そこから悪魔の書にたどり着けるかもしれないもの。顔を覚えないと)
じっと館へ視線を送り続けるシューエンに背を向け、ラコルは門をくぐった。
館内で挨拶を終えると、結論を親子へ告げる。
「王都の医師の診察結果に、誤りはありません。また、病状は進んでおり、進行を遅らせることもできないのが今の医学の現状です。また、リーレン様は子ども……。つまり、様々な意味で成長が著しい年齢です。そのために病気の進行も早く、いつ寝こまれてもおかしくありません」
膝の上でリーレンは拳を握りしめ、俯く。
すでに宣告を受けている。分かっていた。しかし、改めて告げられた事実に、なにも考えられなくなる。
「これ以上の移動は、より体に負担をかけることでしょう。このまま町に滞在することを提案します」
「……はい。それは、夫も覚悟しており……。娘にも伝え……」
ヴィネンの言葉が詰まる。ラコルは急かすことなく見守る。
どれだけ辛いことだろう。二人とも感情を押し殺すように、必死に己を制御しているように見える。
「ヴィネン様は、数日後には町を発つと聞きました。ヴィネン様が町を発ってからも、毎日診察に訪れるので、ご安心下さい。状況もお伝えします」
「……ありがとうございます。しかし、私は諦めていません。夫と手分けをして色々な方へ連絡し、助けを求めています。でも、皆……」
声が尻すぼみする。ラコルが一番頼りになる、皆、そう言うのだ。そのラコルに治療できないと言われたら……。
ひび割れていた床が崩れ、奈落の底へ落ちていく感覚に襲われる。意識しないと、今にも倒れそうだ。
分かっていた。分かっていたが、胸が張り裂けそうに苦しい。誰か助けてほしいと願ってしまう。代われるものなら、代わってやりたい。なぜ幼い娘が、こんな病気に罹ってしまったのだろう。
(そうね……。人はこんな状況に陥った時、悪魔の書を頼るのでしょうね……。こんな苦しい時に、悪魔に囁かれたら、屈する者もいるでしょう。でも、その幸せはもろく崩れやすい、道理に反しているもの。私は、レックス当主と同じ道を歩まない!)
ヴィネンの目に力が戻ったと、ラコルに伝わる。
(ヴィネン様は諦めておられない。私も診察だけでなく、救えないか、せめて苦しまないように……。いや、一秒でも長く生きてもらうため、頑張らなくては)
改めてこの病へ立ち向かう力が、ラコルに湧いた。
顔色を悪くしたリーレンを部屋に戻し、二人きりになるとラコルはシェーンの名前を出す。
「シェーン? どなたでしょうか」
「この町の精神科医です。優秀な女医で、きっとリーレン様の心に寄り添えるでしょう。同性だから話しやすいこともあるかと。老人の私だけより、彼女にも協力を求めたいと考えています」
異論はない。味方が増えるのは、心強いので首肯する。
「ただ彼女は現役の医師のため、患者を抱えています。リーレン様へ付きっきりとなるのは難しいです。それでも、助けになってくれるでしょう」
「分かりました。娘を……。どうか、よろしくお願いします……」
深々と頭を下げるヴィネンは、領主夫人ではなく、一人の母だった。
ライデンのことも気になっているので、館を出たラコルは、早速シェーンを訪ねようと足を向けるが、さほど歩まず、足を止める。
(見られている……?)
上半身を動かし、辺りを見回す。その時、一人の女が視界に入った。直後、悪寒のようなものが全身を走り、素早く視線を逸らす。
(なんだ? あの女性、館に来る時にも見かけたような……。まさかずっと、あそこにいたのか? 一体、なぜ?)
恐怖で心臓の動きが速くなるが、なんとか足を動かし、館から距離を開き、一本道で振り返る。
(尾行されていない。狙いは私ではないのか? では、なぜ私を見ていた?)
不運の年の影響により、怒りを貴族に向ける者は珍しくない。そういう女性の一人なのだろうか。それなら、自分を見ていた理由はなぜだろう。夫人と間を取り持ってもらいたいのか、直談判か、なにか陳情したことがあるのか。どれだけ考えても、彼女の真意は分からないが、これだけは感じた。
(嫌な感じのする女性だ。良くないことが起きなければ良いが……)
館には護衛がいる。だが、時には護衛など気にせず、狂気に動かされるように突っ走る者がいる。悲しみに沈む親子をそっとしておいてほしいと思いながら、ラコルはシェーンのもとへ向かった。
幸いシェーンは、患者が帰り、空き時間を過ごしていた。
「急に押しかけ、すまない。ライデンという男性が訪ねてきただろうか」
「はい、昨日来られました。奥様の件で。不運の年から、長く苦しんでいる一家ですね。似た家は多く、今では珍しくありませんが、このままでは嬢さんにも影響が出る可能性があり、力になりたいと考えています」
「良かった。でも実はもう一つ、頼みたいことがあって。忙しい君に願い事を重ねるのは、申し訳ないが……」
「ラコル先生がお願いされるなんて、よほどでしょう。まずは話を聞かせてくれませんか」
領主の親子がラコルを頼って来るという噂は、シェーンも知っていた。だが、まさかその娘の精神面について、自分の補佐をしてほしいと言われるとは思ってもいなかった。
「そうですか……。死を恐れない人は少ないですから……。特に貴族の子どもは、教育が町の子どもと違い、早く始まります。そのせいで、成熟している面はあると思います。だから余計、恐れるのでしょう。私にできることがあれば、力になります。いえ、協力させて下さい」
「ありがとう。本当に、ありがとう」
ラコルは手を握り、何度も礼を言う。
まさか館の前で見た女性が、ライデンの妻、シューエンとは思いもせずに。




