悪いのは誰?
翌日、シューエンにヴィネンが呼んでいると伝えれば、裏があると考えなかったのか、あっさり承諾された。
(悪魔の書という餌があるにしても、不用心というか……。昨日、領主夫人を怒らせ、自分が始末される可能性を考えていないのか? 家を突き止められ、不安ではないのか?)
館までの案内の最中、従者は後ろを歩くシューエンが不気味で仕方がなかった。
いつ豹変し、悪魔の書を渡せと暴力を振るってくるのか分からない。昨日の様子から、大人しく従っている今が、逆に気味悪く思える。
「奥様、お連れしました」
案内された館の外観から分かっていたが、室内も信じられないほど輝いており、シューエンの目が眩む。
宝石がはめこまれた調度品は磨かれ、カーテンやカーペットは新品のように美しい。
きっとお金がなく、物を使い回して痛ませ、どれだけ古くなっても使い続ける苦労を知らないのだろう。服を継ぎはぎしたこともないのだろう。まさに住む世界が違う。羨ましい、妬ましい、許せない。そんな負の感情が湧き、渦巻く。
「よく来てくれたわね」
ヴィネンに言われるまま、ソファに座る。お尻への感触が味わったことのないもので、驚く。今まで生きてきて、こんなに柔らかく、気持ちの良いものに出会ったことがない。
(貴族って、こんな素晴らしい品に囲まれて生活しているのね。なんて羨ましいの。もしかして、悪魔の書を使って財を成したのかしら)
他人が聞けば、馬鹿らしいと笑われるようなことを考えていると、ヴィネンに話しかけられ、我に返る。
「シューエンさん」
彼女が通常の状態なら、なぜヴィネンが家だけではなく、自分の名前を知っているのか。疑問を抱き、警戒しただろう。だが今のシューエンは、特になにも思わない。ただ名前を呼ばれたから、顔をヴィネンへと向ける。
「貴女、下の娘さんを病気で亡くされたのね。単刀直入に尋ねるわ。貴女、悪魔の書でなにを願うつもりなの? まさか、亡くした娘を生き返らせるつもり?」
「ええ、そうですけれど」
あっさりと認めた。少しは動じるかと思ったが、そんな様子もない。なにを当たり前のことを言っている。まるでそんな顔で、逆に不思議そうなのが怖い。だが怯む訳にはならないと、ヴィネンは己を叱咤する。
「正気なの? 亡くなった娘に囚われ、なぜ現実を見ようとしないの」
昨日初めて会ったヴィネンの上からの物言いに、シューエンは反感を覚える。悪人が何様のつもりなのだと。
「最近、まともに上のお嬢さんと会話されている?」
「…………さい」
「旦那様とはどうかしら」
「…………るさい」
「死者を思うだけではなく、生きている者とも向き合いなさい」
「うるさい」
「いつまでも亡くなった娘さんばかり相手にしていては、良くないわ」
「うるさい、うるさい、うるさい! あんたに、なにが分かるのよ!」
両手で机を叩きつけ、シューエンは立ち上がる。
ふーふーと歯を食いしばり、顔を真っ赤にさせ、ヴィネンを睨みつける。その視線を受け止め、ヴィネンは言う。
「生きている娘を大切になさいと言っているの。上のお嬢さんにも、そんな態度を取るの? それでは母親失格よ」
「……は?」
シューエンは我が耳を疑った。
一体この女は今、なんて言った? 娘を生き返らせたいほど愛しているのに、母親失格だと言ったのか? わなわなと、唇が震える。痙攣したように、口が上手く動かない。
「し、失格……? わ、私が……?」
「貴女は病気よ、シューエンさん。治療すべきだわ」
「私が? 母親失格? この、私が?」
どれだけ自分が娘を愛しているのか知らない女とはいえ、なぜこんなことを言われなくてはならない。
そもそも不作だと分かっていたのに、薬の原料を確保していなかったのは誰だ。事前に他国と交易し、あらゆる物資を蓄えていなかったのは、誰なのか。それを怠られたせいで、この町は被害に襲われ、娘を失ったというのに。
