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悪魔の書は渡さない

「だって、そうでしょう? 悪魔の書へ、ただ願いを伝えるだけだから駄目なのよ。対価として、これを差し出すからこの願いを叶えてくれ。そう伝えたら、対価は定められる。それを怠ったから、レックス領主は大変な目に合っているのよ。どうせ漠然(ばくぜん)と、領を助けてくれと願ったのでしょうよ」


 (あざけ)るシューエンに、ヴィネンは改めて恐怖する。

 忠告し、リーレンへ近づかないように呼んだが、失敗だったと後悔する。この者には、関わるべきではなかったのだと。


「対価……。自分の命を差し出すと、条件をつけるの……?」


 自然と声が震える。


「いいえ、それでは娘と暮らせないじゃない。だから、犯罪者の命よ!」


 両手を広げ宣言するシューエンの姿に、ヴィネンの全身に寒気が走る。

 この女は、自分の命ではなく、他人の命を捧げるつもりだったのだ。自分の娘を生き返らせるためなら、他人の命はどうでも良い。これを狂気と言わず、なんと呼ぶ。

 狂気の度合いを見誤っていた。まさかここまでとはと、戦慄(せんりつ)する。


「皆が幸せになれると、言っていたのは……。貴女、まさか……。犯罪者の命を捧げることで、犯罪が減り、娘は生き返るから、皆が幸せになれると考えて……?」

「そうです。どうです、素晴らしい考えでしょう? 犯罪者が減ると世は平和になるし、見せしめにもなる。私は娘を取り戻せるし、夫人の娘の病気も治せと願いましょう。犯罪が減れば、世の皆は感謝することでしょう」


 こんな恐ろしい発想があったとは。

 いや、逆になぜ今まで誰も実行しなかったのか。同じようなことを考えた者がいても、不思議ではない。しかしそんな伝承を聞いたことがない。


(知らず、実行されていた過去が? いいえ、きっとなにか、人間の思い通りにならない道があるはず。悪魔が素直に、人間の言葉に従うとは思えないもの)


 悪魔の書が実在すると分かっている以上、入手してもシューエンに渡すことはできない。

 犯罪者と言うが、誰が線引きを行うのか。悪魔が線引きをするのか、それともシューエンなのか。その疑問が顔に出たらしく、補足するように言われる。


「まず死刑囚は絶対です。どうせ殺されるのなら、その命を有効利用するべきです。そうでしょう?」


 両手を合わせ、にこりと笑われ、寒気が走る。なぜ笑えるのか、ヴィネンには理解できない。

 死刑制度について議論するつもりはないが、冤罪により囚われている者がいる可能性を考えていないと分かる。自分が生き延び、娘とまた暮らせることしか考えていない。自分にとって、都合の良い想像しかできていない。

 犯罪者と言っても、知らず加担している者もいる。生活に困窮(こんきゅう)し、悪事に走った者もいる。背景を考えず、犯罪者だから悪人。悪人なら殺しても良いなんて、短絡な。この短絡さが、彼女の狂気に繋がっているのだろう。きっと視野が狭い自覚もないのだろう。


「神は……。人間に……。自らの力で道を切り開くことを、望まれ……」

「神の望み、ねえ……。よく神は人間を見守っていると言いますが、大勢死ぬのを、ただ見ているだけの無能ではありません? なんの罪もない子どもの命を平気で奪い、大勢を苦しませ、悲しませ。それを見て、どう思っているんですかね。心を痛めるなら、人間にもできますよ。神って、なんでしょう。神の力によって幸せになったことなんてないのに、なぜ夫人は敬っているのですか? 神は本当にいるのですか? 願いを叶えてくれる悪魔こそ、神ではありませんか?」


 聖書の教えをシューエンに告げても、きっと理解されないだろう。

 話し合いは失敗だと、ヴィネンは認める。これ以上のやり取りは、無駄だ。


「……貴女の考えは分かったわ。好きにしなさい。ただ、私は本当に悪魔の書について、なにも知らないの。レックス家と親しい訳ではないし、今の彼に悪魔の書について尋ねる酷なことはできないわ。私が言いたいのは、もう、私たち親子に近寄らないで。それだけよ」


 言い終わって合図を出せば、護衛たちがなだれこんでくる。


「話は終わったわ。彼女を送ってあげて」


 もう二度と会うことはないと決める。

 まだなにか言っているシューエンの言葉に耳を傾けないまま、部屋を出た。

 一方的に呼ばれ、一方的に話を打ち切られた。左右に人がつくと、両脇に手を入れられ、連行されるようにして館から出される。あまりの対応にシューエンは、怒り心頭だった。


(そっちから呼んだくせに、なんなのよ! どうせ知らないというのも嘘なんだわ。独り占めして、自分だけ娘を助けるつもりなのよ。計画を話すんじゃなかった。犯罪者を利用して、自分の命を助ける手段を教えてしまった。あの女ならきっと、私の考えた方法を実行するもの)


 娘……。リーレンという名前だっただろうか。

 あの娘の病気が治ったら、夫人が悪魔の書を使ったことになる。その瞬間を逃さないためにも、この館を見張る必要がある。


(娘が治ったら、罵ってやる。一人勝ちさせてたまるものですか。娘を助けたいのは、私も同じよ。あの女だけに使わせない! 悪魔の書は渡さない!)



◇◇◇◇◇



「診察はどうだったかしら、リーレン。付き添ってあげられなくて、ごめんなさいね」


 シューエン相手とは違い、優しい声でヴィネンは頭を撫でながら、娘に話しかける。


「大丈夫です、お母様。先生は優しく真面目な方で、この方ならお任せできると感じました。それよりも、お母様は大丈夫でしたか?」


 リーレンには、正直になにがあったのか語ることにする。

 シューエンの計画を知ったリーレンは、顔を青ざめる。


「他人の命を対価……。そんなこと、考えもしませんでした……。恐ろしい考えですが……」

「ええ。犯罪者が減れば、平和になるという発想は、分からなくもないわ。でも、その犯罪者という線引きを、彼女は考えていない。死刑が確定した囚人を利用するつもりのようだけれど、それでも足りないと言われた時、誰を選ぶつもりなのか……」

「死刑が確定されても、冤罪を訴えている方はいます。そんな、乱暴な……」


 この町で死刑が確定するような犯罪が起きることは、滅多にない。さらに死刑が確定されると別の地にある収容施設へ送られ、そこで死刑が執行される。だから、あまり実感がないのかもしれない。

 王都では死刑囚に対して、冤罪だと声を挙げる支援者がいる。そして実際に、冤罪だった事件もある。そういった実体を知らないから、素晴らしい計画だと簡単に言えるのだろう。


「悪魔の書は実在する。だからこそ絶対に彼女へ、渡してはならないわ」

「私もそう思います」


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