「失格? 失格ですって? あんたこそ、領主失格のくせに! ふざけたこと言ってんじゃないわよ! 偉そうに! 娘が亡くなったのだって、全部全部、あんたたちのせいじゃない!」
唾を飛ばし、声を荒げる。ドアの向こうで待機している従者たちが合図を送る。いつでも飛びこめるようにと、ドアを半開きしているのだ。ヴィネンはまだ入ってくるなと、合図を送り返す。
「どういう意味かしら」
「だから! 薬の材料を用意していなかった、あんたたちが悪いのよ! 薬さえあれば! あれさえあれば、娘は助かったのに! なんで蓄えていなかったのよ!」
また痛い言葉である。シューエンはヴィネンにとって、痛い所を突いてくる。
全く蓄えをしていなかった訳ではない。春から今年の様子は危険だとなり、先々を見越し、蓄えを備えることに各地が走り出した。他国と交易し、物資を確保しようと動いていた。だが、一斉に多くの地が動いたことにより、価格は上昇していく。裕福な家に比べ、どうしても入手が困難な家が出てきた。
ホウネル一族は寒くなるにつれ、被害の大きい地、被害を広がせたくない地を中心に蓄えを放出するが、想定以上の災害だった。この末端の町まで救いの手を差し伸べることは、無理だった。この町は、優先度が低かったのだ。
しかし今この事実を告げれば、火に油を注ぐだろう。自分たちにとって都合の悪いことを伏せる形になるが、話が進まなくなる可能性があるので、黙っておくことに決める。
「全く手を打っていなかった訳ではありません。天災というのは、人智を越えた力。私たち人間なんて、抗うなんて所詮無理な話なのです」
「だからレックス領主は、同じ人智を越えた力を求めたんでしょう?」
「レックス当主がなにを考え、悪魔の書に手を出したのかは分かりません。この件について、直接彼と話しをしたことがありませんから。しかし貴女の言う通り、人智を越えた力でレックス領は、不運なんてなかったような生活を送っています」
それを聞き、シューエンは腕を組み、ほらねと言わんばかりに口の端を上げる。
「しかしレックス当主は、悪魔の甘言に負けただけです。夫である伯爵も私も、悪魔の書に頼る気はありません。レックス当主が今、どんな状況か知っていますか? 自分の命を捧げるつもりだったのに、孫娘を悪魔に奪われることになってしまいました。そのため、日々孫娘を助けようと走り回り、余裕をなくしています」
「でも領民は助かった。領だけで考えれば、レックス領主の方が、領主として素晴らしい人よ」
「そうね。多くの命が助かり、復興も早かった。その点では、多くの者が彼に感謝していることでしょう。その犠牲が、まだ言葉も話せない子どもの命なのです。その犠牲については、どう思われて?」
「レックス当主の命を奪わなかった悪魔が悪いわね。なんの罪もない子が犠牲になるなんて、辛すぎるわ」
まだ完全に正気を失っていないようだと、少しヴィネンは安心した。
「もし私たちが悪魔の書へ頼り、同じように我が子を差し出せと言われたら、悪魔が悪いと言ってくれるかしら」
「それは……」
シューエンの口が、ただ開閉するだけになる。言葉が出ないらしい。この間、シューエンの頭は様々な意見が浮かんでは、消えていた。
(悪魔が悪い? 悪魔の書を使わないことが悪い? 悪魔の書が悪い? いいえ、頼み方が悪いのよ。自分の命を捧げる、犯罪者の命を捧げると、きちんと告げなかったことが悪いのよ。そうよ、悪いのは悪魔じゃない。悪魔の書を正しく利用しない者……)
すっと、シューエンの目が据わる。その変貌に、ヴィネンはたじろぐ。
「……訂正するわ。悪いのは悪魔じゃない。願い方を間違える、人間よ」




